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元総理2人の「脱原発法案」提起に思う

2018年01月12日 15時02分51秒 | 政治
元総理2人の「脱原発法案」提起に思う
 総理大臣と言えば日本一の権力者という事になるのでしょうが、つくづく感じるのは、偶々総理大臣をやっているからで、総理大臣を降りてしまえば、その権力は消えてしまうという事です。
 何のことはない、総理大臣というのも、企業内研修などでやる「ロールプレイング(役割演技法)」みたいなものかと感じます。

 2人の大物元総理が揃って、脱原発を言っても、現担当大臣や官房長官の「原発は安全で必要です」の一言で片付けられてしまうという印象です。
 それでは世論に訴えてという事で、超党派の法案提出を目指すという事になるようです。時の総理大臣が「原発ゼロ」というのとは大変な違いです。

 ドイツはすでに脱原発の方向に踏み出しているのですが、重大事故を起こした日本ですが、政府はまだ原発は必要という認識のようです。

 細川さんはもともと原発反対と思いますが、小泉さんは率直に「私は、日本の原発は安全だと信じていたけれども、福島原発のメルトダウンで原発推進論者、必要論者の言っていることがウソと解ったわけです」と言っています。

 かつて流行った言葉で言えば「転向派(共産主義からの)」です。私の感じでは、転向派の人々の信念は特に固いように思います。
 我々世代の日本人は殆どそれに似た経験を持っています。終戦までは、「兵隊さんになり、敵国と戦って、国のために死ぬことが素晴らしいこと」と信じていました。
 しかし、その後の知識・情報の獲得で、人類社会のために為すべき事は全く別の事だと理解し、それは決して変わらないでしょう。戦中派は殆ど戦争は嫌いのようです。

 我々は、原発についても、かつては「大地震があったら原発の敷地に逃げ込みなさい。そこが一番安全です」などと教わり、 日本の技術は凄いのだと信じていました。
 そう教えてくれた人も、そう教わって、そう信じていたのでしょう。

 今は、日本列島を襲う天災の可能性に対して、原発が万全だと信じることはできません。所詮人間は自然には敵いませんし、大事な時に往々誤りを犯すものです。

 そして、さらに重要なことは、いわゆる「トイレ」の問題、発電した結果の「後始末」、放射性廃棄物の処理にどれだけのコストがかかるかが解らない(正確な計算は不能)という問題です。
 核分裂はひとたび起こせば半永久的に( 通称10万年)続いてしまうものなのです。

 現政府はが、原発利用をいつまで続けるつもりか解りませんが、当面、そして将来必要になるコストは解らぬままに、「将来の人類に対応を委ねよう」という、ある意味では責任放棄の上にあるのが今の原発でしょう。

 原発を即停止しても、後処理コストは膨大でしょう。しかし、継続していくより増えないことは明らかです。
 原発が停止している間も、日本は、きちんと電力供給をやってきています。さらに、原発に頼らないことを決めたとき、日本人のエネルギーに関わる創意工夫・技術開発は恐らく見るべきものがあるでしょう。

 現総理や、関係閣僚も、ロールプレイングの役が変わった時、どう考えるのかわかりませんが、今は情報は十分あるように思います。「役割演技」ではない本当の心を知りたいものです。

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