降って来るもの

写真と散文とぽえむ

金科玉条

2017-04-25 06:10:07 | 随想

          金科玉条

 

 きっちりと締め切った厚手の洋カーテンとその先の障子窓を擦り抜けて来る明るさが、日ごとに早く強く目蓋に届けられるようになって、それが勿体なくて”春眠”などしていられなくなる気分にさせてしまう。

 昨日もそんな感じで目覚めて、同じように体調を観測し、”喉の痛さの宿小”と”咳の回数の減少”を確認して、やっと9日間のイライラから解放される!と思ったものだったが、それは甘い判断に過ぎなかったようで、一日中”頭痛”に悩まされた。

 今朝も体調の加減を恐る恐る探ってみたが、あんなに気を滅入らした原因不明(たぶん風邪の菌がしぶとくしがみ付いていたのだ)の頭痛はもう消えたようだ。喉の痛みも九分九厘大丈夫。咳も暫くの間の記憶に残っていない程なので、今回の”諸症状”はようよう終息したようだ。発症から何と十日もかかって(まだ油断できないが・・)治癒したようだ。

 罹患しやすくなった。そうして罹患すると原状回復に思いの他に手こずるようになった。復活に時間が要り様になった現実を知る機会が増えたともいえる。そういう想いの繰り返しの一つ一つが、ある種の諦念と覚悟を養っていくに違いないと思わされる。

 その過程で、僕はこの言葉を「金科玉条」のように胸に刻むのだ。「健全な肉体にだけ健全な精神は宿る!!」と。多分それは老若男女の別は問わないのだろうけれど、それを身に沁みて知覚するのは、僕が老いの部類に身を置き始めたからに他ならない。

* 04/25 06:10:06 まんぼ

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石楠花が | トップ | 天空の花園 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿