ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

9条私見

2016年07月08日 | 社会・政治

  俳優の石田某なる人物が、都知事選挙への立候補を検討しているのだとか。
 かつて、「不倫は文化だ」という名(迷)言?を吐いた人物。

 ニュースでは、先の国会で一部の人々が戦争法案と呼んだ法案に反対するデモに参加し、スピーチをする石田某の姿が映し出されていました。
 そして石田某は、この国がおかしな方向に向かっている時に黙っていられるか、みたいな威勢のいい発言を、にやけた笑顔で語っていました。

 戦争法案絶対反対、9条守れ、戦争したい安倍はヤメロ。

 空虚なスローガンが飛び交っていました。

 都知事よりも国政を目指すべきだと思いますが、それはまぁ良いでしょう。

 私がかねてより不思議なのは、安倍首相や自民党が、戦争したいと思っているようなスローガン。
 そんなはずありますまい。
 現代の先進国の政治家は、何よりも損することを嫌います。
 戦争ほど損することはありませんから、そんなことを望んでいるのだとしたら、それは狂人とさえ言えるでしょう。

 また、9条守れ、というスローガン。
 9条は生まれた時と現在ではまるで改憲が行われたかのごとく、解釈の変更が繰り返され、実質的に改憲は成っています。
 現在の9条解釈を守れと言いたいのか、先祖返りして施行当初の解釈に戻れと言いたいのか、よく分かりません。

 現在の政府解釈を守れという意味なら、戦争法案と決めつけた法案も支持すべきでしょう。
 昔の解釈に戻れと言うなら、自衛隊は全廃しなければならず、それは事実上不可能でしょう。

 また、戦争が出来る国になる、という危惧を口にする人を見かけます。
 これも不思議です。
 占領されていた7年間を除き、わが国が戦争が出来ない国であったことは一度もありません。
 当然、今現在も、やむを得ざる事態が出来すれば、自衛隊は武器を取ることになるし、そうでなければ国民は不安で仕方ありません。

 私としては、改憲などしなくても、実質的に改憲されたのと同じ状態がすでに現出していますから、改憲してもしなくても大した変りはないと思っています。

 ただ、わが国は法治国家を標榜しているので、憲法は分かりやすくしたほうが良いでしょうね。
 法律と実態が乖離していたのでは、国民の倫理観にも悪影響を及ぼすでしょうから。

 9条は1項と2項から成っています。
 以下に記します。

 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 素直に読めば、わが国は戦力を持たず、戦争もしない、と読めます。

 しかし、上の条文は、巧みに自衛のための戦力の保持と自衛戦争を認めていると解釈できるように作られています。
 まず、「国際紛争を解決する手段としては」交戦権を放棄するということ。
 裏を返せば、自衛のための交戦権は認めるということになります。
 次に、「前項の目的を達するため」戦力は保持せず、交戦権は認めないということ。
 つまり前項の目的を達するためでなければ、戦力も保持できるし、交戦権も認められるということ
 前項の目的とは、国際紛争を解決する手段としての交戦権なので、自衛のためなら戦力も保持できるし交戦権も認められるということ。

 これが現在の政府の9条解釈であり、核兵器の保持ですら、自衛のためなら認められると解釈されています。

 しかし私は、これは欺瞞もしくは屁理屈であろうと思っています。
 いかにも苦しい解釈に感じます。

 一般庶民が読んだら、そういう解釈はしないでしょう。
 単純に、日本は戦力を持たず、戦争はしないんだなと、思うでしょう。
 そして一抹の不安を覚えるでしょう。
 ではどうやって平和を守るのだろうかと。


 従って、自衛隊は違憲だと考えています。
 違憲ならば、解決する手段は2つしかありません。

 憲法を改正するか、自衛隊を全廃するかです。

 で、どう考えても自衛隊の全廃はあり得ないと思います。
 それはあんまり危なっかしいというものです。
 いざという時の備えである、消防や警察を全廃するのと同じようなものです。
 備えあれば憂い無しと言いますからねぇ。


 私は単純に、1項はそのままで、2項だけ改めればよいと思っています。
 2項を、但し、自衛のための戦力は保持する、と代えれば良いのです。
  現に世界でも有数の軍事力を、わが国はすでに保有しているのですから。 

 但し、これだけのことで国論が2分し、大騒動になるのなら、法治国家たることを止める覚悟で、解釈改憲を永遠に続けるのもありかと思っています。
 それが一番手っ取り早いですから。

 こんな記事を書いていてなんですが、私はこの手の論争は見るのも嫌なほど辟易しています。
 現実を語る立場の人と、夢を語る人が罵り合いのようなことをしたって、落としどころは見つかるはずがありません。
 
 現実の世の中は、所詮やったもん勝ち、強いもん勝ち。
 国同士の関係といえども、つまるところ、ヤクザの抗争や子供の喧嘩と変わりありません。

 私としても夢を語る人々の側に与したいという思いはヤマヤマです。
 そっちのほうが正論だと思いますから。

 しかし、愚かな人間の真実は、強力な軍事力や経済力を持たなければ、自ら立つことが出来ないことを明示しているように思うのです。
 第一次大戦後に成立した、パリ不戦条約がいともたやすく破られた歴史を直視すれば。

 

 


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