東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線沿線歩き旅の記録。

「ぐるっとJR東日本の旅」 四日目

2015年11月28日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 四日目 その3
2015年11月8日(日)


この駅で下車して「鳴子温泉」に入って行こうとタオルなどの用意はしてきたのだ。



駅の正面には足湯があった。さすが温泉の町である。







雨が降っていなければ温泉町を散策したいのだが、冷たい雨で気持ちがそがれる。

駅のコインロッカーにディパックを預けて身軽になる。
これで持ち物は傘と洗面用具と小銭だけになった。

コインロッカーの隣にはやる気のなさそうなこけしの顔出しパネルがある。



この場所で写真を撮っても後ろは壁だし配電盤が邪魔だし・・


駅前の歩道にもこけし。





マンホールにもこけし。



みやげ物店の前にはもちろんこけし。



そして郵便局の前にもこけしがあった。



よく見ると郵便ポストがこけしになっているのだった。



こうしてみると全然違和感が無いなあ。
違和感が無さ過ぎて郵便ポストだと気がつかないほどだ。


温泉は共同浴場の「滝の湯」へと行く。



10年ほど前にも一度だけ来たことがある。



入浴料が150円といまどき珍しく格安なのだ。そのためか雨だというのに観光客で混み合っていた。



脱衣所も狭いし浴槽も広くは無い。だが温泉は十分堪能できる。



観光客が多いのだが地元の人も来ているようで、仕事を終えて一風呂浴びてから帰ろうという人たちが互いに挨拶を交わしている。
周りは大きなホテルが立ち並んでいるから、ホテルの午前の仕事を終えた人たちなのだろう。

外へ出ると雨が強く降っていてせっかく温まった身体を冷やしてしまう。



天気が悪いためか土産物店にも客の姿はない。



温泉町にはほっかむり姿のお婆さんが良く似合う。



5分も歩けばもう鳴子駅だ。

駅の出札口の上にもこけしがあった。



駅にあったショーケースにもこけし。



駅の一部はステージに使えるようになっていた。





鳴子駅から古川駅行きの列車に乗り込むと、
「この先で人身事故があったので大幅に遅れる予定」とのアナウンス。
それでも行けるところまで進むらしい。



スマホに事故で遅延の情報が表示されるが「この路線を避けて乗換検索」というのは都会ならアリだが、ここでは無理である。

列車を降りてバスやタクシーで行くか、逆方向の新庄駅へ行き新幹線で福島駅を経由して帰るしか方法が無いのだ。
私は乗り放題の切符を持っているし、急ぐ必要の無い旅だからよいけれど新幹線への乗り継ぎを予定している人は困っているだろうな。

「しばらくお待ちください」のアナウンスがあるだけで、あと何分待つのかはわからない。
仕方ないからそのまま乗り続けることにした、遅れても2-3時間くらいなものだろう。

列車は岩出山駅で停車したまま動かない。



この先の踏み切りで列車への飛び込みがあったらしい。



待つこと一時間、下り列車が向かいのホームに入ってきてから発車した。
単線運転だから上り、下りどちらかの列車が待つ必要があるのだ。

あたりはもう真っ暗でどこで事故があったのかわからない。
たぶん途中でスピードを落としたところが事故現場だったのではないだろうか。

西古川駅を過ぎて古川駅に到着。





もちろん乗る予定だった新幹線はとっくに行ってしまっている。
私は自由席で盛岡駅まで帰る予定だったから良いのだが、同じ列車に乗って来た人たちは緑の窓口に列を作っていた。

「大人の休日倶楽部パス」には運休などがあっても払い戻しや変更の対応をしないとあったが、JRはこのような場合でも柔軟に対応してくれるのだろうか。

新幹線の乗り継ぎに30分ほどあったので古川駅内をみてまわる。







ダイソーやコーヒーショップもあるし、スーパーマーケットもある大きな駅だった。



やまびこ号の自由席に乗車する。



予定より2時間ほど遅れて盛岡駅に到着。



これで「ぐるっとJR東日本の旅」は終了した。





JR東日本の新幹線は全区間乗ったし、念願のループ線区間も乗った。
ただただ電車に乗り続けるだけの旅だったが、私なりに楽しめたので満足である。

JRの担当者の方
最閑散期のみ利用70歳以上限定でかまわないから、
「日本全国JR全線乗り放題きっぷ」を企画してください。

え?「青春18切符」があるじゃないかって。



4日目の行程は下記のとおり。




「ぐるっとJR東日本の旅」 四日目 その2

2015年11月27日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 四日目 その2
2015年11月8日(日)


秋田発新庄行きの電車がやってきた。



車内は立つ人はいないものの空席は少ない。
高校生らしき人、買い物帰りのおばさんや年配の男性など客層はさまざま。
さすがに私のように停車するたびに駅名票を撮影している変わり者はいない。







昼食は朝と同様に駅中のコンビニで買ったサンドイッチである。





このような真新しいのがあると思えば、



ずいぶんと錆びの浮き出た駅名票があったりする。



朝からずーっと雨降りで窓ガラスは曇っている。風景は見れないがそれでもカメラを構える。
他の乗客はスマホを見たり本を読んだりしていて、ときどき怪訝そうな視線を向けてくる。
確かにこんな天気なのにカメラを構えて駅の写真を撮っているというのは怪しい人物に見えるだろうな。


乗車時間は2時間半だからローカル列車としては長いほうだと思うが、かなりの客が私と同様に始発駅の秋田から終点まで乗っていたのには少々おどろいた。

新庄駅に到着。ここでの乗り継ぎ時間は4分である。





階段の上り下りが無くて隣のプラットホームに移動するだけだから乗り継ぎはスムーズだ。



乗るのは鳴子温泉駅行きの普通列車。この区間は電化されていないからディーゼル列車である。



ドアの上には陸羽東西線マップがある。



この路線は温泉地、名所旧跡が多く観光客も多いのだ。
車内は空いていたが中高年の乗客が目立つ。もしかしたら彼らも大人の休日倶楽部パスの利用客かもしてない。




鵜杉駅ではキロポストが駅名票に立てかけてあったりもする。





大堀駅の駅舎は丸太小屋風だった。








これも錆がでているが、たぶん赤倉温泉の温泉成分によるものだろう。





堺田駅は分水嶺の駅ということで線路の両側に大きく掲示してあった。





保存してあるというよりは放置しているようなSLも見えた。




鳴子峡が見えるところで列車はいったん停止して「左側に鳴子峡が見えます」とアナウンスがあった。
さすが観光地を走る列車だ、このように写真タイムを設けているのだ。



乗客の大部分がカメラを持って左の窓へ移動する。なんと、乗客のほとんどが観光客だったのだ。



残念ながら雨で窓ガラスが濡れているから鳴子峡の景観は良く見えない。

鳴子の町が見えてきた。



小雨に煙る鳴子温泉に到着。





続く


「ぐるっとJR東日本の旅」 四日目 その1

2015年11月26日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 四日目 その1
2015年11月8日(日)

予報どおり今日は朝からの雨模様だ。
ただ電車に乗るだけの旅だから、天候はどうでも良さそうなものだが雨の中の旅行というのは楽しくない。
この雨では車窓からの眺めもまずダメだろうなあ。

電車に乗り続けて4日目になるのだが、
シベリア鉄道だとまるまる一週間も乗り続けるのだという。
もちろん昼も夜もずーっと電車の中で過ごして旅をするのだ。
それに比べれば実に楽なものである。
新幹線は揺れは少ないし、始発駅から終点まで乗っても数時間だ。

傘を差しながら急ぎ足で駅へと向かう。



駅中のコンビニで朝食用にサンドイッチとコーヒーを買う。
「大人の休日倶楽部パス」の切符を提示すれば一割引になるというお得なサービスなのだ。



それにしてもサービスサンドを選んでしまうというところが泣けてしまう。

最初に乗るのは「こまち95号」秋田行きだ。





まだ朝早いので車内は数人の乗客のみだった。



全車指定席なのだが盛岡駅、秋田駅間を利用する場合のみ自由席券で乗れる。



窓の外は雨、雨脚が少し強まったように見える。





雫石駅を過ぎると急峻な山あいを列車は進む。
線路のすぐそばまで崖があり反対側は川、そしていくつものトンネルを抜ける。
窓からちらっとだけ見えた国道46号線の橋梁。



トンネルと橋が国道46号線で秋田方面への通行を飛躍的に改善した。
その昔は橋の向こうに見える狭い山道を行かなければならず大変だったなあ。

と感慨に浸っていると車掌がやってきて「この席は田沢湖駅で乗る客が指定席を取っているので別の席に移動してください」という。
こんなにがら空きなのに、偶然指定を取られている席に座っていたのだった。

田沢湖駅からは中年のおばさんたちが乗り込んできた。
それまで静かだった車内がいっきに市場の中のように賑やかになる。


おばさんパワーに圧倒されていると、みちのくの小京都と言われる角館駅に到着。



秋田縦貫鉄道の角館駅が見える。三日前にこの路線の終点の駅である鷹巣駅を見たばかり。



大曲駅では列車の進行方向が逆向きになる。
座席をくるっと回転させて前方に向けて座る。
やはり乗り物では前方方向に向かって座るほうがよろしい。

午前9時半、秋田駅に到着。



思えば夏には歩きで秋田駅まで来たし、三日前は新青森駅から普通列車で来たのだ。
なにか用事があるわけでもなく観光をするでもないのだが縁のある駅である。

プラットホームには竿灯の大きなパネル。




”東北の駅百選選定駅”とある。



「え・・東北に100も駅があるんだっけ?」というのは冗談にしても、東北でのベスト100というのは多すぎじゃないのかな。
日本全国でのベスト100なら理解できるが、これなら東北の主要な駅は全部100選に入っちゃうんじゃあないの。

秋田の行事を描いた大きなパネルがあった。



冬の様子を描いた場面は私の子供のころの記憶を呼び寄せてくれる。
雪でつくる”かまくら”は横手市の名物だが、同じように雪の多い岩手でも子供たちは作って遊んだものだ。



右上に描かれている”箱そり”は私が子供のころに使っていたものと同じ形である。

藁で作られた”雪ぐつ”は水が浸みて足が冷たくてしもやけになった。
ゴム長靴を履くようになってからは水が浸みるということは無くなったが、冷たさは同じだった。
当時は防寒のための素材がほとんど無かったから唐辛子をつま先に入れたりしたのもだった。

つぎに乗る列車は羽越本線の普通列車で45分ほどの乗り継ぎ時間がある。



雨降りだし時間が中途半端なので観光にも行けない。駅前をぶらつきながら時間を過ごすことにする。

駅のコンコースでは産直市が開かれていた。





日曜日ということもあり観光客も多い。結構な賑わいである。

ほんの数日前までハロウィンの飾り付けだったのがクリスマスツリーに変わっている。





日本人はハロウィンだろうがバレンタインデーだろうがお祭りは好きである。
まあ、実際のところはコマーシャリズムに乗せられているだけとも言えるのだが悪いことではないと思う。

駅前のデパートを一周して駅へ戻る。

まだ電車は入線してこないのでプラットホームをうろつく。



向こう側に発車するこまち号のすがたが見える。



ホームの屋根を突き破っている鉄塔などを撮影する。



どの駅にも「撮り鉄」といわれる鉄道ファンの姿がある。
全員が中年のおじさんというのが特徴で、高級なデジタル一眼レフカメラと望遠レンズそしてプロ並みのしっかりとした三脚を装備というのが定番だ。



私のようにコンパクトデジカメで三脚も用意しないで写真を撮っているのは、彼らの邪魔になるだけだから少し離れたところから撮影する。




「ぐるっとJR東日本の旅」 三日目 その2

2015年11月25日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 三日目 その2
2015年11月7日(土)


新幹線ホームへと向かう。



ここはいつ来ても混み合っている。



外国人の団体客の多いのに驚くのは私がおのぼりさんだからである。

ホームにはひっきりなしに新幹線が入ってきたり出て行ったりしている。
秒単位で運行管理がされているのが実感できる。

話題の「はやぶさ」のグランクラスの車両を窓から撮影する人も多い。



私も窓から車内を見たがグランクラスに乗客はいなかった。

こうしてみると新幹線といってもずいぶんとデザインが異なるものだな。





金沢方面、新潟方面、秋田、青森とみなデザインを変えているから乗り間違えが無くていいかもね。


私の乗る山形新幹線「つばさ131号」が入線して来た。

「つばさ号」のデザインはどうにも垢抜けない。





新しい「こまち号」や「はくたか号」はボディカラーも鮮やかでかっこいいと思えるのだが「つばさ」には魅力を感じない。



だが車内へ入ってしまえばどれも同じようなものである。「つばさ」も車内は明るく快適だ。



車体外部のデザインやカラーは乗っている人には見えないんだからこれでよしとしよう。

満員の「つばさ131」は快調に走り、福島駅で連結を解いて山形方面へと向かう。

福島駅を出てからしばらく走ると勾配が急になり列車の速度が遅くなる。
昨日の上越線もそうなのだが、日本列島を太平洋側と日本海側に分けている背骨の部分の山脈が交通の難所になっているのだということがよく体感できる場所なのだ。

やっとの思いで山越えを終えると「つばさ」はスピードを上げて山形市へはいって行く。
山形駅で降りた客が「ようこそ山形へ」と書かれた垂れ幕の写真を撮っていた。





天童市を過ぎて、新庄駅に到着。





ほぼ満員だった客の大部分は途中の山形駅などで下車したようで新庄駅で降りる客は少ない。

ちょっとしつこい「ようこそ新庄へ!」のポスターがあるが、



改札口の前には天狗の像が立っていた。



こちらは天狗なのか、それとも修験者なのか。



脇に”特典の店”と書かれた看板が立ててあるところをみると、この天狗は商店の宣伝マンではないだろうか。


つぎに乗る電車は「つばさ144号」の東京行きである。



なんのことはない今乗って来た列車の折り返し運転なのだ。


改札を出ると大きな山車が出迎えてくれる。



”新庄まつり”の山車なのだそうだ。これは歌舞伎の一場面を表わしているそうだが、なかなかの迫力である。





その前になんと産直の市がたっている。



新庄のお土産に黒豆の煮物や漬物を買って行きなさいということだろう。
なんだか「道の駅」みたいな雰囲気なのだ。
まあ、こっちが本家本元の『駅』に違いは無いけれど。





この駅にもしっかりと銅像があった。



やはり”駅には銅像を設置するように”という当局からのお達しがあるに違いない。
やや小さめの少女が帽子を高く掲げている銅像である、台座には「緑の風」というタイトルが書いてある。
草原にを流れる風を帽子でうけているというイメージなんだろうなあ。

食堂を探していたら土産物店の隣に”ちぇれんこ”という名のレストランがあったし、ピザ店もあったのだがなぜか気が乗らず、結局は駅のコンビニでおにぎりを買って昼食にしてしまった。



うーむ、我ながらこの貧乏くさい食事はどうにかならないものかと思う。
定食やどんぶりものなら高くても1500円くらいのものだが、私はヘンなところにケチるのだ。
まぁ、「自分が満足ならそれでいいんじゃない」ではあるのだが。

だが”ちぇれんこ”とは何だったのだろうと、帰宅してから調べたら山形の方言(掛け声)だった。



「つばさ144」に乗り込む。



始発駅だし福島駅までの乗車なので自由席の利用である。

車内は10人ほどしか乗客はいないが途中の山形駅などでかなり乗るのではないだろうか。



山形駅が近くなってきたころ前の席の隙間から2歳くらいの女の子がこちらを見ているのに気がついた。
目を合わせるとさっと隠れるのだが、また少しすると半分顔を出して私をじーっと見ている。



「後ろの席にヘンな生き物がいるなあ」と思っているのだろうか。
その様子がとてもおかしかったのだが、なんども見返されるともしかしたら自分の顔はヘンなんじゃないかと心配になるのであった。

さっき通ったばかりの山形駅を過ぎて福島駅で東北新幹線に乗り換える。





仙台駅に到着。



つぎは「はやぶさ23号」に乗る。




午後4時半には盛岡駅に到着だ。


「はやぶさ」からホームへ出るとぴりっとした冷たい空気を肌に感じる。



東京から500キロメートル北にある盛岡市は晩秋の冷風が吹いていた。


盛岡駅のコンコースには南部曲がり家の模型が展示されている。



今では馬を飼っている農家はほとんど無いが、昔は私の親戚の農家でも馬を飼っていた。
馬と人間が同じ屋根の下で暮らしていたのである。
それだけ馬は大切な働き手であり財産だったということだ。

帰宅してシャワーをしてから午後8時にはベッドにもぐりこむ。
明日も早起きして秋田新幹線で秋田方面へと向かうのだ。

今日の行程は下記のとおり。



「ぐるっとJR東日本の旅」 三日目 その1

2015年11月23日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 三日目 その1
2015年11月7日(土)

大人の休日倶楽部パスを使う「ぐるっとJR東日本の旅」も後半に入る。

今日は山形新幹線で終点の新庄駅まで行き、いったん福島駅まで戻り仙台を経由して盛岡へ帰るのだ。
自宅へ帰らずにホテルに泊まる行程を組めば磐越西線や常磐線を乗ることも出来るのだがそうしなかった。
理由は宿泊費を抑えたからだ。

旅行にかかる費用の中では宿泊費が大きなウェイトを占める。
安めのビジネスホテルでも5000円はするから3泊すれば「大人の休日倶楽部パス」と同額になってしまう。

観光をして高級な感じのホテルに泊まって楽しむという旅ではないので、宿泊費を浮かすという目的から”自宅に泊まる”のである。



東京発の山形新幹線の座席指定券はちゃんと事前に用意しておいたし、仙台から乗る”はやぶさ号”の座席も確保しておいた。






午前6時に目が覚めた。

シャワーを浴びて着替えてチェックアウトをする。
土曜日の早朝だというのにフロント前のロビーは若い人たちで混雑していた。

早めにホテルを出たのは途中で朝食にすること、そして東京駅の写真を撮りたいということがある。

ホテルの前の歩道を見ると、おや?これは童謡の「赤い靴」ではないか。

マンホールの蓋ではないがカメラを向けてしまう。



10メートルほど行くと今度は道路の向かいに鳥居が見えた。
おや?鳥居の奥に見えるのは神社?、ではない自動車ではないか。



こちらは自動車がご神体なのかしらん。



さらに行くと「江戸切りそば」の看板があった。



見ると朝食メニューもある。



ほほぉー、朝からそばというのもなかなかイイのでは。しかもお値段がリーズナブルなのが私にはうれしい。
ちょっと小さめのてんぷらと卵がついて330円だった。



じっさい駅そばよりもお得なのだった。

他の客は出勤前なのか急いで食べてはすぐに出て行くが、私はゆっくりと楽しみながら食べたのだった。


店を出ると目の前にマンホールの蓋があった。YOKOHAMAとアルファベットで表示している。



世界有数の港だからね、横文字が似合う土地なのだ。

関内駅前の交差点にあった電柱に「海抜1メートル」の表示があった。



大震災のあと津波への備えとして今いるところの海抜を表示するようになったものだろう。
それにしても海抜1メートルとは・・

2メートルの津波が来たならばここは1メートルの水の下になってしまうのだ。

それだけじゃない地球の温暖化が進めば海面下になってしまうかもしれないのだ。
こんなところにこんなにビルを建てたり地下鉄、地下街を作って大丈夫なのかなあ。

などなど余計な心配をしながら歩く。


関内駅は土曜日だしまだ朝が早いので乗客の姿はほとんどいない、、が・・ベンチで寝ているサラリーマンの姿があった。





いつから寝てるんだろうか、まさか昨夜からあそこで寝ていたんじゃないだろうな。
昨夜はさほど冷え込まなかったが、それでも北の盛岡市ならば低体温になって救急車で搬送されることになっていたかもしれない。横浜だから大丈夫、、、な訳はないと思うが。

関内駅からは京浜東北線で東京駅へ向かう。

ところが・・・東神奈川駅で電車が止まってしまった。

車内のアナウンスでは「信号機の故障で止まっています」とのこと。

車内のアナウンスとプラットホームのアナウンスの声が混ざり合って聞き取れない。

どうやら「横浜駅まで引き返して東海道本線に乗ってください」と言っているようだ。
乗客はぞろぞろと向かいのホームに入ってきた大船行きの電車に移動する。

ところが・・「信号機の故障のため上下線とも動きません、回復の見通しは立っていません」とのアナウンス。
これは困った。


予定の新幹線に間に合わないではないか。

すると「京浜急行を利用してください」という内容のアナウンスがあったらしく、乗客は電車を降りて歩いて行く。

私もよくわからないままに一緒についていく。


駅を出たところでしっかりと東神奈川駅の写真を撮る。



100メートルも離れていないところに京浜急行「仲木戸駅」があった。

土曜日で乗客が少ないとはいえ大都会のこと、ものすごい混雑である。



誰一人として大声を出したりせず、まるで「ええ、こんなことはしょっちゅうあるんです」という感じで黙々と歩いているのは少々不気味でもある。



都会の事情がさっぱりわからない私は駅の券売機で切符を買う。



かなり以前に品川駅から横浜まで東急に乗ったという記憶があったから「とにかく品川まで行けばなんとかなるだろう」と品川駅までの切符を買ったのだった。

あとで知ったのだが、この場合はJRの切符や定期券を見せるだけで東急に乗れるのだ。
切符を買う必要はなかったのだ、ああもったいない。

JRから移動してきた乗客で東急の車内はぎゅうぎゅう詰めだった。
全方向から強く押されて手も足も動かすことが出来ない、人の出す熱気であっという間に汗だくになる。
さっき食べたおそばが口や鼻から出てくるんじゃないかと思ったほどだ。
東京で通勤する人たちはこんなに混み合う電車で毎日通っていうのだろうか。

呼吸もままならないような混雑だったが電車はちゃんと品川駅に到着。



ディパックを引きずるようにして電車を降りてJRの乗り場へと向かう。



山手線はちゃんと運行されていた。


ああ、よかったこれならゆっくり間に合う。

ホテルを早めに出て駅へ向かったのがよかったのだろう。
ぎりぎりの時刻に出たなら間に合わなかったかもしれない。

東京駅に到着。
新幹線の時刻には十分余裕があるので、さっそく駅の正面へと向かう。



東京駅の正面はおのぼりさんの記念写真スポットになっていて大勢の人が写真を撮りあっていた。

東京駅は明るい色のレンガのためか重厚さは感じられない。
建物の高さも威圧感がない程度に抑えられているのでなんとなく軽やかである。



去年は歩き旅のゴールということで記念に写真を撮った。

回りの人たちが記念に写真を撮りあっているので、私も負けじとセルフタイマーで記念の一枚。



丸の内中央口ではモデルさんの撮影をしていた。たぶんなにかのコマーシャルフォトなのだろう。



それにしてもずいぶんとスレンダーなモデルさんだ。


駅構内には東京駅のドームを乗せた郵便ポストがあった。



そのとなりには記念写真用の顔出しパネルもある。



おばさん達がかわりばんこに写真を撮りあっていたのだった。

続く。

ぐるっとJR東日本の旅」 二日目 その3

2015年11月20日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 二日目 その3
2015年11月6日(金)


上野駅で下車して中央改札口へと向かう。



コンコースには駅に設置が義務付けられている(笑)銅像がある。

上野駅のは3人の裸婦の銅像だ。



3人でスクラムを組んで「さあ、どこからでもかかって来い」と言っている。

それは良いとして後方の星をかたどったようなものは何だろう、クリスマスシーズンだから下げたにしては不自然なのだが。



さいわいこのような銅像やモニュメントに注目する人はいないようで、だれも気にしていないようだった。

石川啄木が「故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」と詠んだのは遠くの昔で、いまはそのような雰囲気を見つけることはとても出来ない。


いつ来ても混雑している中央改札口を抜けると、



「酉の市」でっかいポスターが下がっていた。



そしてこれまた巨大な熊手。
あまりに大きすぎて原型が熊手だということがわからない。



こんな熊手は買った人が福を呼び寄せることが出来るのか、それとも売った人が福を得るのだろうか。
たぶん売った人がほくほく顔の笑顔になるのだろうなあ。

夕日に染まる上野駅、、と振り返ると『ああ、上野駅』の碑があった。





私はいわゆる団塊の世代の人間である。
東京への集団就職列車というのも知っている。
私は東京都内のある会社に勤めることに決まり、会社を訪問したときにその会社の側を流れている川を見てあまりの汚さに驚き、こんなところで働きたくないとキャンセルしてしまった経験の持ち主である。

当時は高度成長期に入る時期で公害がひどかった。川はヘドロで汚れ放題で真っ黒で臭かったのだ。



上野広小路を通って秋葉原へと歩く。



マンホールを見つけると写真を撮る。








日が落ちてネオンが輝きだす。



子供ころから電気工作が好きだった私は秋葉原が大好きで、東京への出張の際は必ず立ち寄った。



まだインターネット通販が一般的でなかったころはオーディオやパソコンのパーツを買いに何度も来たものだ。
その秋葉原の町は電気の街ではなくなり『メイドカフェの町』になってしまった。



ガード下のパーツ屋もすっかり寂れてしまっている。

テレビが普及し始めたころ「テレビ自作キット」があったということを知っている人はほとんどいないだろう。
その昔はメーカー品はかなり高額だったのでラジオもテレビ(もちろん白黒ブラウン管式)も自作するのである。そのためのキットが売られていた時代があったのだ。



アキバは外国人観光客が多かった。メイドカフェが世界でメジャーになる日も近いのではないか?


秋葉原を出て今日のホテルのある横浜の関内へと行く。



明治時代から残っているんじゃないかと思える鉄骨が秋葉原駅を支えている。



最近は中国からの観光客が増えて都内のホテルは予約が取りにくいという。

だから横浜に宿を取ったとうのではなく、私は横浜の雰囲気が好きなのだ。





関内駅から見えるところにホテルアルファーワン関内はあった。






新築間もないように見えるぴかぴかのホテルだった。



観光客も多いようだがビジネスマンらしき客もちらほら。
チェックインを済ませて11階の部屋へと向かう。



カードキーで部屋の電源を入れる。



ベッドは硬く、枕もかなり固めのものだった。
私は柔らかなベッドが苦手なので実によろしい。



広めのバスルーム。シャワートイレはいまでは当然の設備だがバスタブもやや大きめである。



ズボンプレサーもビジネスホテルの当然の設備。



私のような節約旅行の者にはちょっと贅沢に思えるほどだ。


残念なのは窓が開かないことだった。空気を入れ替えたいのだが出来ないのだ。

このホテルの1階にはファミリーマートがある。



ホテルとコンビニとつながっているというのは宿泊客にとっては便利である。
最近はこのようなホテルが増えてきたなあ。

部屋に荷物を置いて夕食へと出かける。

ホテルから1分で伊勢崎町である。クリスマスのイルミネーションが美しい。



夕食はギリシャ料理だ。
店の名前は「スパルタ」。

昨日今日と特価処分のサンドイッチ、コンビニ弁当と粗食に甘んじてきたが、ここでいっきに贅沢をしようというわけである。



外装も店内もギリシャのイメージ、白と青のカラーである。



このような店は雰囲気がとても大事なのだが、よい感じを出している。





私は普段お酒は飲まないのだがウゾというギリシャのお酒を注文してみた。



ちょっとクセのある味だが、飲んでいるとクセになりそうな美味さ。



ギリシャの料理についてはまったく知識が無く、珍しさだけで食べる。



料理の名前をちゃんとメモしておけばよかったが食べることに夢中で忘れてしまった。




ホテルへ戻りゆっくりと風呂に入る。
まだ二日目が終わったところだ。明日もあさっても電車に乗り続けるのだ。

目覚ましをセットしてベッドに横になったとたんに眠りに落ちてしまった。

今日の行程は下記のとおり。



「ぐるっとJR東日本の旅」 二日目 その2

2015年11月19日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 二日目 その2

突然子供たちの声が聞こえてきた。
振り返ると幼稚園児が引率されてぞろぞろとやってきた。



どうやら駅の見学に来たものらしい。



プラットホームまで上ってみると駅員さんが園児に説明をしているところだった。





目の前を疾走する新幹線を見て園児たちは歓声をあげている、駅員が「あれはE7系という電車で・・・」と説明しているのだが園児は説明を聞いているやら聞いていないやら、キャーキャー、ワーワーと大騒ぎ。



発車するMaxときの車掌さんも園児たちに手を振るというサービスぶり、JRの営業努力もなかなかのものである。



そうしていると私の乗る「はくたか557号」が入線してきた。



おお、ぴかぴかの新車だ。





大人の休日倶楽部パスの影響だろうか、それともいま話題の金沢新幹線だからなのか車内は満員であった。



やはり指定席を確保しておいて正解だった。





落ち着いた雰囲気の内装である。
座席の下部分にはコンセントが設けられ、乗客全員がスマホを充電中(笑)
車窓の風景を見ることも無く全員黙々とスマホを操作している姿はちょっと不気味でもある。



そういう私は常にカメラを構え、駅に停車すると駅名票の写真を撮っている・・。
「軽井沢」「長野」を過ぎて1時間10分後には「上越妙高駅」に到着。さすが新幹線は早い。
金沢駅への途中駅である「上越妙高駅」で下車する客の多いのには驚いた。

JR東日本管内の駅はここまでだから「大人の休日倶楽部パス」ではここまでしか乗れないので私もこの駅で乗り換えるのだが、こんなにもパスを使う客が多いのだろうか。



この駅も8分間の乗り継ぎ時間なので駅前を見に行くなどという余裕は無い。



他の客と一緒にぞろぞろと歩いて「えちごトキめき鉄道」の乗り場へと向かう。





「えちごトキめき鉄道」の駅は新幹線の開業に合わせて改装したのだろう真新しかった。
感心したのはこの改札口。昔風の木製の柵であった。



こういうところが鉄道ファンの心をくすぐるのである。



ホームには特急しらゆきが停まっていた。





向かいのホームに直江津行きが入ってきた。



車内は立つ人もいるほどで、まずまずの乗客数だろう。







駅にはおしゃれな駅名票があった。





直江津駅に到着。時刻は12時10分、次の電車は16分後の12時26分の発車だ。











駅の通路にあった「新潟県鉄道発祥の地」のパネルは開通120周年記念のもの。



駅前をちらっとだけ見る、駅そばのお店があった。
だが10分ほどでは食べれないような気がする。





乗り遅れると予定が狂ってしまう。
しかたなく駅構内のコンビニで弁当とお茶を買う。
いつもこんなのばっかりだなあ。



プラットホームへ行くと上のところに見慣れない標識がある。
『雪』と書いてあるが、



雪が多いから気をつけろ? ここまで雪が積もる? 除雪車はこの位置に止まれ? いったい何を意味しているのだろうか、と考えていたら電車が入ってきた。



年季が入って少し錆びが出ていてくたびれ車体がイイ感じ。
なにしろ最近の車両はきれいになりすぎて個性がないからね。
などと勝手なことをつぶやいて、長岡行きの普通列車に乗り込む。



さっそく弁当を食べながら車窓からの写真を撮る。
駅で停車するたびに写真をとるものだから実に忙しい、慌ててカメラを構えようとして弁当をひっくり返しそうになったりと大変だった。







車内は見てのとおりがら空きの状態だった。







今日も天候はさわやかな快晴。
電車は直江津駅を出るとしばらく左側に日本海を見ながら進んでいく。







左に日本海、右側には米山などが望めて風光明媚なところである。








青海川駅は日本一海に近い駅だと横断幕に書いてあった。







鯨波駅の駅名票が洒落ているので感心したり、



ちょっとレトロな駅名票もある。





すすきと豊かに実った柿、そして紅葉の山という日本の原風景が続く。







信濃川の鉄橋を渡ると間もなく長岡駅に到着だ。





長岡駅には火炎型土器のレプリカの展示があった。





火炎型土器は縄文時代のものだそうだが富山県から青森県の三内丸山遺跡あたりまで分布しているそうだ。
日本海を船で行き来していたのだろう、そう思うと縄文人はすごい人たちだな。

それにしてもなぜこのような形に?と思う。実用品とは思えない形だから葬祭用なのかな。
実は花を生けるのに使っていました、というのも面白そうだ。
『生け花の原型は縄文時代にありました』なんてね。


プラットホームには花火が描かれていた。



東京行きの「とき368号」は事前に指定席を確保しておいた。





大宮駅を過ぎて都内へと入っていく。
午後4時ころの東京都内を車窓から見ると、上空は青空だが下のほうはスモッグなのだろう灰色にかすんでいる。



あの灰色の汚れた空気をわれわれは毎日呼吸しているのかと思うとなんだか鬱陶しくなってくる。

指定席は東京駅までだが、途中の上野駅で降りて秋葉原駅まで歩くことにした。
昨日も今日も電車に乗りっぱなしである。

歩いたのは乗り換えのために駅の中だけ、なんだか足がむくんだような気がする。
少しは運動しないとね。

「ぐるっとJR東日本の旅」 二日目 その1

2015年11月15日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
「ぐるっとJR東日本の旅」 二日目 その1
2015年11月6日(金)

なんだか眠ったような眠れなかったような夜だった。
うとうとしていると「ピーーン・ポーーン」という音が聞こえる。
空耳かな? と思ったが、もう午前6時である。

すぐ隣のJRの通路から聞こえる音なのだ。

こりゃぁ、目覚ましはいらないなあ。

仕方なく起きだして、昨夜イトーヨーカドーで買ったサンドイッチと部屋に備えてあるお茶で朝食にする。
まだ眠気は抜けていないのでシャワーを浴びるとやっと目が覚めた。

長岡駅発の新幹線は7時45分のを予定しているのでテレビの天気予報を見ながら着替えをする。

駅まで1分の距離にあるホテルなので時刻直前にチェックアウトを済ませた。
私の住む岩手県に比べるとずいぶんと暖かく感じるのだが、それでも朝の空気は冷たかった。

今日は長岡駅から上越新幹線で越後湯沢駅まで行き、そこから在来線で高崎駅まで行く。
この区間を在来線利用としたのは、『ループ線』があるからだ。
ループ線は急勾配のところをぐるっと輪を描くようにして上るための線路のことだ。

その後、金沢新幹線で上越妙高まで行き、信越本線を利用してまたこの長岡駅まで戻ってくるのだ。


長岡駅は早朝ということからか比較的閑散としていた。







今日も快晴だ、日中はかなり暖かになるだろう。



越後湯沢駅に到着。



まっすぐ上越線へと向かう。







コンコースに昔のスキーが展示されていたが、時間が無いので写真を一枚撮っただけで説明を読む余裕は無かった。

私の子供の子供のころはスキーは長いものだった。
自分の手を上に上げた指先の高さと同じ長さのスキーを使うものとされていた。
大人だと2メートルを超える長さのスキーを使っていたように思う。ストックは竹製だったしスキー靴は皮で作られていたから防水がしっかりしていなくて濡れて冷たかった。
スキー用のワックスなどというものは手に入らなかったからロウソクの蝋を塗っていたものだった。
と、、大昔のことを思い出しながらプラットホームへと急ぎ足で向かう。

乗るのは8時13分発の水上行きだ。





通勤通学時間帯を過ぎたせいなのか車内はがら空きだ。



朝日が紅葉の山を照らし出す。



車窓から見える山々はスキー場とリゾートホテルだらけである。



よくもあんな急斜面に高層ホテルを造ったものだと感心する。

電車は水上駅へと快調に走る。カーブが多いのに結構なスピードが出るのだ。







急坂が多いところなんだからさほど速度は出せないだろうと思っていたのだが、平地と同じくらいのスピードに思える。



ループ線のある区間は越後中里駅のあとと土合駅のあと2箇所である。

長いトンネルが続くので目を凝らすようにして窓の外を見る。



右側の窓から一瞬だけ下を走るループの線路が見えたが、残念ながら写真撮影は失敗。



湯檜曽駅に停車したときに上方に見える線路を撮影したのだが、これではさっぱりわからない。

この駅でいったん下車して次の列車を撮影すればよかったのだが、そこまで考えが及ばなかったのだ。
ここは「ループ線に乗れた」ことで満足としよう。

8時51分に水上駅到着。













駅前に出る余裕もないままに、6分後発車の高崎駅行きに乗り込む。





高崎駅に到着だ。



高崎駅では25分間の待ち時間がある。
つぎに乗る『はくたか557号』は指定席を確保してある。






駅構内をぶらぶらと見て回る。
お土産屋の前にSLの先頭部分の模型と説明があった。



世界遺産の富岡製糸工場の案内パネルもある。



高崎はだるまが名物らしく、どのみやげ物店にも大量に売られている。

ダンボール製のだるまもあった。



もしかしてAmazonの商品か? まさかね。

「ぐるっとJR東日本の旅」 一日目 続き

2015年11月12日 | ぐるっとJR東日本周遊旅

さて、秋田駅を出発の時刻となった。

プラットホームへと行く。
まずは”いなほ号”の写真を撮る。



向かいのホームには”つがる号”が停まっていた。



秋田駅から新潟駅までの「いなほ10号」は事前に指定席を確保しておいた。
この大人の休日倶楽部パスは指定席が6回まで取れるのだ。



この区間は込み合うのではないか?と思ったので指定席を取ったのだが、「いなほ10号」は気の毒なほど空席が多かった。



秋田駅を定時の12時58分に発車して、右手に日本海を見ながらひたすら南下する。





今日の日本海は波が無く穏やかだった。



冬の荒れる日本海も見てみたいな、などど地元の人が聞いたら怒りだしそうなことを考える。



羽後本荘駅を過ぎると進行方向左手に鳥海山が見えてきた。



山頂から中腹にかけて雪に覆われて実に美しい。

列車はすすきを掻き分けるようにして快調に走る。





午後になり太陽が進行方向右手から差し込んできた。
そのため窓ガラスに日が当たり外が見づらい。
写真を撮るにもガラスの反射が邪魔になる。
見ると窓ガラスがずいぶんと汚れている。これでは余計に見づらいわけだ。



そこで停車中にホームへ出てティッシュで窓を拭いたのだが、泥がこびりついていて汚れは取れなかった。


この夏までスマートフォンに縁の無い私だったがスマホの便利さには逆らえず、とうとうスマホを購入した。
ドコモなどの大手キャリアのスマホは私には買えないので、いわゆる格安スマホである。





楽天モバイルの通話SIMプランなのだが通話は普通に出来るし、インターネットも不自由しない。
ネットゲームをするとか毎日電話で話しをするとかでなければこれで充分である。
スマホ本体はASUSというメーカーのZenFone2Laserというものだ。

今回の旅ではこのスマホが活躍した。
地図を見たり時刻表を見たり、暇なときはネットラジオを聴くことも出来る。
このスマホのプランなら年金暮らしであまりお金に余裕の無い人にもオススメできる。
無理して高額なアイフォンなど買う必要はないのだ。

晩秋の陽が日本海へと沈んでいく。
午後4時というのにもう夕暮れだ。



さっきまで暖かかった空気がいっきに冷えたように感じる。

午後4時32分、新潟駅に到着。





列車の前方に太陽が沈んで行くのが見える。



この駅での乗り継ぎ時間も最短で組んだものだから駅構内の写真を撮る余裕も無いまま新幹線ホームへと向かう。





長岡行きの「Maxとき336号」に乗ると右手の空が赤く染まっているのが見えた。



車内は出張帰りらしいビジネスマンで満員の状態だった。

長岡駅に午後5時13分到着。





長岡市は山本五十六の出身地。



花火も有名なので三尺玉の模型も展示してある。

駅前には例の銅像のかわりに三尺玉と打ち揚げ用の筒があるという力の入れようだ。





今夜のホテルは駅前の長岡ターミナルホテルだ。



駅に隣接していてとても便利だ。

チェックインを済ませ部屋へと向かう。



私がその昔に出張でよく泊まった標準的なビジネスホテルそのままである。
部屋の鍵もカード式ではないし自動ロックでもない。





テレビが液晶テレビになったのとトイレがシャワートイレになっているのは時代の流れか。
部屋は清潔だがそれでも施設の古さは隠せないようだ。

バスタブのパネルは下の部分が合わなくなっているし、



洗面台のふちのカビはなかなか落ちないようだ。



衣類の消臭剤が備えてあるのはうれしい配慮だ。




さて夕食へと出かけよう。

駅中にはファストフード店など食事できるところがあるのだが、
落ち着いて食べれそうなところが見つからない。
ああ、ラーメンが食べたいなあ。

駅前を右左とうろついたのだが飲み屋はあってもラーメン店を見つけることが出来ないのだ。
あまり駅から遠い店へは行きたくないし、困った。

駅向かいにイトーヨーカドーがあったので入ってみる。
夕刻ということで惣菜や弁当が割引されている。

ありゃぁぁ、また今回も割引の弁当になってしまうのか。

夕食はすこし贅沢をしてみようかという考えは消え去って、
安さの誘惑には勝てずに結局は弁当を買うことにするのだった。



部屋へ戻りホテル備え付けのお茶を飲みながらのわびしい夕食であった。

あとは寝るだけ、、だが、、

駅に隣接しているため駅通路に流れている「ピーーン、ポーーン」という音が聞こえるのだ。
あのチャイム音は目の不自由な人の誘導用に流れているものだそうだが、
部屋にいて、ずーーっとチャイムが聞こえるというのは実に困る。

一度気になってしまうと耳についてしまうのだ。

チャイムは午後11時過ぎには止まったようだが、それでもなぜか聞こえるような気がして良く眠れなかった。


今日いちにちの行程は下図のとおり。



「ぐるっとJR東日本の旅」 一日目 続き

2015年11月11日 | ぐるっとJR東日本周遊旅
このブログは自分の思い出のために書いているようなものなので、更新はさっぱりしていないから読んでくださる方がいると思っていなかったのだが、久しぶりに「コメント管理」を開いてみたら40代の男性の方からのコメントがあった。ありがとうございます。
私と同じように痔の病をおもちのようで手術をされたとあったが、一日も早い回復をお祈りいたします。

さて、
弘前駅を出発する電車の車窓から「弘南鉄道」が見えている。





青森県には「十和田電鉄」もあったのだがすでに廃線になってしまった。
弘南鉄道のような”私鉄”があるということはこの地域が都会ということの証だと思う。
人口が減少しこれといった産業もない地区で”私鉄”が営業を続けていけるわけが無いからだ。

私の住む岩手県には私鉄は無く、JRでさえも青色吐息の状態だ。
JR岩泉線も2014年には廃線になってしまった。

(第三セクターの「岩手銀河鉄道」と「三陸鉄道」はあるが、あれは”私鉄”と言えるのかなあ)

盛岡市と沿岸の主要な町である宮古市を結ぶ山田線の運行状況をみればよくわかる。朝夕の2本しか運行されないのだ。

などと考えながら快晴の秋空を眺めつつ、大館駅へ向けて電車は快調に走る。


旅行の楽しみは計画を立てるときが50パーセント、帰ってから思い出す楽しみが50パーセントと言う人がいる。
ん~~ん? それでは旅行中の楽しみが無くなるんじゃないの???

行程を考えていたときどうしても乗りたかった区間が『五能線』だった。

”リゾート白神”という魅力的な列車が走っているのだ。
だがこの区間を乗ると接続が悪くて新潟に着くのが夜中になってしまうのであきらめた。



リゾート列車は窓が大きく開放感がある。



いまになって思うとやはり乗らなくて正解だったのかも、、
弘前駅と秋田駅の途中駅でこのリゾート列車を見かけたのだが、おばさんのグループ客やカップル客でいっぱいであった。
よぼよぼ爺サンの一人旅なら完全に浮いてしまっていただろう。

そのうち五能線に乗りに行こうかと思うが、そのときはリゾート列車ではなく普通ローカル列車にしよう。



そのような偏屈なことを考えながら前方を見る。すすきがキラキラと輝いている。



途中の津軽湯の沢駅。



ふと隣の線路を見ると、



線路の枕木が木製だったりコンクリートだったり。
TBS系金曜ドラマの「ふぞろいの林檎たち」に引っ掛けて『ふぞろいの枕木たち』と呼ぶことにしよう。


大館駅に到着。



あたりまえだが定刻である。

運転手によって早く着いたり、遅れて着いたりということはない。
なにしろ1分でも遅れれたならお詫びの放送をするくらいだからなあ。
時間を守り正確さが第一の列車運行である。

日本人の性格といえばそれまでだが「なにも30秒、1分くらいのことで、、」とも思う。

とはいえ、この私も乗り継ぎ時間を分単位で組んでいる。
時間に正確な鉄道だからこそこのような旅が出来るのであるが。

大館駅では20分の乗り換え時間があるので駅構内をゆっくり見て回る。
この町は「きりたんぽ」発祥の地とある。





さらに「忠犬ハチ公」の故郷でもあるそうな。

JRハチ公神社なるものまで駅にはあった。



「公共交通機関であるJRの駅構内にこのような宗教施設を作るとはいかがなものか?」などという無粋な意見は出なかったものと思われる。

そういえばかなり昔のこと仙台市内に「ハマの大魔神社」というのがあったっけなあ。

*ハマの大魔神とは横浜ベイスターズで活躍した佐々木主浩投手のこと。神社は横浜にあったそうだ、ということは仙台のは支社かいな?


なにしろ電車にひとりで乗っているだけの旅だからこんなアホなことだけ考えるのだ。





次は10時4分発の秋田駅に乗る。

鷹巣駅からは秋田内陸縦貫線が延びている。



ホームには阿仁合行きの列車が停まっていた。その向こうにはラッセル車の姿が見える。



ラッセル車の活躍する冬はすぐ目の前だ。



ひたすら乗り続けるだけだからなにか記録を残そうと考え駅名票の撮影をする。





終点まで乗るのだからグーグー寝ていてもちゃんと運んでくれるのだが、それではこの旅の意味が無いのだ。
駅名票だけ撮影してどうするの?と聞かれたら「ほかにすることが無かったから」と答えよう。

すべての停車駅の駅名票を撮影しようと思ったが簡単ではなかった。
駅名票が目の前に来ればよいのだが、そうでないと他の乗客の席まで移動してシャッターを押したりするものだから、胡散臭い目で見られることになる。

「いえいえ私は単に駅名票を撮影しているだけの善良な旅行者ですよ」と心の中で思うのだが、冷静に考えるとずいぶんなバカ。



このような古風な駅舎があるかと思えば、



モダンな駅舎もある。



無人駅の駅前に教会があるのかと思ったら、あれが駅舎だったのね。



線路沿いにあるお墓の向こうには風力発電の風車が見える。ある意味でシュールな風景だ。





そうこうしているうちに秋田駅に到着。





時刻は11時50分。
乗り継ぎ時間は1時間もある。

予定ではこの駅で昼食タイムである。

駅構内には駅弁のコーナーがあった。

「ここで奮発して駅弁を食べようか」と、見ると・・
”あわび五能線弁当”1300円、”秋田肉三昧弁当”1150円、”秋田比内地鶏こだわり鳥めし”1000円などが並んでいる。



「うむむ、いまは我慢して夕食を贅沢にしよう」



結局400円の”はなまるうどん”で済ます私であった。

昼食が5分で済んでしまったので駅前を見て回る。


8月に歩き旅で秋田駅に来ているので見るものは無いのだが、
駅前のポストに竿灯が乗っているのを見つけた。



今回もセルフタイマーで記念撮影。