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日本会議の中心的役割を担う「神社」――政治に関わるその理由

2016年10月14日 | 国際・政治

安倍内閣の閣僚の75%が極右組織・日本会議の関連団体「日本会議国会議員懇談会」に所属するという。その中心的役割を担っている「神社」。その訳とは、2016年10月9日配信「東洋経済ONLINE」から『神社と政治』の著者・千葉大学大学院人文社会科学研究科教授の小林正弥氏へのインタビューを試みた東洋経済記者・塚田紀史氏の記事を転載させていただき、紹介します。(サイト管理者)


※以下、転載はじめ↓


<神社が「政治的存在感」を増している根本理由>
~日本会議の源流を作り改憲運動で中心的役割~

■塚田 紀史 :「東洋経済」記者

 
世俗とは一線を画すと思われている神社が「改憲署名」の活動をし、日本会議では中心的役割を担っているという。なぜか。『神社と政治』を書いた千葉大学大学院人文社会科学研究科教授の小林正弥氏に聞いた。

■多くの人たちは戦後の神社しか知らない

──神社は個人の信仰や習俗にかかわるだけではないのですね。

最近は伝統的な信仰が衰退している反面、スピリチュアリティや精神性に関心がある若い人も増えている。パワースポットの観点で神社を参拝するという人も増えてきた。そういう新しい関心にも応えることは大事だろう。多くの人たちは戦後の神社しか知らないが、原始神道の時代から今日まで多様な側面を持ってきたし、時代の変化の中で適応し、生成・発展しているのだ。

もちろん戦前の国家神道と今の姿は違う。キリスト教では「世界は神が創造する」とされるが、日本や東洋の思想では生成的な発展という考え方がなされ、それを可能にするのが普通の言葉で温故知新、神社界でいえば『古事記』にある言葉の稽古照今だ。

──稽古照今?

神社にはもともと宗教性がある。個人としての祈りだけではなく、国家や人々のために祈るという機能が神社神道にはある。それが天皇制のような大きな問題につながっていく。その公共性をしっかり見てほしいと神社界は念願している。単に個人の信仰になってしまうのではなく、公共的な機能を回復したい気持ちが神社界にはある。

──氏子が減っている……。

人口が減っている中で、地域の神社における氏神への信仰や先祖に対する信仰が薄れつつあって、復活力は弱い。それに対する方策としては都会に出た人にお祭りに帰ってきて協力してもらう。今までの地域の小さな共同体の中だけではなく、外部の協力を得る形も取りたい。よろず相談の機能を復活させ、丁寧な祈願を工夫していく。そういう魅力づけを通じ、宗教性に目覚め、公共性を自覚してもらうという可能性がある。
 
 国全体を眺め、幾多の社会問題も、モラルや精神性がなくなっているところからきているものが少なくないという認識だ。伝統的な神社にはそれなりの基盤があり、安定性もある。精神性や宗教性の取り戻しに気づいてもらえれば、社会全体の健全な発展にも貢献でき、国民の神道の役割を担える。

──国民の神道?

戦前は国家神道とされ、戦後は国家と分離するとなった。

戦後の神社の政治運動に影響を与えた人に葦津珍彦(うずひこ)氏がいる。神道の公共性を回復するために国家との結び付きを一定程度回復させようとした。神道政治連盟の結成などを通じ、政治運動を思想的に支えた。

神社本庁を設立する際には中心的役割を担った。神社にはそれぞれ由緒がある。祭っている神々は一つではなく、考え方も違うところがある。統一はとてもできないので、多様性を認める連合体とし、その中心に伊勢神宮を据えて、その結集体として神社本庁を作った。多様性を尊重するあり方はとても貴重だった。

──多様性を尊重したのですね。

GHQ(連合国軍総司令部)の下で、国家と切り離されて神社本庁は民間の宗教法人になった。民間が公共的な役割を担い、しかも多様性を持つ──今の時代から見たら「民の公共」を先取りした面がある。葦津氏らは国家と結び付きたいと考え、懸命に公共性を追求したのだが、それは民の公共における時代のフロントランナーとも見ることができる。

■マナーを守るかぎり誰が入っても、祈ってもいい

たとえば、われわれは神社にお参りに行くとき自由に境内に入るのは当たり前と思っている。マナーを守っているかぎり誰が入っても、祈ってもいい。その面で公共の祈りの場として、さらには鎮守の森として、支えてきた神社本庁の貢献は大きい。

──日本人の「よい生き方」とも重なります。

日本の文化を考えると、宗教として神道が古来からあり、生成・発展しながら、今もって生き方や暮らし方に大きな影響を与えている。端的な例が清浄さであり、きれい好きな民族といわれたりする。

──その神社が政治とのかかわりで論議されています。

国家とのつながりをより回復しようという動きが強まり、神道政治連盟ばかりでなく、一部の人が日本会議の源流を作り、今の改憲運動につながっている。国会の場でも憲法改正が具体的にプロセス入り可能となり、ことさら神社界が果たしている役割に注目が集まった。

──現行憲法はもちろん政教分離です。

今の憲法は天皇に国事行為しか認めていない。GHQは寛容で、天皇家、皇室としての祭祀は認めた。プライベートな位置づけだ。これに対し、天皇の祭祀は国家や国民のためであるから、元首としての天皇の公的な祭祀として位置づけ、憲法上認め、伊勢神宮など中枢の神社は民間ではない位置づけにしたいという気持ちの人が神社界にはいる。だから改憲が必要だという主張になる。

──実際は多様なのですね。

考えにいろいろなバリエーションがある。戦後世代には国民主権、民主主義、政教分離は当然として、そこまで変えようとせず、部分的に祭政一致を復活させたい、という気持ちの人も多い。つまり戦後の体制を前提にしたうえで部分的に修正したいと思っている人がそうとういるわけだ。実際は議論がない交ぜなので、戦前回帰を危惧するとの批判は無理もないし、他面で、戦後憲法を受けて、微修正、部分修正で変えていこうという考えの人も少なくない。そこは神社界でも甲乙はっきりとは議論されていない。

■祈りと巡幸の相互補完的な関係

──そこに、天皇の生前退位を含意したメッセージがありました。

天皇のメッセージは重いし貴重だ。たとえば、祈りを自分の務めとしてかなり強く言っている。祈りと巡幸は相互補完的な関係にあるといわれている。象徴天皇として国民とともに歩むのが大事だとして、特に困っている人たちのところに自ら出向き勇気づける。そうすることで、自らの祈りも深まるというのだ。

現地を回れなくなったら自分は退位するというのが主旨。これは国民の神道を体現している。憲法のうえでは祈りは私的なものと位置づけられたが、その中身は公共。私的な公共。神社本庁がやってきた民の公共と同じだ。民の象徴である天皇が私的な公共として祈っている。その祈りは公共的な巡幸によって高められている。この二つの公共性に国民の認識が欲しいとのメッセージだ。国民の神道というテーゼをいちばん体現している。

近代国家にふさわしい公共を考えるには、国民の神道というアプローチを中心にするのがいちばんいい。


【小林正弥(こばやし まさや)】千葉大学地球環境福祉研究センター長、慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授を兼任。東京大学法学部卒業後、東大助手、英ケンブリッジ大学客員研究員などを経る。専門は政治哲学、公共哲学、比較哲学。米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と交流が深い。


【出典】2016年10月9日配信「東洋経済ONLINE」


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