碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

走り雨にぬれながら

2017-06-16 | 日記風雑感
熱帯モンスーンの湿った西風がインド洋からミャンマーをへてタイへ流れていくと、大きな積乱雲の連なりとなり、雷鳴をとどろかせて、地上の者どもをひれふさせる巨大な軍神のごとく進軍してゆく。遠くから見るとその軍神の足下だけは、薄暗いスコールのベールに隠されて、地上から消されていく。それでも、その天上には紺碧の空がひろがり、光は、軍神の大きく立ち回る真白き姿をくっきりと浮かび上がらせる。あの夏の雄姿に心おどらせた少年の眼で見ているのは、いまだに雲の彼方へのあこがれと、幾ばくかの寂寥を見ながらひと時の忘我の風に吹かれる。バスは、軍神の怒りから逃れるように、東へ南へと終わりのない緑の地平線へむかって遁走していく。山を過ぎ、村を通り、町に沿い、大きな並木がどこまでも続く道を終点へめざしてひたすら走り続けていく。やがて車窓の風景が走馬灯のように、同じ模様の繰り返しに感じられてくるのは、睡魔の仕業なのかもしれないと思いつつ、いつしか意識を失っていた。










意識がもどったのは、首の筋の痛みとなにかの振動でゆすぶられたからだった。首を持ち上げると、首筋の緊張が一気に感じられて、すぐには頭を上げられないほどであった。目をひらくと、横の座席には黄色い袈裟を着た僧侶がいつのまにか座っている。どれだけ時間がたったのか、一瞬のようでもあり、長時間のようでもあった。目覚めた様子を見て、僧侶がにこやかに会釈した。意識がはっきりしないままこちらもつられて会釈をしたのはよかったが、まだ状況がはっきりしない顔で、僧侶の顔を見つめると、僧侶が低い声でなにか話しかけてきた。最初はタイ語であった。しかしこちらが理解できていない様子をみて、癖のある英語で話しかけてきた。
「ぐっすり寝込んでいたようですね」
「ええ、そのようです」
僧侶に話しかけられたことはないので、ぎこちなく答えると、あくまでもにこやかにほほ笑みながら、
「首が痛くはないですか」
というので、人の首まで心配してもらって少し恐縮していると、
「あなたは私の腕に頭を載せていました」
というではないか、これで状況が一気に鮮明になってきた。目がはっきり覚めた。
「えっ、それはほんとうですか。失礼しました。」
タイでは僧侶は特別な存在ですから、失礼があってはいけない。僧侶をないがしろにすると地獄へ落ちるのだから。
「大変な失礼をしたようです。許しを請います。」
感情の動揺を表す言葉がわからなくてぎこちない謝罪の英語に違和感があったけれど、そういう気持ちは受け止めてもらえたように思った。僧侶は相変わらずにこやかな顔ですべてを受け止めているようであったが、
「私も腕が痛くなって。耐えきれなくて揺さぶったのです」
「そうでしたか、許しを請います」
「あなたは日本人ですね、よく謝る。」
剃髪した顔を見ると、若いのか齢をとっているのかよくわからないのだけれど、まして黒縁メガネをかけているとなおさらで、たぶん45才から50才ぐらいかと判断したが、本当はもっと歳をとっていたのは後で知ることとなった。
「どこまで行くのかな」
「ランパーンです」
「このバスはカンチャナブリ行きですよ」
嫌な予感がした。
「ランパーンで下車するつもりですが」
「いや。ランパーンは通過しますよ」
「あなたは間違えましたね、よくあるんですよ・・」
「次の町でこのバスを降りて、後から来るバスに乗りなさい。私も次の町でおりるから」そのようにいうと、またにこやかな表情で、何もなかったように話し出した。ほんとに間違っているのなら言われた通りにするよりしょうがないと、自分に言い聞かせてみたが、ちょっと腑に落ちない気分もあった。しかし郷に入れば何とやらで、たとえバスが一本遅れてもたいしたことはないという風に思い始めていた。僧侶が言うことであるし、すべてがこれで決まるような重大な話でもない。旅に身を任す快感もある。
「あなたのアドバイスに感謝します。次の町で乗り換えます」
「そうしなさい。一緒に降りましょう」
「あなたはこのバスが東へ向かっていると思っているのでしょ。違うのですこのバスは実は西へむかっているのです。大きく迂回してね、that’s big around 」
ほほ笑みながら、僧侶は遠くを見る目つきでそういった。

下車した場所は、ほとんど村といってもいいくらいの小さなバス停で、こんな辺鄙なところに停車するくらいなら、どうしてランパーンに停まらないのか不思議に思う。運転手がわざわざバスから降りてきて、僧侶に二言、三言、声をかけながら、深々と頭を下げてワイ(合掌)をすると、僧侶も其れに応えてワイをしたあと、バスのお客に向かってまたワイをした。旅の安全を祈ったようすで、その姿を見て老婆が一人僧侶に深々と頭をさげてワイをした。
「次のバスはこの停留所にとまりますが、1時間ほど待たなければなりませんね」
バスの外に出ると、くもり空とはいえ強力に冷えたバスの冷房になれた身体には、とても蒸し暑い空気が一気にまとわりつくような気がした。バス停のそばには、棟割長屋のような建物があり、その一角に待合室をかねたような小さな事務所というか切符売り場のような場所があるだけで、店や食堂などがあるわけではなく、なんのにぎわいもない殺風景なところであった。
「もしよかったら、私のお寺へ寄って行きませんか。すぐ近くなんです。バスが着いてから出ても間に合いますよ。・・停留所に長い時間いるのは興味がありますか」
「いいえ、それは、いい考えです。ありがたくついていきます。」一も二もなく申し出に応じてしまった。もう毒食わば皿までという気持ちで、丁と出るか半とでるか、脇道へ進むこととなった。




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