集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

岩国の隠れた?忘れられた名将と黒獅子旗(その6)

2018-02-05 08:25:53 | 周防野球列伝
 第26回都市対抗野球大会は昭和30年8月1日に開会式が行われ、開幕直後のオープニングゲームでは前年度優勝チーム・八幡市(八幡製鉄)が門真町(松下電器)を9-0で圧倒。10日間に及ぶ熱戦の幕が切って落とされました。

 この年は、アメリカ・ミルウォーキーで実施される第1回世界野球大会に優勝チームを主体とする全日本チームを派遣することが決まっていました。
 当時はまだまだ海外旅行なんて、庶民には縁遠いものだった時代。「アメリカ遠征」という餌をぶら下げられた各チームはいっそう練習に没頭。そのためか、開幕から強豪・名門が順当に勝ち進む安定した展開となっていました。
 それを確認するため、専売千葉-大昭和製紙戦までに行われた、1回戦各試合の勝敗を見てみましょう。
・八幡市(八幡製鉄・前年度優勝推薦)9-0門真町(松下電器)
・横浜市(日本石油)6-2釜石市(富士鉄釜石)
・大牟田市(東洋高圧大牟田)1-0日立市(日立製作所)
・大阪市(全鐘紡)10-5川崎市(日本コロムビア)
・神戸市(川崎重工)6-5大分市(大分鉄道局)
・高砂市(鐘淵化学)5-1砂川町(東洋高圧砂川)
・岡山市(岡山鉄道局)1-0小樽市(小樽野球協会)
・大津市(東洋レーヨン)3-0大阪市(住友金属)

 やはり、強豪が順当に勝ち残っております。 
 そのような戦況の中、3日目第三試合に組まれた専売千葉―大昭和製紙戦も、大方の予想は「大昭和の圧勝」でした。

 昭和30年8月3日夕刻。後楽園球場には満員の観客が詰めかけました。
 ファンの期待はただひとつ。かつて神宮を沸かせた早大OBで固めた大昭和製紙が、聞いたこともないようなチームからどれだけ打つのか…。

 後楽園球場のスコアボードには、先発メンバーが鮮やかに描きだされていました。
【先攻 吉原市・大昭和製紙】
1番セカンド有馬・2番サード杉村・3番レフト荒川・4番センター石井・5番ライト徳丸・6番ショート北川・7番ファースト朝比奈・8番キャッチャー板倉・9番ピッチャー山本
【後攻 千葉市・専売公社千葉】
1番ライト井上・2番レフト坂本・3番セカンド小沢・4番センター塩瀬・5番ファースト松本・6番サード和久・7番ピッチャー小宮・8番ショート松山・9番キャッチャー岡村

 専売は坂本・松山・岡村さんと3人の補強選手が先発に名を連ねました。先発投手は専売のエース小宮圭三郎。
 とここで、今までこの「黒獅子旗」シリーズと、岡村さんに関する記事を読んできた方は何か違和感を生じるかと思います。
 そう、「青春」ではこの試合には立教OBであり、岡村さんの岩国高校時代からの盟友の「狂介」が先発で登板しており、専売エースの小宮が先発したとはなっていないのです。
「先発投手は狂介に決まった。
 専売のエースもよくまとまった好投手だが、完成された打者をそろえた大昭和には、凄みに欠ける。むしろ狂介の荒れ球が、向こう意気の強い首脳陣に買われた、と私は思った。」(「青春」より)
 しかし、実際の試合のボックススコアを見ますと、専売は小宮→池上→渡辺となっており、「狂介」らしき人物が投げたという痕跡はどこにもありません。

 次回は憶測を踏まえつつ…「狂介」の正体を考察していきたいと思います。

【参考文献】
・「青春・神宮くずれ異聞 宮武三郎と助っ人のわたし」 大島遼(岡村寿)著 防長新聞社
・「都市対抗野球60年史」 日本野球連盟 毎日新聞社