飛魚的日乗 (現代詩雑感)

詩のことを中心に書いていきます。

アーキテクチャと思考の場所

2009-01-29 | Weblog
大岡山の東工大に行って、東浩紀さん達がやっている「思想地図」提携のシンポジウムを聴いてきた。テーマは「アーキテクチャと思考の場所」というもので、建築、社会設計、コンピュータシステムの3つの意味を持つ「アーキテクチャ」というタームを、管理社会の匿名的な権力の総称と捉え、それへの対峙を模索するという企画だった。3時間ほどのシンポジュウムだったが、司会は東浩紀、パネリストは浅田彰、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司といった面々で、面白い議論だったが、やはり出口のない、あるいは厚い壁の前での、戦略的な姿勢についてという議論になっていると思う。
一番印象に残ったのは磯崎新さんの話だ。建築の設計がコンピュータを使ったメタフィジカルなレベルで行われるため、実際に建設するとき、つまりフィジカルのレベルに設計を移して建築するとき、物質的に問題を生じる。一番問題を生じるのは重さについてだという。それから、バーチャルな空間設計と実際の建築空間とのずれが生じていることを話された。北京オリンピックの「鳥の巣」は、設計どおりに立てられないことが判明した段階で天井を切り取る形で最終的に建設されたが、通常必要な数倍の重さの鋼材を使う無理な建設をした奇妙な建物になっていることを話された。労働英雄になった溶接工が、仰向けになって作業したりして突貫工事をすることで完成したという。
ことばによる作品や構成物は、メタフィジカルからフィジカルへの転換がされないまま終わってしまう。それは異種空間でのできごとのまま、現実空間には何の力も持たないで宙吊にされている。ウエッブ空間での出来事もおなじだろう。そうした空間の、島宇宙の出口のない犇めき合いのなかで発されることばを聴いている(見ている)状態なのかもしれない。フィジカルな場所へ回路を開いていくシステムを再構築することか・・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿