東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線沿線歩き旅の記録。

18日目 新田駅ー松山町駅

2012年03月30日 | 東北本線 花泉駅~仙台駅
18日目

2011年6月4日(土)晴れ

新田駅 07:15 - 梅ヶ沢駅 08:15 約5.2Km

昨夜はウシガエルの鳴き声のせいでキャンプ地を移動してから、狭い車内で足を伸ばすこともままならないままなんとか眠った。

朝6時半に目が覚めた。

きのう花泉駅前のスーパーで買ったパンと缶コーヒーで朝食にする。
ペットボトルの水はあるが水は貴重なので顔は洗わず歯磨きだけした。
汗をかいたのに風呂に入らず寝たのでさぞかし臭うだろうなと思う。
車はそのまま同じところに置いたままにしてさっそく梅ヶ沢駅に向かって歩き出す。


新田駅近くの郵便局の屋根には大きな白鳥のモニュメントがあった。



さすがは伊豆沼の町である。

途中の踏み切りには東京から414Kmとある。



まだ朝が早いので空気がすがすがしい、農家が点在する道を歩く。

道路があちこちひび割れている、車で通るときはかなり注意が必要だ。
ときどき犬の散歩をさせている人とすれ違う。

山間の道を行くと民家がぽつぽつとあらわれてきた、そこから瀬峰駅への細い道があった。



典型的な無人駅だけど駅舎もプラットホームも掃除がされていてきれいである。
駅舎の中には「梅ヶ沢文庫」と書かれた本棚があってコミックやら文庫本が並んでいた。
ここのベンチで15分間休憩する。

客の姿のない静かな駅をあとに瀬峰駅に向かって歩き出す。

梅ヶ沢駅 08:30 - 瀬峰駅 09:25 約4.5Km

梅ヶ沢の町は歩いている人はいないし車もまったく通らなくて眠っているかのようだった。



緑が多いけど狭い道を歩いていくといつの間にか瀬峰に入ったようだ。
町中を歩いたり国道のような車の交通量の多い道を歩くのに比べると緑の多い細道を歩くほうが疲れがずっと少ないように感じる。

途中「五輪堂山公園」の脇を通る。



ちょうど「藤祭り」というのをやっていたが見物していると先へ進めなくなるので看板だけ撮影して歩く、瀬峰駅はもうすぐだ。



瀬峰駅は大きめの駅で三面のプラットホームがあり誇線橋もある、だがここも駅前は閑散としていた。

駅のベンチで10分間の休憩をしてから歩き出す。

瀬峰駅 09:35 - 田尻駅 11:20 約7.3Km

駅の裏手に「仙北鉄道瀬峰駅跡」の石碑があった、ここにも私鉄が走っていたのだ。



少し歩くと「仙北鉄道登米線跡」の石碑もあった。
その向かい側には天保の飢饉供養の石碑というのもある。



わたしの住む岩手の田舎町にも飢饉による餓死者供養の塔があるが、こんにちこのように豊かな水田が広がるこの地でも過去に凶作にみまわれたことがあったのだ。

まっすぐに伸びた線路脇の道を田んぼを見ながら歩く。



陽が高くなり暑さが厳しい。
雨に降られるのがイヤで天気予報を見ながら日程を決めたのだが予報よりも気温が高くなっているようだ。

やっと田尻の町中へ入る。

「おおっ! ローソンがある」と山道と田んぼの中を歩き続けたせいか、つい感激してしまう。コンビニがあるということは「大きな町」ということなのだ。



田尻駅前にはこんなオブジェ?があった。
ソフトクリームと団子の組合せかな?と思いつつ駅前まで行くと、観光案内板にあれは埴輪と加護坊山をモチーフにした「ストリート・ファニチャー」であると書いてあった。

「ストリート・ファニチャーか、うーむ直訳したら『道路家具』かな、なんだか意味がわからないな」と独り言。

ファニチャーという英語の意味を家具としてしか知らなかったので、どんな意味なのかと帰宅してから辞書をひいてみたが
1・家具 2・調度 3・什器 4・建具 などしか出てこない。
まあ、あれは「道路の調度品」であると解釈することにした。



田尻駅 11:30-(昼食)- 小牛田駅 14:15 約6.8Km


田尻駅では写真を撮っただけで歩き出す。
このまちは遮光式土偶が名物?らしくマンホールの蓋にも土偶が描かれている。





しばらく歩くと大沢街道踏切に差し掛かる、基点から400K733mとなっている。



東北本線の東京から盛岡までの営業キロは575.7Kmとなっているからなのでこれまで歩いた距離は約175Kmだ。
まだ全体の30パーセントしか歩いていないのだ。
一日平均20Km歩いたとしてあと20日はかかる計算だ。

「昔の人は歩いて江戸まで行ったのだからオレだって出来るはずだ」と思うのだが、それにしても遠い。



両側に広い田んぼの広がるよく整備された道を小牛田方面へ歩いていると、オート三輪車が走ってきたので急いでデジカメを取り出し撮影した。





わたしが子供のころはオート三輪車はどこでも見られたものだが、実際に走っているのを見るのは30年ぶりくらいだ。
錆び付いたり汚れたりしていないから大事に使われているのだろう。

小牛田橋を渡る。



出来て間もない橋のようできれいなままだった、ここにも土偶の絵が描かれている。

小牛田駅まで1.4Kmの案内が見えてきた。



駅が近くなると大手スーパーや回転寿司、ファミレスが並んでいる、「おお、大都会だあ」と思わず声が出る。
コンビニがあれば[大きな町]でファミレスがあれば[大都会]とはあまりにも単純な考えだが、田んぼと山だけ見ているとそう思ってしまうのだ。

午後1時を過ぎていたのでここで昼食休憩とする。



選んだのはわたしのお気に入りのレストラン「南部屋敷」。
この店の前のマンホールも地震の液状化でかなり浮き上がっていたが、さいわい店舗には被害がなかったようだ。
奮発して980円のソースかつ重セットを食べる。
カップ麺とパンだけで2日間歩き続けるのはしんどい、やはり栄養をつけねば。

食べ終わって店を出ると午後2時10分だった、そこから歩いて5分のところに小牛田駅はあった。



駅は大きく駅舎も立派だがここも駅前は人通りもなく寂しい。
通勤時間帯ではないので人が少なかったのだろうか。



小牛田駅 14:20 - 松山町駅 15:30 約4.5Km

小牛田駅を後にして松山町駅に向かって歩く。
ところが小牛田の町中で道に迷い西へ向うべきところを逆方向に歩いていることに気が付いた。
町中を歩くと民家やビルにさえぎられ線路が見えなくなり方向感覚を失ってしまったのだ。

これで30分ほどロスをしてしまった。
あちこちの屋根瓦が壊れている、ブロック塀の修理をしている民家も見かけた。
この辺は震度6強か震度7だったのではないだろうか。
鳴瀬川に架かる野田橋を渡る、ここも橋の端部分に大きな段差が出来ていた。
また広い田んぼの中の舗装されていない道を歩く、こういう道のほうが暑さも感じないようだ。



まもなく松山町に入り、今日の目的地である松山町駅に到着。




駅前の写真を撮ってからきっぷを買って電車で新田駅まで戻る。




新田駅に戻り車に乗り込み「加護坊温泉」へと車を走らせる。



歩いているときに「加護坊温泉さくらの湯」の看板を見かけて場所の確認もしておいたのだ。
歩けば駅から1時間はかかりそうなところだが車なら数分で着いてしまう。
ここは公園にもなっているようだが、地震のボランティアの人たちの基地になっていてテントがたくさん張ってあった。

温泉にも若者たちが多かった。
もうすぐ3月11日の地震から3ヶ月だというのに復旧は進んでいない、ボランティアの人たちの活躍には頭が下がる。

今夜の宿泊地はこの公園の駐車場に決めた。
広いし静かでとてもよいところだ。今夜も夕食はインスタントラーメンと缶詰1個。夕食を食べ終えたらあとは寝るだけだ。




17日目 花泉駅ー新田駅

2012年03月26日 | 東北本線 花泉駅~仙台駅
東北沿線を歩く旅 2011年版

2011年6月3日 花泉駅ー新田駅

手術後の経過も順調で、これなら大丈夫と判断していよいよ岩手県境から仙台駅を目指して歩くことにした。

日程は天気予報を見ながら決めた。
歩く旅での雨ほど憂鬱なものは無い。
雨具はかさばるし重い、そして履きもが困るのだ。
長靴ではあまりにも歩きにくい、そうかといって普通のウォーキングシューズでは濡れて水が中に入ってしまう。
通り過ぎる車に水をはねられることも多い。

晴れた日を選んで歩き旅を続けられるというのは仕事を持たない年金生活者の特権なのだ。

だが年金額はあまりにも少なくてホテルや旅館に泊まりながら歩き旅が出来るほどの収入は無い。

そこで車でキャンプをして宿泊費を浮かすことにした。
軽自動車なので中で寝るのは狭いかもしれないと思い、テントとシュラフも持っていく。
食事もできるだけ切り詰める。カップ麺とインスタントラーメンも自宅から持っていくのだ。
「こりゃぁ~まるでホームレスみたいになってきたぞ」と独り言。

なにもそこまでしなくてもと考えたりするが、それも楽しみのひとつなのだと考えよう。

前回までは地図を持たずに歩いたので、道を間違えて遠回りをしてしまったことがあった。
わたしはGPSとかアイフォンとかポータブルナビなどは持っていない。
そんなハイテクグッズを買う資金がないのだ。そこで昔使っていた大判の道路地図を持ってきた。
道路地図帳はそのままでは大きすぎるし重いので、必要な部分だけ切り取って持ち歩くことにした。
地図には小さな道は載っていないけれど大まかな方向がわかればそれでよいと考えたのだ。



17日目

2011年6月3日(金) 晴れ


朝の6時に起きて朝食を終えて07:15に自宅を出る。

天気予報どおりで朝方は曇っていたが途中から晴れてきた。
盛岡市から一関市付近までは道路に大きな被害は見られなかったが、一関市を過ぎると3月11日の大震災による被害があちこちに見える。
注意しながら走らないと道路に大きな段差が出来ていたり陥没しているところがあったりで危険だ。

途中休憩なしで走り続けて今回の出発点である花泉駅に着いたのは10時45分だった。

ここでも駅前にある旅館や民家が地震のため屋根瓦が落ちたり壁が壊れたりしている。

花泉駅 11時-油島駅 11時50分 約4.4Km

花泉駅の脇にはスーパーマーケットがあるのでそこの駐車場に車を置くつもりだったが、駅の駐車場があり無料だったし駐車時間の制限も無さそうなのでそこへ駐車する。

歩き出したのは11時ちょうど。
すぐに東北本線の上油田踏切を渡る。
まだここは岩手県圏内だがそれでも地震ための液状化の跡があちこちに見られる。



道路にひび割れがあったりマンホールが浮き上がっていたりだ。
古い民家の壁が剥がれ落ちている。

50分歩いて油島駅に到着。

駅はその土地のランドマークなので道路に「●●駅 300M」などの標識があるのが一般的だが、ここのは木陰にさび付いた標識がひっそりと立っている。



車なら気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。
駅舎の壁に時計があるのだがちゃんと正しい時刻を指していた。



無人駅でもこのようにしっかりと管理されているのは頼もしい限りである。

油島駅11時55分 - 石越駅 12時45分 約4.2Km

油島駅前のマンホールは20センチほども浮き上がっていた、3月11日の地震ではどれだけの揺れだったのだろうか。



油島駅は典型的な無人駅だった、腰の曲がったお婆さんが杖をつきながらプラットホームに階段を登ってきた。
足が悪いらしくて、たった10段の階段を登るのもつらそうだった。



帰りの列車なら向かいのプラットホームに降りて跨線橋を上り下りしなければならないハズだ、ひとけのないこの駅では手伝ってくれる人もいないだろう、他人事ながら気になる。

駅の写真を撮っただけでまた歩き出す。

しばらく歩くと満昌寺という寺の前を通り過ぎる。



この時期はどこへ行っても花が咲いているので、シャッターを押す回数が増える。

いつの間にか宮城県に入っていた。
足元を見ると「いしこし」のマンホールがあった、ここでは液状化が無かったようだ。



歩いていると地震の影響を大きく受けた地区とさほど受けなかった地区があるのがよく分かる。
地震での家屋の倒壊はなかったようだが屋根瓦が落ちたり壁が崩れたりしている家はあちこちにある。
農家の古い倉庫などで「これなら震度4で壊れてしまいそうだなあ」と思うような建物がなぜか壊れずに残っていたりする。

歩いているとサビついた線路があった。



昔の工場への引込み線だろうか、ちょっと不思議だ。
12時45分に石越駅に到着した。
ここまで約2時間を休憩なしで歩いたが、ここまでは疲れも感じないし足が痛くなるということもなく順調だ。
石越駅は新しい駅舎を建設中でプレハブの仮駅舎での営業中だった。



ここは無人駅ではなくちゃんと駅員さんがいるのだった。

駅前にはタクシーが2台客待ちをしていた。
駅前を見ると昔は旅館だったのではないかと思わせる大きな木造の建物があった。



ふと見ると真新しい「くりはら田園鉄道 石越駅跡」の石碑が建っている。



そこはプラットホームのあったところで、そこから先ほど見かけた錆びて途中で途切れているレールが続いているのだった。
くりはら田園鉄道は2007年まで営業していたらしい、地方の私鉄が消えていく中ではがんばった会社なのだろう。



駅前の通りは人影が無い。
黒い猫がゆっくりと道を横切っていった。


石越駅 12時50分-新田駅 15時25分 約8.9Km

石越駅を過ぎたころから足に痛みを感じるようになってきた。

内腿が痛いのだ、ちょっと休みたいと思い駅に程近いホームセンター「ホーマック」のところへ歩いた。

栗原市の標識がある。ちかくには「チャチャワールド」という施設もあるらしい。
ホーマックの店舗前にはベンチがあり自動販売機もあった。
日差しが強くなってきて水分の補給をしたいところだ。
ところがベンチに中年男性がひとり座っていてどうも挙動がおかしいのだ、ひとりなのに大声で叫んだりしている。
近づきたくない雰囲気だ。
ベンチに座ることも出来ずその場を離れることにした。



石越駅から今日の目的地である新田駅までは9キロほどもあり長い道のりだった。

しかも日差しが強い、晴れているのはうれしいが暑いのはしんどい。
歩く速度がだんだんと遅くなっていくのが自分でも分かる。
田んぼの中のあぜ道を歩く。



こんな道は道路地図には載っていないのだが帰宅してからGooglマップで検索したらしっかりとルートが表示されたのには驚いた。



歩きでの旅にはこのGooglマップをプリントして持ち歩くのがベストだとあらためて認識した。
道路地図には田んぼのあぜ道などは載っていないのだった。

途中道幅の狭い踏切を渡る、草に覆われているがかろうじて車の跡が残っている。



線路脇の舗装されていない道を歩く。
歩く旅の場合は国道や県道のように交通量の多い道路よりこのような道のほうが快適である。
若柳大橋を渡ると「水辺の町わかやなぎ」の看板が見える。



迫川の河川敷を歩く。



歩き終えてからGooglマップで見ると今回も遠回りをしてしまったようだ。



ここから国道398号線を歩いたのだが、歩道が無いのに車の量は多いしでヒヤヒヤさせられる。
そうしているうちに登米市の標識があらわれる。



裏側を見ると栗原市と書いてある。
「水辺の町わかやなぎ」はいったいどこからどこまでだったのだろうか。

ここもそうだがほとんどの橋に大きな段差が出来ている。
大きな段差は20センチほどもあったから地震直後は車が通ることが出来なかったのではないかと思う。

やっとJR新田駅の案内標識が見えてきた。



伊豆沼といえば渡り鳥などが豊富で自然観察によいところなのだが、すでに疲れ果てていてサンチュクアリセンターへ向かうだけの気力がない。



遠くから施設の外観だけ撮影する。
やっと新田駅に到着だ。午後3時25分だから今日は4時間半ほど歩いたことになる。





もう一駅歩いて距離を稼ぎたいところだが暑さのせいもあり体力が残っていない。

JRで花泉駅まで戻る。



4時間以上もかかった距離を電車は15分もかからず走り抜けてしまった。

車に乗り込みエアコンをめいっぱい効かせて、汗だらだらになりながら歩いた道を今度は車で走り抜ける。

思えばずいぶんと無駄なことをしているものだ。
一度歩いてから、そのコースを電車で出発地点まで戻り、さらに車で同じコースを通るのだ。

新田駅近くの伊豆沼の駐車場に車を停めて今夜はここで車中泊をすることにした。
汗で身体がべとべとだから風呂に入りたいが近くに温泉はないようだ。
夕食はインスタントラーメンと鯖の味噌煮の缶詰だけ。
昼食を食べずにせんべいをかじりながら歩いたからさすがに空腹だ。

車は軽自動車なので狭いのは覚悟をしていたが、後部座席がほとんどリクライニングしないタイプなので足を伸ばして寝られないのはつらい。
一泊だけなら我慢も出来るが数泊となると無理がある。
テントも持ってきたが設営と撤去が面倒で車で寝ることにする。

わびしい夕食が終わりシートを倒して横になる。
眠ろうと思ったらどこからか「ブォー、モー」と牛の声が聞こえてくる。
「うんっ? この回りに牧場は無かったはずだが?」
しかもなぜ夜中に牛が鳴きだすのだろうか?

なんと伊豆沼にはウシガエルが生息していたのだった。
わたしの田舎にはウシガエルは生息していないのでウシガエルの声を聞くのは初めてだ。

かなりうるさいということは知っていたが、たしかにこれは「騒音」である。
こんなのが家の周りに棲んでいたらやかましくて眠れないだろう。
あまりの騒音に耐え切れず別の駐車場に移動したのだった。



16日目 渋民駅ー岩手川口駅

2012年03月24日 | 東北本線 盛岡駅~八戸駅
16日目

2011年5月26日  渋民駅ー好摩駅ー岩手川口駅(約11.5Km)

東北本線に沿って盛岡から青森方面を目指して歩いている。

4月に痔の手術をしたのだが経過は順調だ。
だが医者には7月までは無理をしないようにと言われている。
気を抜いて酒を飲んだり無理な運動をしたため傷が開き大出血をして死にかけるようなこともあるのだそうだ。

経過を見るために7月までは通院が必要だと強く念をおされた。

そんなわけで自宅からそう遠くないところを歩こうというわけである。
経過はよいと言ってもやはり歩いていると少々痛みがある。
歩けばお尻の肉と皮膚が動き、手術した部分がこすれあうような感じで痛みがあるのだ。
そのため尻をかばって歩く姿勢になるので、歩き方は「すり足」状態になってしまう。
歩幅を大きくして元気よく歩くことが出来ないのだ。
まんいち具合が悪くなったらすぐに帰宅しよう。

さて、今回は渋民駅から岩手川口駅まで歩く予定である。
天気は快晴で絶好の散歩日和である。

自宅をバイクで出て北に向かい渋民駅まで行く、午前10時10分に渋民秋に到着。
駅前の駐車場にバイクを停めて歩き出す。



田植えの終わった田んぼに残雪の岩手山が映える。



線路に沿って防雪林が続く。



このあたりは岩手山方面からくる吹雪が鉄道運行の妨げになるので東北本線沿線西側にはこのような防雪林がある。



ところどころに新奥の細道の案内表示がある。



これなら迷わず歩けそうだ。
『夜更森』なんてちょっと魅力的な名前のところもある、往復6キロだ。



車なら気軽に立ち寄れるのだが歩きでは寄り道は決断がいる。
今回はパスしてそのうち車で来てみようと思う。



この川は八幡平の松川から流れてきているものだろう。



そうだとすれば40年ほど前までこの川は赤茶色に濁っていたはずだ。
当時は八幡平の硫黄鉱山の排水で川が汚染されていたのだ。

好摩駅が見えてきた。
東北本線が電化されるまでこの駅には蒸気機関車が何台も並んでいた。
この駅は東北本線と花輪線の接続駅だし、東北本線はこの先の奥中山駅までの長い登り坂がある。
花輪線も八幡平方面への長い登り坂があるので、この好摩駅で蒸気機関車を連結してから山を登るのだ。

奥中山でも花輪線でもSL三重連はよく見られたものだった。



電化されて蒸気機関車の姿が無くなった好摩駅は広すぎる構内をもてあましているように見える。
駅前にある、その昔は旅館だったと思われる建物。



遠方から列車で来て、その日に接続列車が無ければ駅前の旅館に泊まることになるのだから主要駅の駅前にはこのような旅館があった。
そういえばこの駅でも「駅弁」が売られていたはずだ。蒸気機関車も旅客もいなくなったいまの様子からは想像することもむずかしい。

駅舎は新築中だった。



以前のちょっと裏寂れたような感じの駅舎の雰囲気は好きだったがこれも時代の流れだろう。

駅舎の写真を撮るだけにして北に向かって歩く。



天気は上々だが歩いていると日差しが強いのがちょっとツライ。

最近はあまり見かけなくなった『この先踏み切り』の表示。



錆び具合とSLの絵が年代を感じさせる。




遠くに姫神山を望む、菜の花の黄色と牧草の緑が鮮やかだ。

ときどき電車が通る。ついカメラを向けてしまう。





マンホールの蓋を見つけるとシャッターを押す。



すずらんが名物ということなのだろうか、中央の絵は姫神山をデザインしたものだろうな。

この辺は国道4号線からかなり離れたところに線路がある。
線路沿いにある道は舗装はされているが農道のようで車も人も通らない。

畑と田んぼが続く道を歩いていくと、いきなり道が行き止まりになってしまった。

どうやら崖崩れが多発するので工事を途中で止めたという感じだ、どうりで人も車も通らないわけだ。

引き返すのもイヤなので岩がごろごろしているけもの道を抜けていく。

やっと岩手川口まで来た。
山桜が「はい、見ごろは今日までですよ」と言いながら咲いている。



北東北の春は終わり、これから夏に入っていくのだ。



岩手川口駅に到着。
昔風の駅舎である。意外に感じるほど駅前の広場が広い。



駅にも駅前にも人影が無く静かだった。



電車で渋民まで戻る。








15日目 厨川駅ー渋民駅

2012年03月22日 | 東北本線 盛岡駅~八戸駅
15日目

2011年5月23日

厨川駅ー巣子駅ー滝沢駅ー渋民駅(約11Km)

2010年は盛岡を起点として歩き始めて、なんとか宮城県の県境までたどり着いた。

さて2011年はなんとか仙台まで行きたい。できることなら福島あたりまで行けたらいいなあと考えていたら・・

3月11日に突如として大地震。
『東日本大震災』が発生したのである。
さいわい家族や親戚にも被害は無くみんな無事だったし自宅もまったく被害がなかった。
停電もあり電話もまったく通じない日が続いたのでみんなのことが心配だったのだが、列車もバスも運転中止だしガソリンが無いため救援に駆けつけることも出来ず、ただラジオの情報に聞き入るしかなかったのだった。

それにしても地震と津波のために2万人近くの人の命が一瞬にして奪われるとは、なんということであろう。

震災後も数ヶ月間は余震が続いた。
とくに3月は数時間おきにグラグラっとくるで不気味で落ち着かなかった。

今年に入ってからお尻の具合が悪くなってきていた。
薬でなんとか誤魔化していたが痔の症状は悪くなるばかりで、痛みのために歩くことも座ることもままならない状態になった。

意を決して4月初めに痔の手術をした。
手術後は散歩なども出来ない日々が続いていたが、5月に入ってから近所を少し歩いたりして身体を慣らしていた。

あまり暑くならないうちに東北本線沿線を歩く旅を再開したい。

そこでIGR岩手銀河鉄道を北に向かって歩いてみることにした。
東北新幹線の八戸までの開業に伴いこの路線が民営化されたが、2002年まではJR東北本線だったのだ。
もっとも私の年代のものには『国鉄、東北本線』と言ったほうがしっくりくるのだが。



10時30分に厨川駅から北方面へ向かって歩き出す。
10分ほど歩くと厨川の新幹線の跨橋線を渡る。



東北農業試験場の脇を通ると菜の花が満開だった。



線路沿いを巣子方面へと歩く。

その昔ここは狭い道路で車もほとんど通らなかった。



この葉の木沢踏切はその当時は車がやっと一台通れるだけの踏み切りだったが今は改修されて広くなっている。
まわりは住宅地になってしまったが田んぼや畑も残っているので田植えをする姿を見かけた。
国鉄時代にはなかった新駅『巣子駅』に到着。



最近の駅は地区の集会所も兼ねた造りになっているのがある。
駅を新設する為に税金を投入しているだろうから、多目的に使えるようにしようということだろう。



滝沢東小学校前を通る。町の中心部は学校を建てるだけの広い土地が無いこともあり最近の学校は住宅地からかなり離れたところに建っている。通学する子供たちは大変だろうと思う。

そうこうしているうちに『滝沢駅』に着いた。






正午になったので駅前のローソンでサンドイッチを買って食べようと思ったが座れる場所が無い。



サンドイッチを持ったままトボトボと歩き出すことになった。



左手に残雪の岩手山と『岩手県立大学』を見ながら進むと『森林公園』があった。





この公園の中へ入ると実に静かだし、外の日差しがウソのように涼しい風が吹いている。



ベンチに腰掛けてサンドイッチをほおばる。

昼食休憩を終えて元気を取り戻したので歩きだす。
しばらく行くと『盛岡大学』の前を通り過ぎる。



県立大学といい盛岡大学といい盛岡市の中心部からはずいぶん離れて建っている。
県立大学は滝沢駅から歩いて行ける距離だが盛岡大学は遠い。
このあたりは冬は積雪も多い、ずいぶん不便なところに大学を造ったものだと思う。



やっと渋民駅に着いた。





ここは詩人、石川啄木の故郷だ。



渋民駅は町の中心から外れた不便なところにある。
これだと利用する人は少ないだろうなと思わせる駅だ。
だが観光地だからなのか無人駅ではないのだった。
駅前には清潔なトイレも整備されている、新奥の細道の案内板もある。

プラットホームには石川啄木の顔出し看板があった。



かなりショボイ感じだが記念に写真を撮るものいいかも。



IGR銀河鉄道で厨川駅まで戻る。






14日目 一関駅ー花泉駅

2012年03月20日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
14日目 

2010年9月18日 

一ノ関駅⇒有壁駅  約 7.5Km 有壁駅⇒清水原駅 約4.4Km   清水原駅⇒花泉駅 約4.0Km

いよいよ岩手県の南端に向かう。

早起きして盛岡駅からの7時17分発の一関行き電車に乗り込む。



今回もきっぷは「いわてフリーエリアきっぷ」である。
大人の休日倶楽部利用なので運賃1100円。
ふつうにきっぷを買えば片道1890円なので7割引ほどである。
「この程度の運賃ならば普段の旅行でも車を使わずJRを利用するのだがなあ」
と、乗客のほとんどいない電車の中で考えた。



一ノ関駅には9時前に着いた、さっそく有壁駅を目指して歩き出す。



マンホールの蓋の写真も撮影する。



しばらくは東北本線と東北新幹線が平行して進むが新幹線はトンネルに入り直線のコースを取る。
東北本線は東方向へとカーブしている。

この地区は岩手県と宮城県が入り組んでいる、
東北本線は岩手県からいちど宮城県へ入り宮城県の有壁駅へと向かう。
そしてまた岩手県の清水原駅、花泉駅、油島駅を経由してから宮城県へ入っていくのだ。

やっと東京から400キロの地点まで来た。
すでに田んぼは稲穂が実るシーズンになってしまっている。
「鬼死骸」というすごい地名だ。



宮交(宮城交通)バスのエリアに入ったことで「宮城県まで来たんだぞ」という思いが強くなる。
「奥州街道踏切」 奥の細道とか新奥の細道、奥州街道という看板はあちこちで見かけた。

旧道だけを歩く旅というのも面白そうだなと思う。

青空にすすきが映える。



盛岡から岩手県南端まで110キロほどだが、それを2週間もかけて歩いてきた。
健脚の人ならば3日か4日間で歩きとおす距離である。
散歩の延長として始めたとはいえあまりにペースが鈍い。

10時40分に有壁駅に到着。



ずいぶんと小さな無人駅だ。



だがプラットホームは立派な3面、今は真ん中の1面は使われていなかった。



駅前に「北海道屋商店」という酒、食料品のお店があった。



北海道出身の人が経営しているのだろうか。

マンホールのデザインは(たぶん)塩を運ぶ馬の絵柄だ。



奥州街道は塩の道でもあったに違いない。

清水原駅を目指して歩く。
車はたまにしか通らないし緑が多いので気持ちよく歩ける。
途中で岩手県のエリアに入る。



次の清水原駅、花泉駅、油島駅は岩手県のエリアの駅だ。



もう刈り入れを済ませた田んぼもあった。
見ると神社に祭りの幟が立っている。



そういえば秋祭りの季節である。



さわやかな秋晴れだが歩いているとやはり暑い。



11時45分に清水原駅に到着。



ここも無人駅だ、駅舎のベンチで15分の休憩とする。



次は今日の目的地の花泉駅だ。



「かさこじぞう」が道行く人を見守っている。



現代のかさこじぞうはコンクリートの台座にしっかり固定されてしまっている。
これでは雪の日におじいさんのところへ米などを持っていけないではないか。
真新しい「まめしぼりのほっかむり」がよく似合っている。

日差しが強くなってきたので傘を差しながら歩く。



自動販売機でお茶を買って歩きながら飲む。



12時50分に花泉駅に到着。



時間に余裕があるのでもう一駅歩こうかとも思ったが、日差しが強くて歩くのがしんどいので今日はここまでとする。



岩手県南端の駅は花泉駅ではなくて油島駅なのだが、無理をせず帰路につくことにした。

花泉駅から盛岡駅への直通列車は無い、一ノ関駅で乗り換えだが時間があるので駅そばで昼食にする。





岩手県の南端まで来たということで、今年の東北本線沿線を歩く旅は終わりにする。来年はこの駅から仙台駅まで歩く計画だ。

13日目 前沢駅 ー 一関駅

2012年03月17日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
13日目
2010年9月12日 前沢駅⇒平泉駅 約8.6Km 平泉駅⇒山ノ目駅 約4.8Km 山ノ目駅⇒一ノ関駅 約3.5Km

前回から2週間もたってしまったが今日も「岩手フリーアリア切符」を買って出発。

東北新幹線が開業してからというもの仙台、東京方面へ行くときは新幹線を使うのが普通になってしまってる。
普通列車で東北線を”長距離”乗るのは数十年ぶりだ。
座席がベンチシートなのは仕方ないのだが1時間も座っていると少々くたびれる。

前沢前に着いたのは10時20分だった。
天気は雨が降りそうな曇りなので暑さもさほどではない。

駅前にアスティ南公園というのがあり、見るとトンボのようなモニュメントがある。



若い女性にトンボの羽を着けたようなメルヘンチックなものだった。

線路沿いに道が無いので国道4号線を南へと歩く。
交通量の多い国道を歩くのは騒音と排気ガスがすごい。
途中で国道から東北本線に沿って走る小さな道へ向かう。
北上川沿いの農村地帯なのだが、過去になんども洪水の被害にあっている地区だ。



見ると民家の壁に過去の台風の時の洪水の水位をあらわす表示があった。
昭和22年の洪水では約2メートルの浸水があったようだ。



白鳥館遺跡というのもあった。
その昔はこの道が大きな街道だったのだろう、大きな古い民家が並ぶ通りだ。

しばらく行くと「牛の博物館」というのがある。



ここは有名なブランド牛「前沢牛」の飼育が盛んなところだ。

曇っていた空から雨が落ちて来たと思ったらかなり強く降りだした。



傘は持ってきたが風もあるのでズボンと靴が濡れる。
雨宿りできる場所はないし、雨もすぐにやむ気配はないので歩き続ける。
膝から下はびしょびしょになってしまった。

平泉バイパスに出る「東京まで451Km」の標識がある。



平泉の町中へ入る。

訪れたときはまだ世界遺産に登録されていなかったのだが、平泉は2011年6月に悲願の世界文化遺産登録となった。

このことは2011年3月11日の東北関東大震災で落ち込んでいた岩手の人たちに、おおきな励ましになったのだった。



平泉町へ入るころやっと雨が止んだので平泉の中尊寺へと参道を登る。



基本的には東北本線沿いを歩くだけで「寄り道」はしないつもりだったがまあいいだろう。



12時20分から1時間を中尊寺の見学で過ごす。
中尊寺へ来たのは数十年ぶりである。



地元の人間なのだがいつも遠出をするときは高速道路を利用していたので平泉は素通りしていたのだった。





雨に濡れた木々の緑が鮮やかだ。

中尊寺から下山してすぐにあるのが中尊寺踏切だ。



途中右に「無量光院跡」を見ながら駅方面へと歩く。





午後2時に平泉駅に到着。



平泉駅は博物館か資料館といった雰囲気の外観の建物だがちょっとそっけない感じを受ける。
ここの駅でも駅前の郵便ポストに地元ゆかりのものが乗っかっている。



サイズが大きすぎてポストからはみ出しているぞ。



駅には「弁慶の力餅」というのも展示してある。
下の台座(三宝)も含めて160キロもあるのだそうだ
恒例の春の藤原まつりではこれをもって歩く距離を競うのである。



今日も昼食はラーメンである。
私はグルメではないので食べ物にはこだわりが無い。
旅行のときには地元の名物料理を味わうことを楽しみにしている人も多いのだが、私は牛丼、ハンバーガー、ラーメンのような「早い、安い、(できることなら美味い)」もので満足である

午後2時30分に駅前の食堂で500円のラーメンを食べ終えて歩き出す。



また国道4号線を離れ東北本線沿いに歩く。
農道らしく歩いている人もいないが車もまったく通らない。
砂利道だが静かだし歩きやすい。

しばらく歩くと左手に堤防のようなものが見えてきたので登ってみる。
そこは北上川の氾濫を防ぐための長大な堤防だった。



堤防の内側には広大な田んぼが広がっていた。

あの田んぼの向こうに北上川が流れているはずである。
ということは過去の洪水のときはこのあたり一面が水の下だったということだなあ。
その洪水を防ぐために高さ10メートル以上もある堤防を何キロにもわたって造ったということだ。

堤防を歩いていると右手に山ノ目駅が見えたので堤防を降りて国道4号線へと出る。
午後3時30分に山ノ目駅に到着。



小さいが清潔な感じの無人駅だった。

また雨が降ってきた、雨の中を歩くのはしんどいが一関までは歩きたい。
山ノ目駅の写真を撮って国道4号線に戻り小雨の中を一ノ関駅を目指して歩く。
ここにも過去の台風での洪水水位をあらわす表示があった。



あの堤防と上流のダムがなかったら今でもこの町は洪水の脅威にさらされていたのだろう。



一関市内に入り磐井川を渡る。
ここで松尾芭蕉が休んだという。



松尾芭蕉は当時の江戸から平泉まで来て、さらに日本海側へ抜けて金沢方面へと向かうのだ。
もちろん道路は舗装などされていないし山道はある。
コンビ二もビジネスホテルも無いので野宿もしなければならないだろうし、うーむ大変だったんだなあ。

一関市内で見かけた電話ボックス。



電話機側に寄りかかったら傾いて川に落っこちそうだな。

マンホールの蓋もパシャ。





午後4時15分やっと一ノ関駅に到着。



東北新幹線の青森まで開通があと77日にせまっている。

一ノ関駅から盛岡駅まで電車で帰る。



12日目 水沢駅ー前沢駅

2012年03月15日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
12日目

2010年8月29日(日) 水沢駅⇒陸中折居駅⇒前沢駅 約11.2Km

前にも書いたがこの歩き旅は朝に自宅を出て『出発駅』まで行き、その出発駅から歩き出すという方法をとってきた。

これはずいぶんとムダの多い旅である。
「お散歩気分」で始めた歩き旅なので最初のうちはそれでもよかったが、”歩き始める駅”が自宅からどんどん遠くなるのだ。

このやり方で歩き旅を続けていけば・・
『盛岡から新幹線で大宮まで行き、新幹線を降りて在来線の駅まで行き、その駅を起点に3~4つ目の駅まで線路沿いに歩く。
そして在来線で大宮駅まで戻り、さらに新幹線で盛岡まで戻って帰宅する。』
などという実にばかばかしいことになりかねない。

歩き旅は目的地に向かって一直線に進むのがもっとも効率が良いし普通のことなのだ。

きっぷを買う場合でも目的地まで通しで買うのが安上がりである。
2-3駅歩いてはJRで起点にした駅まで戻る、という方法ではJR運賃はえらく割高になってしまう。
だが、きっぷには有効期間があるのでいまのような歩き旅のやり方ではそのつど購入するしかない。

「小さな旅ホリデーパス」というきっぷがあるのを知った。
岩手県内のフリーエリアのきっぷだと、運賃は大人の休日倶楽部利用で1100円とずいぶんとお得である。
きっぷは土曜、日曜日限定で当日限り有効なのだがとにかく安いのは魅力だ。
これを利用しないテはない。



盛岡駅で「小さな旅ホリデーパス」1100円を買って午前8時8分発の上り列車に乗り込む。



1100円で県内のほとんどの路線が乗り放題だからお得である。



このきっぷがなければ車で水沢駅まで行くつもりだったのだ。

午前9時15分に水沢駅に到着。
運転して来たわけではないから疲れも無い。
駅舎の前にあった郵便ポストには大きなパラボラアンテナが乗っている。
水沢には国立天文台水沢観測センター(水沢緯度観測所)があるのだ。



水沢市は鋳物の町でもある。



鉄製の南部風鈴がチリンチリンと涼しげな音を奏でている。

駅構内の写真を撮ったりしてから歩き出す。

すでに8月の末なのだが日差しは強く、傘を差しながら歩かないと顔も腕もひどい日焼けになってしまう。

踏み切りを渡るときには写真を撮るようにする。



踏切には東北本線の起点駅からの距離が書いてあるので、歩いた距離もわかり励みになる。

この区間は北上平野なので岩手県内ではめずらしく線路はまっすぐに伸びている。



水沢駅と陸中折居駅の区間は5キロと短い。

10時40分には陸中折居駅に着いた。



無人駅でほんとうに小さな駅だった。ここで30分ほど休憩する。



ときどき貨物列車が通過するが客の姿はない。



駅前にあった自動販売機でペットボトルの水を買って一気に飲んでしまう。



駅前も「駅前」という感じはしない。
商店もなくて静かな田舎のたたずまいである。

11時5分に前沢駅に向かって歩き出す。

「おりい しゅうはい」と書いてあるマンホールの蓋



暑さで汗が噴出しシャツがびっしょりと濡れている。
ときおり風が吹くとすこしは汗が引くがとにかく暑い。

利中折居駅と前沢駅間も5.2キロなので12時11分には前沢駅近くの大型ショッピングセンターのジャスコに着いた。



店の中へ入ると冷房が効いていて身体中の汗が一瞬で引いてしまう、外は暑いが中は寒いほどでその温度差に身体がついていかない。
店の入り口に立って外の暑い風と中の冷たい風を調整しながら「涼んだ」。



ジャスコの隣に「ふれあい交流館」という施設があり、中にラーメン店があったのでここで昼食にする。



昼食を終えて数分歩き前沢駅には午後1時20分に到着。




前沢町は現在は奥州市の前沢区となったのだ。
この町のブランド牛である『前沢牛』がマンホールの蓋にデザインされている。



別なマンホールの蓋にはキジの絵が描かれていた。



あまりの暑さにこれ以上歩く気力が出なくなってしまった。



前沢駅を午後1時30分の普通列車に乗って盛岡駅まで戻ることにする。


11日目 六原駅ー水沢駅

2012年03月13日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
11日目

2010年8月26日  六原駅⇒金ヶ崎駅⇒水沢駅 約11.9Km

今日も車で六原駅まで行く。
六原駅前に車を停めてから金ヶ崎駅に向かって歩き出す。

自宅を出るのが遅かったものだから出発が12時30分になってしまった。
そのため一日のうちで最も暑い時間帯に歩くことになった。

東北本線と国道4号線が平行して走っている。
国道を歩くのは好きではない。
大型車がひっきりなしに行きかい排気ガスと騒音がひどいので、歩いていると気分が悪くなってしまうのだ。

「男のロマン」と書いた看板がある。



農機具を販売しているところなので「農業は男のロマン」と言うことだろうか。
昔は農家にはロマンが無かった。
貧しくてツライ農作業を嫌ってみんな関東地方へ就職したものだった。
40年前のあのころに比べれば機械化されて仕事は楽になっただろうが、それでも農業にロマンを感じる若者は少ないんだろうなと思う。

マンホールの蓋の写真を撮る。



金ヶ崎町の町の鳥は「やまどり」だがこれはヤマドリなのだろうか、キジにも見えるがよくわからない。

六原駅と金ヶ崎駅は約3.4キロと近いので午後1時15分には着いてしまった。



金ヶ崎駅はかなり大きな駅舎でまだ真新しいのだが客の姿は見えない。

駅の表示がなければ大きな公民館と間違えてしまいそうだ。
駅前は商店街というものも無くて静かなものだ。
ここでは駅舎の撮影をしただけで歩き続ける。

駅前にあった古いたたずまいの商店。



木製のガラス戸が昔を思い出させる。


歩いていると「奥州市」の表示が見えてきた。
私には市町村合併で出来た新しい市町名にはすぐに馴染めなくて、つい「水沢市」と古い市町名で呼びたくなる。





いつのまにかコスモスの咲く季節になってしまった。



胆沢城跡の脇を通る。



史跡といってもなにか建物とかが残っているわけでなく、ただの原っぱだから案内表示が無ければ知らずに通り過ぎてしまいそうだ。

今日も快晴で暑い。
つい自動販売機へ手が伸びてジュースを買ってしまう。

日除けに「雨傘」をさしながらとぼとぼあるくおっさんの姿はかっこよいものではない。
さいわいいなことに人通りはまったくといってよいほど無い。
これならTシャツを脱いで上半身裸で歩いていたとしても誰にも見咎められることがないだろうなあ。

水沢市内いや『奥州市内』に入ってきた。



道路標識の柱がなかなか凝った作りになっている。

日差しが強く暑さに体力が奪われていくのが分かる。



水沢市の防火水槽の蓋。



うん、これはわかりやすい絵柄だ。

水沢では春に「日高火防祭り」が行われる。
かなり以前に見に行ったことがあるが、小太鼓を叩く小さな女の子がお雛様みたいに並ぶ囃子屋台が町中を練り歩く情緒豊かな祭りだ。

金ヶ崎駅から歩いた距離は8キロほどだと思うが、あと2キロで水沢駅というあたりから足が思うように前に進まなくなった。
「急ぐ必要はないのだ、ゆっくりでいいから歩いていればそのうち着く」と自分に言い聞かせるようにしてノロノロと歩く。

駅が近くなり「おとめばし」を渡る。



なかなか風雅な名前の橋である。

暑い時期に歩くというのは本当につらいものだ。
やっとの思いで午後3時に水沢駅に到着。





自宅への帰り道の屋台でスイカを買う。



急ぐ旅ではないといっても一日の歩く距離が10キロ程度では最終目的地の東京に着くのは何日目になることやら。
やはり一日あたりの歩く距離の目標を20キロ以上にしなければならないなあ。





10日目 村崎野駅ー六原駅

2012年03月11日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
10日目

2010年8月20日  村崎野駅⇒北上駅⇒六原駅  歩いた距離 約14.9Km

この夏の暑さは最高潮になり身体がバテてしまい、だらだらと過ごしているうちに8月20日になってしまった。
このままではイカンと気を引き締めて?また歩き旅へと出かけることにした。

出発地点の駅がだんだん遠くなるのが悩みだ。
オンボロのバイクではとてもじゃないが遠すぎるので、今回も車で出発する。

村崎野駅近辺には駐車できる場所がなかったので、かなり離れた国道4号線沿いにあるパチンコ店の駐車場に車を停めた。
そこから駅まで歩き、駅を出発点として11時10分に歩き出した。

春木場踏切を通ると東京より490Kmの表示がある。
やっと東京まで500Kmを切ったのだ、まだまだ先は長い。



暑さもあって田んぼの稲の生育状態はよさそうだ。
黄金色というにはちょっと早い気がするが稲穂が重そうにたれている。



北上市へと入っていく。



消火栓のデザインが面白い、擬宝珠の形をしているのだ。
伝統芸能の盛んな古くからの町らしいイキなデザインだと思う。



マンホールの蓋もカラフルである。
中心部に『北』の市章デザインしたもので、市の花であるヤマユリと市の鳥セキレイが描かれている。



そして昔はあちこちで見かけた古タイヤを利用した「交通安全ロボット?」。
当時もかっこいいとは思えなかったが、いま見るとものすごくダサイのであった。

北上市は人口9万4千人の大きな町だが駅前は裏寂れた雰囲気だった。



駅前通が繁華街だった時代はとっくに過去の時代になっている、花巻市でもそうだったが郊外に大型ショッピングセンターが出来ると個人商店だけの駅前商店街はひとたまりもない。



12時15分に北上駅に到着。



駅のルビーでは伝統芸能の『鬼剣舞』の像が迎えてくれる。



北上駅で昼食にする、食べるのは相変わらず駅ソバなのだが今回はちょっと贅沢して卵を入れた。

食事をして30分ほど休んだ後は六原駅に向かって歩き出す。
しばらく歩き九年橋という橋を渡る。



明治9年に造られたから九年橋というのだそうだが、昭和9年に架け替えたのだという。
ずいぶんと9年ということにこだわったものである。



だが、橋には「くねんばし」と「昭和八年竣工」というプレートが着いているぞ。
それなら『八年橋』と名前を変えればよかったのに。



そこをすぎると「奥州街道・鬼柳関所跡」というのがあった。



生まれてからずっと岩手に住んでいるので「奥州街道」という名称は知っていたのだが、どの道が奥州街道なのか興味がなかったが思わぬ発見だった。





ここが南部藩と伊達藩の藩境だったのだ、昔の藩境と現在の県境とはずいぶんと離れているのだなあ。



しばらく古い民家の並ぶ旧街道を歩き途中で国道4号線へ出て六原駅の案内標識を探す。



今日の天候は晴れ、暑さがこたえる。

折りたたみ傘を日よけ用にさして歩いているのだけど短パンの足の部分には容赦なく陽が当たる。

帰宅してから足を見たら膝から下がしっかりと日焼けしていた。



午後2時20分に六原駅に到着した。
ここもこじんまりとした駅である。
六原駅には駅員がいるのだが窓口にはいなくて奥で休んでいるようだった。
券売機で切符を買って列車を待つ。

駅構内にあったかなり昔の案内表示板。



上半分は壊れているが「仙台・上野方面」と書いてある。
手書きの文字が時代を感じさせる。

ああ、そうだったんだよなあ。
新幹線が開通して東京駅が上りの終着駅になるまでは、在来線の上り列車の終着駅は「上野駅」だったのだ。





9日目 花巻駅ー村崎野駅

2012年03月08日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
9日目

8月4日 花巻駅⇒村崎野駅  歩いた距離 約9.5Km

花巻駅は自宅からだと約40Kmある。
これだけ遠いとミニバイクではツライので車で行くことにした。
駅前には有料駐車場しかないので駅から徒歩10分ほどのイトーヨーカドーに車を停めてから駅まで歩いてそこからスタートする。
あくまで駅を起点に歩く旅にこだわろうと思う。
歩き終えたらイトーヨーカドーで買い物をしてから帰る予定である。

午前11時にスタートする。
今日も暑い。



暑い日の暑い時間帯に歩かなければ良いのだが、なにぶん朝寝坊なのでこんな時間になってしまうのだ。

僕は暑いのは好きなのだが熱中症にならないようにと、ペットボトル入りの水を持ち常に水分補給するようにした。
線路沿いの道がなくてしばらく国道4号線を歩く。



ここから東京まで498Kmの標識があった。
盛岡からスタートしてすでに9日目なのにまだ40Kmほどしか進んでいないのだ。



美しいデザインのマンホールの蓋。
「しゅうはい」と書いてあるがいったい何を集配するのだろうか。

国道4号線を離れて旧道を歩いていたら宮沢賢治の詩碑と、同心屋敷という案内板があったが時間がもったいないので寄らずに歩く。
ところが途中で違う方向へ歩いているのだと気が付いた。
鉄道沿線を歩いているつもりだったのにどんどん離れてしまっていたのだ。
このまま気づかずに歩いていたら遠野方面へと向かう道に入ってしまうところだった。
国道4号線方面へと進路を変えて東北本線の高架橋を渡る。



さずがに暑くて着ているものは上から下まで汗でびっしょりだ。
この区間は国道4号線を歩いたほうが距離が近かったのだが、地図を持たずにテキトウに歩いていたせいでものすごい遠回りをしてしまった。



遠くに鉄道が見えていて鉄橋があるようだったので「きっとあの近くに川を渡る橋があるはずだ」と向かった。
だが鉄橋と道路橋は2キロ以上も離れているうえに橋へと行く道がかなりの遠回りだった。
さすがにこのときは途中で引き返そうかと思ったが、もうかなり歩いてきたので引き返すにしても大変だった。



脚が痛くなってきたし日差しは強いしで歩くのを中止したくなってきたのだが、バスが通る道ではないので歩くしかなかった。
歩くペースはかなり遅くなりトボトボ歩きの状態になったが、村崎野駅方面の標識を見つけてそちらへと歩く。
そこからしばらく行くと北上工業団地だった。

ところが・・
工業団地内でも道に迷ってしまった。



北上市のマンホールの蓋。
上下逆に撮影してしまったが中央部のマークは北上の『北』をデザインしたものだ。

うろうろと歩きまわりながらも、どうやら線路らしい方角を見つけたが駅の方向は違っていた。
やっとのことで駅方面への道案内標識を見つけ足を引きずるように歩く。
工業団地の南側に黒沢尻工業高校と伊勢神社があったのだが見学する気力が残っていない。



神社のトイレの外に水道があったので痛みと熱でつらくなった脚に水を掛け冷やす。
ついでに頭から水を浴びる。
なんとか生き返った気分である。

伊勢神社前から村崎野駅まではたったの700メートルなのだが、この短い距離を歩くのがしんどかった。
歩いている姿を見た人は「ずいぶんとダラダラと歩くオヤジだな~」と思われたに違いない。



疲労困憊しながら村崎野駅に着いたのは午後1時30分だった。
たった1駅間の2時間30分しか歩いていないのだが、歩き続ける気力は無くなっていた。
二度も道に迷ったことと暑さによる体力の消耗が原因だろう。



花巻駅までJRで戻り、イトーヨーカ堂の店内へ入ると冷房が効いていて汗が一気に引いてしまった。