ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

輝きを求めて

2017年02月11日 | 散歩・旅行

 私は平成4年に千葉県佐倉市の学術機関に就職し、江戸川区の実家から3年間、はるばる通っていました。

 しかし平成7年に非常に残業の多い部署に異動したのをきっかけに、実家を出て佐倉市のお隣、四街道市にアパートを借りました。
 時に25歳。
 仕事が忙しいのはともかく、独り立ちしたことに非常な喜びを感じたものです。
 そこで2年間暮らしました。

 平成9年、都内の機関に異動になり、また東京に戻る必要に迫られましたが、一度出た実家に戻る気にならず、江戸川区のお隣、葛飾区、新小岩にアパートを借りました。
 そこでの数年間はとても楽しいものでした。

 その後結婚して船橋市の公務員宿舎を借りるも、築40年のあまりのぼろい官舎に嫌気がさし、平成12年、千葉市美浜区の機関に異動になったのをきっかけに、千葉市若葉区に新築のマンションを購入、今に至ります。

 最近、40代も後半にさしかかって、精神障害もあり、サラリーマンとしての未来も見えてきて、まして小説で身を立てるという野望が達せられるはずもないということに気づき、何かと過去を振り返るようになりました。

 私が歩んできた道は、正しかったのだろうかという、根源的な疑問に、悩まされるようになりました。

 ふと思い立って、今まででもっとも楽しく、また将来への希望もあり、今の同居人との恋愛沙汰もうまくいっていた、新小岩での一人暮らしを懐かしむため、車を新小岩へと走らせました。

 車を新小岩駅近くのコインパーキングにとめ、懐かしい町を歩き始めました。

 変わらない店もあれば、真新しい建物に変わってしまったところもあり、20年という時の流れを感じずにはいられませんでした。

 私が住んでいた安アパートは健在で、嬉しくなりました。

 六畳と四畳半の和室、小さなキッチンと風呂、トイレが付いた2Kのアパートで、家賃は8万円ほどだったと思います。
 東南の角部屋で、日当たりが良いのがお気に入りでした。

 私はここで、喜びや苦しみを味わったのでした。

 今思えば、何もかもが懐かしく、輝いていたように思います。

 アパートの近くの、当時行き着けだった薄汚い中華屋、今も変わらず頑張っていました。
 店主も変わりありませんでした。

 ここで五目そばの昼食。

 アパートを駅から反対側に少し歩いた所には親水公園があり、ここをよく散歩したものです。
 春には花見も楽しみました。

 親水公園には、早くも白梅が咲いていました。



 昔を懐かしむようでは、肉体的にはともかく、精神的にはもう終わっちゃってるんでしょうね。

 数年前から、毎年元日に辞世を詠むことにしています。
 精神的に終わってしまった私には、ふさわしいことのような気がするのです。

 しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり

 という、清冽にして美しい辞世を残したのは、与謝蕪村でしたか。

 私の精神がもう一度活発な運動を始めることがあるのかどうか分かりません。

 しかしなんとなく、そんな僥倖に見舞われることは無いような気がしています。

 早くも春愁の気に当てられているのか、私の精神は輝かしかったはずの過去を求めるばかりなのです。

 
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする