昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(239)市民大学・哲学コース(27)

2017-12-09 04:58:13 | 三鷹通信
 昨日は合田正人先生の「倫理学史概論、現代倫理学の諸課題と精神病理学の諸相」
 ・・・あいかわらずムズカシそう・・・ 28名とほぼ満席だ。
 
 
 <倫理>は中国の礼記からの言葉で、ギリシャ語で言えば<エトス>
 モラル<道徳>?

 東京帝国大学の最初の哲学の教授となった木村哲次郎は
 を発表、<国民道徳>を唱えた。
 国家の枠、法律はできたが、国民を創り上げる必要があった。

 哲学の歴史を遡れば、
 ソクラテスは大衆に無知たること、守護霊(ダイモン、のちに言うデーモン<悪魔>の声<良心>の声を聞くべしと説いて回った。
 しかし、大衆を誑かすものとしてポリスから死刑を宣告される。
 
 彼は国法に背いても人がしなければならないものがあると説いたのだ。

 アンティゴネ―の「ソフォクレスの悲劇」が象徴的である。
 
 二人の兄の抗争の中、「国の法は人間が創ったものである。私は神の言葉に従う」とした弟が王から死刑を宣告される。
 この精神は、今でも西洋人の心の中で生きている。

 ソクラテスの考え方に対して、アリストテレスは社会の中でいかに生きていくべきかを説いた。
  
 アリストテレス曰く、エウダイモニア<幸福>とは、自身に与えられた知識を卓越したものに創り上げていくことこそ<エトス>である。つまり後天的に得ていくものである。
 
 ・・・しかし、彼のエウダイモニアに最初から関われない人たちがいた。女性、外人、奴隷など。・・・
 ・・・飲食、呼吸、性的なものは、いわゆる人間的なものから排除された・・・

 アリストテレスが排除したものが20世紀の課題として入ってきた。
 言うなれば、<正義・公平・平等の問題>、<資源・環境問題>
 
 言い換えれば、<交換的正義>、<流通の正義>、<分配的正義>
 <幸福の分配>、<不幸の分配>これが現代の重要なテーマとなっている。
 また、<倫理>は<自他関係>でもある。
 自他の間に<境>がある。
 解像度を上げていくと、界面に見えないものが見えてくる。
 レヴィナスやジャンケルビッチは「贈与、犠牲によって解決できる。それこそ達人の倫理であり、哲人の倫理である」と言っている。
 ・・・わが臓器を使ってください、とか・・・
 
 フロイトの「隣人愛、敵を愛せ」
 ハンス・ヨナスの「責任という原理」
 
 他に、合田先生は、木村敏と中井久夫を着目すべし、として採り上げている。
 
 
 今や<分裂症>的な時代に陥っている!
 従来の人間主義から、人間以外のもの、未来的な生まれてきていないものへの配慮が必要!
 また、「人間なしに始まり、人間なしに終わる」と、ある意味達観して刹那的に生きるのはいかがなものか?
 合田先生の多岐に飛び散る該博な知識を掴みそこない、自分なりにというか、勝手に曲解している箇所があればご指摘を! 
 







最新の画像もっと見る

コメントを投稿