今日のひとこと。

映画や本のワンフレーズ、また見聞きした言葉を紹介します。たまにグルメ探訪記になったりもします(笑)。

ある年齢を過ぎると、人生というのはものを失っていく連続的な過程に過ぎなくなってしまいます。

2011-08-25 | 小説
小説「1Q84 BOOK2」村上春樹(新潮社)より。

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「チェーホフがこう言っている」とタマルもゆっくりと立ち上がりながら言った。「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない、と」
「どういう意味?」
タマルは青豆の正面に向き合うように立って言った。彼の方が数センチだけ背が高かった。「物語の中に、必然性のない小道具は持ち出すなということだよ。もしそこに拳銃が出てくれば、それは話のどこかで発射される必要がある。無駄な装飾をそぎ落とした小説を書くことをチェーホフは好んだ」
青豆はワンピースの袖をなおし、ショルダーバッグを肩にかけた。「そしてあなたはそのことを気にしている。もし拳銃が登場したら、それは必ずどこかで発射されることになるだろうと」
「チェーホフの観点からすれば」
「だからできることなら私に渡したくないと考えている」
「危険だし、違法だ。それに加えてチェーホフは信用できる作家だ」
「でもこれは物語じゃない。現実の世界の話よ」
タマルは目を細め、青豆の顔をじっと見つめた。それからおもむろに口を開いた。「誰にそんなことがわかる?」


時間と自由、それが人間にとってお金で買えるもっとも大事なものです。

タマルは自衛隊のレンジャー部隊に所属していました。目的の遂行に必要とされることは、迷いなく瞬時に実行するように叩き込まれています。相手がだれであれ、ためらいません。アマチュアはためらいます。とくに相手が若い女性であったりするときには」


「あんたはたった今、二つの重大な間違いを犯した。どういうことだかわかるか?」とタマルが言った。(中略)
タマルは言った。「ひとつは銃を受け取るときに、弾丸が装填されているかどうか、もし装填されていたとしたら銃に安全装置がかけられているかどうかを確認しなかったことだ。もうひとつは受け取ってから、、俺の方にほんの一瞬だが銃口を向けたことだ。どちらも絶対やってはいけないことだ。それから、
撃つ意志のないときは指をトリガーガードの中に入れないようにした方がいい」

いざというとき自分よりルールを優先させることができる。
この世界は金よりもむしろ貸し借りで動いている。
俺は借りを作るのがいやだから、貸しをできるだけ多く残しておく。


一日に一度は洗面所の鏡の前に立ち、弾丸を装填した銃口を口の中に入れた。歯の先端に金属の硬さを感じながら、自分の指が引き金を引くところを思い浮かべた。それだけの動作で彼女の人生は終わってしまう。次の瞬間には自分はもうこの世界から消えている。彼女は鏡の中の自分に向かって言い聞かせる。いくつかの注意すべきポイント。手を震えさせないこと。反動をしっかり引き受けること。怯えないこと。何よりも躊躇をしないこと。

やろうと思えば今だってそれができる。(中略)簡単なことだ。

過去を書き換えたところでだしかにそれほどの意味はあるまい。(中略) 彼女は正しい。過去をどれほど熱心に綿密に書き換えても、現在自分が置かれている状況の大筋が変化することはないだろう。

時間というものは、人為的な変更を片端からキャンセルしていくだけの強い力を持っている。

多少の細かい事実が変更されることはあるにせよ、結局のところ天吾という人間はどこまで行っても天吾でしかない。

もう泣くのはやめよう。もう一度自分を立て直さなくてはならない。ルールを自分より優先させる、それが大事だ。

「幸運を祈ると言いたいところだが、俺が幸運を祈っても、きっと役には立たないだろう」
「あなたは幸運を当てにしない人だから」
「当てにしたくても、どんなものだかよくわからない」とタマルは言った。「まだ目にしたことがないから」

ある年齢を過ぎると、人生というのはものを失っていく連続的な過程に過ぎなくなってしまいます。あなたの人生にとって大事なものがひとつひとつ、櫛の歯が欠けるみたいにあなたの手から滑り落ちていきます。そしてその代わりに手に入るのは、とるに足らないまがいものばっかりになっていきます。肉体的な能力、希望や夢や理想、確信や意味、あるいは愛する人々、そんなものがひとつまたひとつ、一人また一人と、あなたのもとから消え去っていきます。別れを告げて立ち去ったり、あるいはある日ただふっと予告もなく消滅したりします。そしていったん失ってしまえば、あなたにはもう二度とそれらを取り戻すことができません。かわりのものを見つけることもままならない。こいつはなかなかつらいことです。時には身を切られるように切ないことです。

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