碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

走り雨にぬれながら3

2017-06-18 | 日記風雑感
竹藪や雑木や草が壁のようになって茂っている前を歩いて行くと、壁の途中に細い道が通じていた。藪の壁に穿たれた穴のように、小道の上部は竹の枝に覆われさながらトンネルのようだ。よく見ると、バイクのタイヤの跡がついている。なんだか草のトンネルが誘っているようで、この道の奥に何があるのか確かめたくなった。ワンダーランドの入口かもしれないと、期待と不安の波が気持ちをすこし高ぶらせた。知らない道を歩くときは気をつけなければならない。時々、自分の影が消えていないか振り返ってみることだ。そんなことを思い出しながらトンネルの中を歩き出していた。日本の里山の竹林のように手入れされていないタイではほっておくと竹が密生してそれこそ猫も通れないジャングルになる。そして、迷路がいくつもできて、地元の人間にしかわからない道が伸びていく。だから時々振り返る必要がある。道を覚えるために。やがてトンネルを抜けるとそこは林になっていて陽の光が差し込んでいる場所がある。そこに小さな木造の家が建っていた。タイの伝統的なつくりの民家で、二階屋の軒下につるされた鉢植えの植物が長いひげのように揺らめいているのが見える。人の気配がありほっとする。どこからがこの家の敷地かよくわからないまま、道なりに進むと、その家の裏庭あたりの一段高い斜面につけられた小道に出てきた。この小道からはちょうど、家の二階と同じ高さの視線で家の中を見ることが出来る。中では年配の女性が二階の部屋の外に巡らせた廊下の腰掛に座っていた。折よく眼が合ったので、軽く挨拶すると、向こうも挨拶を返して、大きな声で何か話しかけてきた。タイ語が分らないので、あいまいな気持ちで、近づくと、何かをうったえるように、話しかけてきた。廊下の手すり越しに身を乗り出すように話しかけるので、よくよく見ると、さっきのバス停にいた老婆だった。胸にカラフルな刺繍のある民族衣装が記憶にあったので、思い出すことが出来た。普段は人の顔を覚えるのが苦手で別れた後に顔を記憶していることはまずないのだが、服装とかアクセサリーは妙に覚えていることが多い。この胸の刺繍を見ると何族かわかるのがタイ人だが、日本人の私にはまったくわからない。しかし細かい刺繍の模様にはひきつけるものがあった。身振りを交えながら、
「さっき、私をバス停で見ましたか」
というと、分ったらしく大きく首を振って、笑顔をみせて、また何か大きな声で話出した。自分のタイ語を理解してくれて、少しうれしかった。あいさつ程度なら、みんな理解するが、ちょっとした会話になると一度で理解されることはまずないのが私のタイ語の程度で、日本語なまりを聞き分けてくれる人はまずいなかった。
「あんた日本人だろ」というような言葉が聞こえた。
「そうです。日本人です」と答えると、老婆は立ち上がって手招きをして、家の入り口を指すと、家へ入って来いというようなそぶりをして、私を促した。タイ人に招かれる機会はあまりないしましてやタイの伝統的な家屋に住むタイのネイティブの招待だから、これは断ることはできないと、期待半分不安半分でこの家の中へ入らせてもらった。二階へあがれというので靴を脱いで階段を上がると、板敷きの床に竹で編んだ敷物が引いてある部屋に通された。以前チェンマイの古民家博物館にあるタイの伝統的な家に行ったことがあるが、やはり、人の住んでいない家を見ても生活感がなく、味気ないものがあるが、ここは生きている人間の住家なのだ。まわりにある調度品や装飾や写真など、生活の息吹が強く感じられて、同じ人間だと今更ながら実感できた。老婆は隣の部屋からプラスティックのコップに入れた水をもってきてそれを床に置くと、自分はまた廊下の腰掛に座って話し出した。話はほとんど一方通行だった。年寄りは、話したいだけだ。相手がだれであろうが、自分が話せばそれでいいというような感じでこっちはもっぱら聞き役を演じてみせるような会話だった。齢は70歳を超えたと言った。娘と暮らしているらしい。しかし老婆には会話の中で何度も強調することがあった。それは
「私の父親は日本人だ」という言葉だった。
「名前はヤムントー」
日本語名としてはまず無い名前だが、きっと山本か大和がなまって聞こえていたのだろう。
「日本のタハーン」だった。つまり兵隊だった。
確かに、ビルマ戦線の地獄からの敗残兵の多くがタイのこの地方へ来ていたのは事実で、中にはタイ人の女性と結ばれた者もいたということを聞いたことがあった。道理で私の日本語なまりのタイ語を理解出来たのかもしれないと思った。
「チョオーオチョ、チョオーオチョ、ナヌハニトマレ・・」
とつぜん老婆が歌いだしたのは日本の童謡でした。こんなところでこの歌を聴くとは思いもしなかった。この歌が、幼い日々に覚えた歌が遠い過去の出来事を雄弁に語っていた。




  
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