to-Cの棋譜

うみねこを淡々と書き綴るブログです。

[番外]私的うみねこ論?

2009年12月29日 | うみねこ原作考察
今年も残すところあとわずかとなりました。
昨日は以前から気になっていた綾辻行人の「Another」を買ってきました。
現在、東野圭吾の「さまよう刃」を読んでいるのですが、読了次第最優先したいと思います。
どんな展開を見せてくれるか楽しみです。

そして、明日はEP6の発売日ですね!
僕は店頭で買う予定なので、あと2日待たないといけませんが・・・。
もう非常に楽しみでなりません。
年末年始はミステリー三昧となりそうです。


さて、今日は推理も考察も置いておいて、うみねこについて語ってみようと思います。


■うみねこの構造とは?
うみねこは難解な物語ゆえ、様々な解釈を生み出しています。
中にはその難解さゆえにフラストレーションが溜まり批判として出ることもあるかと思います。

以前、批判がヒントになったと書いたことがありますが、やはりここにカラクリがあるように思います。

うみねこの意見の中には「ここでこの描写はおかしい」など、描写の矛盾を指摘したり批判したりするものも、少なくありません。
たしかにただ見ているだけでは、破綻した物語など理解できるはずはありません。

しかし、そういう意見がヒントになってしまう・・・それは、正解を語っているに他なりません。
描写の矛盾を合理的に突き詰めることにより、真実が姿を現す。
これが、うみねこの最大の構造であり、トリックであるものと思っています。

本来、描写の矛盾というのは謎を解くための糸口です。
それを物語を徹底的に破綻させることで、トリックにまで昇華してしまったのです。


では、この物語を解くための糸口は何なのでしょう?


ここで出てくるのが「愛がなければ視えない」の文句。
これは物語の描写を信じろということで、その目的は2つあると思います。

一つは、全ての文章を真実と信じて読んで欲しいこと。
一つは、全ての描写の真意に踏み込んで欲しいこと。

これが「愛がなければ視えない」の意味だと思っています。
そして、その下に推理することで、犯人、犯行、動機が初めてわかるということです。

さらに言ってしまえば、全てのメディアミックスはこれが守れれば推理出来る。
以前、アニメ版のみで推理可能と言った根拠でもあります。


これだけのカラクリを用意しただけでも正直凄いと思いますね。
物語の破綻をトリックとすることには賛否両論出るとは思います。
ただ、個人的には実に豪快で清々しい感じがしますね。


明日発売のEP6もどれだけ推理を確定出来るか、期待して待ちたいと思います。