この話は早く書きたかったのですが、本が到着したのが遅番勤務の日で、ゆっくり読めたのがそれ以後で、感想をアップするのに時間がかかりました。
著者のスージー鈴木様、遅くなってごめんなさい。
前作の1979年の歌謡曲の感想はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/todochan_1970/e/20213932338b7efa3d28c3eadcba4830
そしてこの本を読む前に昨夏に松田聖子さんのライブに行ったことと1月にit's a Sony展を銀座のソニービルで見たことがプラスになりました。
1984年という年はおしんとスチュワーデス物語の終盤で、ロス疑惑で大騒ぎとなり、都はるみさんが「普通のおばさんになりたい」と芸能界を引退宣言し、グリコ森永事件が発生し、ロス五輪、フライデー創刊、新札発行といろいろあった年でもあります。
出来事は週刊TVガイドの「表紙で振り返るテレビ50年」を参考させていただきました。
私は中学2年生で、中一ギャップが原因で勉強と部活と人間関係で躓き、不登校寸前でした。その心の傷を癒してくれたのが音楽とアニメでした。
傷つきやすい子供だったので生きづらかったけど、理解してくれる家族や友達や先生はいました。
1984年にデビューしたのは吉川晃司さんと菊池桃子さんと岡田有希子さんとレベッカとTMネットワークと一世風靡セピアです。
それ以上にチェッカーズで盛り上がった年で女子も男子もチェッカーズが好きでした。
女性アイドルは松田聖子さんと中森明菜さんの曲で盛り上がっていました。
サザンのファンになるきっかけになった「ミス・ブランニュー・デイ」が出たのも1984年です。
読まれていない方のためにネタバレは避けますが、この年にヒットした曲の8割ほどは紹介されています。マニアックな曲ではビートたけしさんやアースシェイカーというのもあります。
SALLYの「バージンブルー」のようにネット配信で買うことができず、手に入れるのに苦労したのもあると書かれていました。
近藤真彦さんの「ケジメなさい」では平成元年の大みそかの記者会見について書かれていますが、マッチが中森明菜さんを「守れなかった」原因の一つに「あの事務所」の支配者的な人間の言いなりにならざるを得ない状況だったのと解説しています。
岡田有希子さんの話については準地元でいろいろ話を聞かされているので書くと辛くなる話のほうが多いんです。あのころの愛知県は管理教育で先生も生徒も言いたいことが言えない抑圧された悲しい時代でもありました。
わたしはその心の傷を引きずったまま大人になり、結婚したけど向こうの親とうまくいかなかったときにカウンセリングを受け、「自分が中学生の時は管理教育のせいで自由がなかった。今の子が羨ましい」と告白したら、先生から「自分から見て今の子が『自由』だとおもってもその子から見たら『自由』なんてないと思う」と答えてくれました。
その言葉は介護の仕事でも生きています。
1984年の24年後のクリスマスイブに飯島愛さんが変死体で見つかり、翌年にマイケル・ジャクソンが亡くなりました。
本のほうではプリンスが紹介されていましたが、「スリラー」のPVを知ったのも1984年です。
80年代が楽しい時代である反面、犠牲の時代であるとマイケルが亡くなった時にブログで書きましたが、なぜそのようなことを言うのかというと、自分が生きづらい子供時代を送ったのと母方の祖母が81年から88年の11月に亡くなるまで寝たきりの生活をしていて、今のように介護保険のシステムがなかったのできちんとした介護が受けられなかった経験を見ているからです。
飯島愛さんもマイケルも父親との関係がうまくいかない子供時代を送ったことも大きいです。自分の周りに父親とうまくいかないクラスメートがいて、それを見ているせいもあって父親とうまくいかない=性格がゆがんでしまうという偏見で診てしまうこともあります。
最後にどんなにつらくても楽しい音楽と理解してくれる人がいれば人は幸せになると思います。私もそういう経験があっても間違った道に進まなかったのも楽しい音楽と理解してくれる人がいたからです。
最後にこの本は絶対読んでほしいです。あと星野源さんの「恋」のヒットの後でこの本の執筆をしていたら大江千里さんあたりも出ていたのかもしれません。