集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
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霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第32回・オッチャンたちの卒業と「野球の柳井」第一次没落)

2017-09-09 14:21:17 | 霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝
 オッチャンたち柳井中学野球部2期生最後の試合は、大正15年9月14日、自校のグラウンドにおいて行われた広島商業戦でした。なおこの試合は、柳井町長が会長を務める柳井体育協会主催の招待試合で、ただの練習試合というわけではなかったのです。
 試合は先発こそ久甫でしたが、リリーフで清水が投げ、そしてオッチャンや加島、久甫が打って…と、3期連続甲子園出場メンバーの貫目を見せつけ、9-4で快勝。有終の美を飾ったのでした。
 ただ、この試合の少し前、オッチャンが育ちの故郷である岩国と、野球の故郷である柳井という「ふたつの故郷」を、どのように眺めていたかということを示すおもしろい試合をしています。

 この少し前の8月28日、岩国中学グラウンドにて「オール岩国対オール柳井」なる試合が行われております。
 これは、岩国中学と柳井中学の現役・OBをこきまぜた混成チーム同士で試合をするというもので、柳井が岩国に胸を貸す、という体で行われた、一種のエキシビジョンマッチです。
 岩国の地元紙「興風時報」によりますと、岩国のメンバーは「熊本、杉田屋、重村、朝枝、桔梗、西岡、佐伯、岡、松田」の9人で、柳井側は「久保(おそらく久甫の誤植)、谷、川本、鈴木、河本、福田、田中、川本、清水(「川本」2人のうち、どちらか片方は川近の間違いと思料)の9人となっております。
 注目すべきは柳井中学打線の中核であり、どこでも守れるユーティリティープレイヤーであったオッチャンが、オール岩国に身を投じていること。
 柳井側とすればおそらくハンデ戦くらいの意味合いでオッチャンのオール岩国入りを許したものと思いますが…オール岩国は、オッチャンの活躍に触発された松田選手の満塁ホームランも飛び出すなど、敗れはしたものの、甲子園出場の柳井に対し7-8と善戦。「過日甲子園の本場所に出場した柳中選手が四人いたがこれ等と戦ひ僅か一点の差とは岩国とし善く戦い観戦のファンの血を湧かし肉を躍らした」(同紙より)と、この善戦を大々的に報じています。
 オッチャンは後年、岩国中学の後身となる県立岩国高校の監督をするなど、終始一貫、岩国を拠点として、周防部の野球振興に尽力しましたが、「軸足を岩国に置いた野球活動の第一歩」という意味でこの試合は、特筆すべきものであると思います。

 さてさて、引退した2期生はそのまま、ある意味野球よりも過酷?な受験戦争に身を投じます。
 オッチャンは、尊敬する鈴木監督の修行した早大野球をさらに深く学びたいと考え、また、夏休みごとに柳井中学にやってきてコーチを施してくれた早大の名選手に強いあこがれを抱いていたことから、早大の受験を志しました。
 当時、甲子園に出るような有望選手は、強豪私学が早い段階からツバをつけておき、そのまま引っこ抜いていくということが常態化しておりました。当然オッチャンにも、いくつかの大学予科への入学要請があるにはあったのですが、幼少のころからの漠然たる憧れが、手を伸ばせば現実になるところまで来たオッチャンの固い決意は、ゆらぎませんでした。

 当時、日本では最高峰の野球をやっていた早慶を受験する場合、学校側がわざわざ有力選手に頼まずとも、選手が逆に「入れてくれ、入れてくれ」と頼みこむような状態でした。
 その早慶に入ろうと思うのであれば、既に入学している有力な先輩選手がよほどプッシュしてくれるか、自分の甲子園などでの名声にすべてを賭けて推薦を待つか、あとは一般入試に拠るしかありませんでした。
 合否に口利きができるような有力な先輩が野球部にいる場合、受験にもかなりの「忖度」があります。その事例をひとつお話しします。
 オッチャンの2年後輩で、のちに日本球界の大立者となる三原脩(当時修)。彼は香川県の大地主の息子であり、父の意向もあり、他の官立高校受験のため上京しました。
 なのに、たまたま駅に居合わせた高松中学の先輩・水原義明に早大の受験会場に引っ張り込まれ、「先輩の顔を立てるためとりあえず入試を受けた格好だけするが、早大には行きたくない」と、白紙で答案用紙を提出したものの、なぜか合格、そのまま早大に入ってしまいました(詳細については、第42回で後述します)。

 ただ早大における柳井中学勢は、オッチャンの1学年上の松本清がようやく前年に入部した程度であり、そうした有力選手による「忖度」は一切期待できない状態。オッチャンは一般入試で、早大入学を期するしかない状況でした。オッチャンの回想です。
「当時の中学選手のスターは各大学から勧誘に来たもので、私にも各大学から誘ひに来ました然るに早大は平然たるもので私の存在など全く認めてくれませぬ。」
 当時は財界人になりたかったら慶応、政治家やジャーナリストになりたかったら早稲田、というふうに線引きがなされていましたから、早大に入って政治家・ジャーナリストになろうという若者は全国に鈴なりで、一般入試による門戸は決して広くない状態。
 オッチャンはその一般入試の門戸をこじあけるため、バットを鉛筆に持ち替え、ひたすら勉強に明け暮れました。

 この年の瀬の12月25日に大正天皇陛下が崩御。「大正十五年十二月廿五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」(大正15年12月25日付詔書)…新元号は「昭和」と決まりました。
 わずか6日しかなかった昭和元年が明けた昭和2年の春。オッチャンのサクラは見事に咲き、早大の予科にあたる、早稲田第二高等学院への入学が決まったのです。
「その時の喜びは大変なもので今でも240番と云ふ受験番号を忘れませぬ。」

 ほかの2期生のサクラも見事に咲きました。
 ・捕手(主将)加島秋男 立教大学予科
 ・遊撃手   井上高明 慶応大学予科
 ・一塁手   久甫侃  長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)
 ・中堅手   川本昇  山口高等学校(現・山口大学)→東京帝国大学工学部

 特に凄いのは川本と久甫。これだけ厳しい野球の練習に耐えながら、難関の国立高等学校・高等商業に入り、川本に至ってはのちに東京帝大工学部に進学しているのですから、当時の柳井中学の学問レベルの高さが伺えます(同校の不肖の後輩である著者は、恥じ入るばかりです_| ̄|○)。

 さて、2期生なきあとの柳井中学ですが、その実力を名実ともに支えてきた絶対エース清水の卒業(昭和4年3月卒)と共に、その力をジワジワと下
げて行きました。
 トドメとなったのは、昭和5年度柳井中学6代目校長として赴任してきた、本沢清一という人物でした。

 防府高女から転任してきた本沢に対し、当時の柳井中学生徒がつけたあだ名は「漬物校長」。
 コチコチの農本主義者で「百姓こそが国家の礎」「そこから出てくる忠君愛国の兵士こそが国を護る」との考えを信奉してはばからない人物であったことが「漬物」のあだ名の起源であったのですが、そんな本沢校長がアメリカ発祥のスポーツであり、しかも広くてコンディションの良いグラウンドを使う野球部を目の敵にするのは、しごく自然な成り行きでした。

 本沢校長は野球部排撃の第一歩として、昭和5年度いっぱいをもって、柳井の野球を一から築き上げてきた名将・鈴木立蔵監督を放出します。
 鈴木監督のもともとの専門はスペイン語。しかし、2代目の須貝太郎校長が、「教師としての地歩を固めることがより良い監督生活への第一歩」と配慮したうえで英語教諭として採用しており、以後の校長もこの見解を引き継いでいました。
 しかし、本沢校長はこのことを問題視して追及し、京都師範のスペイン語教諭として転出させます。
 8年間で4度も柳井中学を甲子園に導いた名将は、いともあっけなく、追放同然にその座を追われました。
 
 これに勢いづいた校長は、さらなる野球部排撃の運動に出ます。
 他校から羨ましがられるほどの整備状態を誇ったグラウンドには、朝礼や分列行進の目印となるレンガが山ほど埋められたうえ、配属将校沖原士郎大尉による激烈な軍事教練により、イレギュラーバウンドが頻発する劣悪なグラウンドに激変。当然、野球の実力は低下するいっぽうとなります。
 鈴木監督の後任部長となった英語教諭・土居光頼(俳号「南国城」として、昭和俳壇の著名人でもある)は部員とともに必死に抵抗しますが、野球部の排斥運動・レベル低下を押しとどめるまでには至りませんでした。

 柳井の実力低下と期を一にして、県西部の下関商業学校が勃興したのも、柳井にとっては不幸なできごとでした。
 遠洋漁業の基地として、また、造船の町として、山口県の西の玄関として永年潤っている下関を拠点とする下関商業は、たちまち全国トップレベルに躍り出、昭和12年には夏の甲子園準優勝を果たすなど、中国地方の野球を席巻します。反対に柳井中学野球部は、長い長い冬の時代に突入。その長い冬は結局、終戦まで開けることはありませんでした。部員はただただ、先の見えない暗闇のトンネルを歩くしかない時代となったのです。

 「及第会 野球練習 始まりぬ」
 土居南国城部長が、野球部を陰に陽にかばいながら詠んだ名句。戦前の柳井中学野球部を送る、レクイエムのようにも聞こえます。

【第32回参考文献】
・「私の野球生活」杉田屋守著 杉田屋卓編 私家版
・「柳井高等学校野球部史」柳井高等学校野球部史編集委員会
・「日本の野球発達史」広瀬謙三 河北新報社
・「魔術師〈上〉 三原脩と西鉄ライオンズ」立石泰則 小学館文庫
・「興風時報」143号(大正15年9月5日)


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