湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/14 熊本地震1年に思う(ひとと出来事と)

2017-04-15 05:53:29 | 地震津波災害ボランティア

2017/04/14 記
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熊本地震から1年がたつ。東日本大震災のとき、町を飲み込んでいく津波に、背筋が寒くなった。しかし熊本地震のときは、東日本大震災後たて続く惨事に、日本列島の太平洋側に連動するつぎの関東大震災の予兆を、被災者の強烈な嘆きの中に感じ、「次は私たちだ」という運命のような連鎖の兆しを私は眉間に感じていた。止まらぬ余震の多さに、身動き取れないでいる熊本の障がい者のストレスを思った。軒下に連れ出され毛布に包まれた高齢者たちに、災害の実態を感じていた。東日本大震災は出来事に、熊本地震は人(被災者)を感じていた。それは長引く余震・2回目の震度7の破壊力が、私が東日本大震災の災害弱者支援を優先課題と主張してきたことを、不遜ではあるが、あたかも立証したかのような惨事に感じていた。

私の故・祖母は、関東大震災で嫁ぎ先の自宅店舗の全焼や、再建自宅の空爆全焼を時にふれ語っていた。知人が炭の様に焼け焦げて、食べものが水すら喉を通らなくなった体験を聞かされて、私は育った。

それゆえに、災害や人災のあるときに、人の身のきしみをそこに感じるようになり、雲仙普賢岳噴火・有珠山噴火と、実際の支援活動に参加するようになった。(中越地震のときは、家族の入院と重なり、関わっていない。)

災害が起こるたびに、ひとの運命論的な無責任な言説・義による悲惨救助論は、泡沫のようにその都度生まれ消えていった。檻のような、透明な膜の向こうに被災者を感じつつ、私の足元の底が崩れていくようなリアルさと、被災者に届かない、傍観の不条理に封じ込まれた感覚を飲み込みつつ、実際に届けられる手立ての、スモールステップを持続して刻んでいく立場は、いつか共鳴者と出会うことがあるかもしれないが、祭りのうねりの集団の熱狂とは別のものだ。何ができるだろうかという問いを携えて手探りを続けている。災害弱者連携の言葉は常に凍りついている。

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3.11の際,全壊避難した高齢者施設の方に、職員として出会った障壁と体験を私たちは知りたいのだと伝えて、候補団体に、「懇話会のゲストをお願いできないか」と依頼状メールを出していた件、「少し時間のゆとりを下さい」というような内容の返信メールが戻ってきた。会は7月初め位を考えていたので、「了解」の応答をだしたが、発災避難にとどまらず、避難生活の運用時のエピソードも含んで語ってほしいと要望していたために、人選も難しいのかもしれない。ただ、受け皿側としても、今回の話題は「施設職員向け」となるため、発災時、施設は地域住民が避難してくる場になったり、福祉避難所を行政から委託されたりと、入所者と職員に閉じた社会の出来事に話題を引っ張らず、地域に扉が半開きになっている社会として、議論を多層に取り出していく。しかし、会を広告して回る際、「施設職員」の話?と空転するのは目に見えている。多角的な眼差しの重要性と言っても、説得は無理だなと思いつつ、いかに通すか思案している。


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

 

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