湘南オンラインフレネ日誌

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2/9 2/7懇話会の中の話題から「外出時被災安全避難支援員の色識別」上

2017-02-10 05:05:24 | 地震津波災害ボランティア

2017/02/09 記
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懇話会の話は、話題が焦点化しなかったので、そこで面白かった話の断片を紹介する。

赤地に白抜きの十字とハート。ヘルプカードは、自分が要援護者であることをアピールし、援助を引き出す目的で作られたものだ。私は防災の技術としての「医療と福祉」の「ロゴマーク」として有効と考えている。本来のカードの目的は、障がい者マークと同じように、健常者に対し援助を求めるツールだが、その対話構造が非対称で、健常者という「優」に、障がい者の「劣」が施しを受けるという差別につながる危うさを内包している。社会はあらゆるところに差別が横行している。その中でカードが使われる。そのことに無縁ではいられない。

例えば、知的障がいの方が、ヘルプカードを使う場面とは、どんな場面だろう。災害の場面の中でそれを考えてみよう。避難所のような社会集団のなかには、暗黙のルールがつくられる。「物資配給のブロック順の順序」、これは効率や利用者の事情の結果、ルーチン化したものだが、これは関係者には暗黙の了解となるが、そこに参加していなかった者には理解できない。このとき、理解できない者は、情報獲得の行動を取っていくが、ここに個人差が出る。その情報への接近ができないものは、置いてきぼりとなる。このわからなさは、あちこちに現れ、見えない困難を作り出す蜘蛛の巣のようなものだ。これはローカル・モラルのようなもので、ルールを行使する者が、避難者全体に了解を積み上げていかなくてはならない、その伝達行動ネグレクトが較差を生む。また避難所運営会議で規則や行動計画を策定する段階で、決められたことに要援護者を無視するとき、その問題を修正させることは難しい。

それではそのわからなさによる不自由さを、カードによって、わかるものの助けを求めるだろうか。それは運営する側の独走という過ちの結果ではないか。成しうることの相互扶助がなぜ拡がらないのか。カードは、その非対称な関係を固定してしまう。そこに差別が潜んでいく。だから、自立を伸ばすことを求めるものには、生活決定の展開力を健常者に委ねるようには、ならない。観光バスガイドの口上に従って列を成す観光客のような関係にはならないのだ。

被災時、場面は頻繁に変わり、さらに避難者集団という個別のルール発生能力のある集団を家族を求めて彷徨ったりすれば、ルールは異なっている場を横断することになる。不自由を抱えながら異なる行動をとれば、避難所集団の「常識」との軋轢がうまれ、差別が起きる場面がうまれてしまう。

ひとつの例をあげたが、ヘルプ・カードの出る場面は、危うい場面の切り抜けという解決を先送りした関係になるため、知的障がいの方々は、へルプ・カードは使わないだろう。

ところが身体障がいの場合、車椅子が段差にひっかかって、離脱行動の援助を求めたいとか、視覚障がいの方が、トイレの方向を尋ねるなど、避難生活上場面を超えるために、カードを掲示することもありえるだろう。

つまり、このヘルプカードは、機能性から便利さ実現という利用者ニーズを聞いたものが具現させたもので、障がい当事者の気持ちを考えたものではない。

そういう話題が交わされた。この話題の終盤、それならば各障がい種の関係団体が主導して、

外出時被災の場面で、その障がいに詳しい支援者である印、小池東京都知事のグリーンのような色やバッジのような目印を支援者蛾身につけるという約束を推進した方がいい。それは群集には、その意味がわからないが、約束をしているお互いなら、通じるという「隠れた連携」が効果的ではないかという話で終った。

このアイデアは、改めて取り上げていく。

これは、懇話会の中で語られた話題のひとつだ。

(つづく)
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昨日は、懇話会準備のために、後回しにしていた生業の始末をしていた。

夜間傾聴:ふたり(おまたせ)


(校正1回目済み)

 

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