自然を愛して

田舎暮らし

奥出雲の旅 絲原記念館・鬼の舌震

2016-11-20 17:20:06 | Weblog

◆絲原記念館(島根県仁多郡奥出雲町大谷)(国の有形登録文化財)
松江藩鉄師頭取の絲原家は400年にわたって伝承してきた美術工芸品やたたら製鉄資料などが記念館に展示され
居宅も一部公開されています。


駐車場側の小川のせせらぎを聴きながら緑色のモミジの美しさに見とれてから、黒門の入り口に行くと杉木立の奥深さを感じます。
入口では左に白壁の記念館、右側に絲原家居宅がありました。
記念館では第1展示室《たたら製鉄コーナー》《有形民俗資料コーナー》第2展示室《美術工芸品コーナー》
第3展示室《茶道具コーナー》《立体展示コーナー》があります。
子供は「永代たたら」と「番子吹子」の3/1復元模型を興味津々、年表では近衛文麿公、歌人与謝野寛、晶子夫妻が訪れられたこと
松江藩と絲原家の関係など説明文を読んでいました。
私は美術工芸品コーナー、茶道具コーナーをじっくり鑑賞しましたが特に特別展の花嫁道具が良かったです。
その中のべっこうのかんざしなどあまり見る機会がないものが展示されていました。
またお茶碗が仕覆(しふく)に入れて展示されているのも珍しいです。


居宅・庭園は部屋数が40室を誇る大邸宅です。客殿、書院の間に庭園が広がり、庭園は森林を借景とした池泉回遊式の出雲流名園です。
飛び石は短冊石と丸石の組み合わせた手法ですが、丸石は珍しい臼石のような感じでした。美しい庭を眺めていますと心が安らぎます。
記念館奥手にある「露地門」は茶道裏千家16代坐忘斎千宗室御家元のご千染筆扁額「洗心之路」が掲げてありました。
少し進むと茶席「庭玉軒」があります。昭和10年近衛文麿公来駕に新築されました。

林間散策路は山野草や茶花、樹木約350種が植栽されています。
花の名前が書いてあり、知っている花、知らない花などじっくりと観察できます。
9月でしたので花は盛りではありませんでしたが、トクサ、ミズヒキが目につきました。

11月半ばも過ぎ、紅葉が一番素晴らしい時期です。訪れるには今が最高の時期でしょう
来年はトロッコ列車に乗って紅葉をゆっくり楽しみたいと思っています。
                                                                                                
◆鬼の舌震(おにのしたぶるい)(島根県仁多郡奥出雲町三成)
国の名勝・天然記念物 県立自然公園 中国自然歩道


鬼の舌震は子雲母花崗岩地帯で、斐伊川の支流大馬木川の急流が長年にわたり浸食し、節理や甌穴(おうけつ)によって造られ
約2㎞にわたるV字峡谷です。
一度夫婦で散策しましたが、種々の形をした岩が乱立し、清澄な碧流がその間を屈折して流れる様を眺めながら
自然の素晴らしさを感じてほしく子供を誘いました。
今回は時間がなく「舌震の“恋”吊橋」の上から景色を楽しみました。
吊橋は下流部に川面の高さは45m、長さ160mの大吊橋で、歩いても揺れることなく安心して渡られます。
峡谷を楽しむには宇根駐車場から「玉日女橋」「舌震上橋」の方向に進むと良いと思います。
バリアフリー遊歩道もあり、無料の休憩場もあります。


          三瓶山浮布池
帰りは飯南町の方向に進みましたが、稲刈りが終わった田んぼは黄緑がとてもきれいで美しい景色でした。
最後は三瓶山の浮布池を観て帰宅しました。


鼈甲(べっこう)は熱帯に棲むウミガメの一種タイマイの甲羅の加工品です。
背と腹の甲を構成する最外層の角質からなる鱗を10枚程度に剥がして得られます。
色は半透明で、赤み帯びた黄色に濃褐色の斑点あります。

奥出雲の旅

2016-11-13 20:59:51 | Weblog
◆玉造温泉(島根県松江市玉湯町玉造)
岡山県の旅の後、島根県の奥出雲に行きたくて、宿泊は“玉造温泉”に決めました。
玉造温泉の泉質はナトリウム(硫酸塩),カルシウム、塩化物、弱アルカリ性で美肌効果があります。
約1,300年前、奈良時代に書かれた「出雲国風土記」に「神の湯」として記されています。
平安時代になると清少納言の「枕草子」にも登場します。
最近、島根県の女性は肌が綺麗と言われていますが、実際に入浴してみて肌がスベスベになりましたので
久しぶりに朝湯にも入りました。
朝食後は清々しい気分で庭を観賞しましたが時期外れのカキツバタでしょうか花菖蒲でしょうか
優しそうに咲いていて見惚れてしまいました。


            佳翠苑皆実の庭

◆須我神社(島根県雲南市大東町須賀
須我神社の主祭は素盞嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしいなたひめのみこと)
そして二人の間の御子神・清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)の三神です。

古事記には(和銅5年・712年)
「八雲たつ 出雲の八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」と歌われています。
この歌が日本で一番古い歌です。
そしてお二人はこの地に日本では始めての宮殿をお造りになり、日本の国造りを始められました。
これが古事記・日本書紀に所載されている「須賀宮」であり、日本初の宮、和歌発祥の地です。



◆須我神社奥宮「夫婦岩」
神々の宿る八雲山―御室山(おむろやま)の中腹にそそり立つ巨岩(夫婦岩)は大中小の三つの磐座(いわくら)が
須我神社の奥の宮として崇敬され、参道には「文学碑の径」として60基の歌碑句碑が建立されているそうです。
子供がちょっと見てきましたが、私は無理をしないように参拝しませんでした。ゆっくり夫婦で訪れると良いです。


素盞嗚尊と奇稲田姫命の物語は石見神楽の演目では「大蛇」(おろち)として有名です。
素盞嗚尊が奇稲田姫命を助けるため大蛇と闘い勝って結婚する話です。
大蛇退治は大蛇が3匹~5匹、舞台いっぱいに闘いスケールが大きく魅了します。
そして衣裳が素晴らしく、囃子もテンポが良くて、いつ観ても飽きることがありません。(石見の国 伝統芸能)

高松城址公園

2016-11-05 13:21:49 | Weblog
               
                      
高松城址公園 (国史跡指定) 岡山県北区高松町
静かな田園風景の公園には中央に7000㎡の広大な堀があって、約4000㎡に渡って「宗治蓮」があります。
7月には蓮の花が咲き揃い人気があるそうですが、私たちが行ったときは花托の実も落ちていました。
子供は初めて見たそうで珍しそうに写真を撮りました。
この場所は戦国時代天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた家臣の羽柴秀吉軍と毛利氏配下の清水宗治の守備する
備中高松城を攻略した戦いです。「高松城の水攻め」の主戦場となった城址として有名ですが、この戦いの最中に「本能寺の変」が
起きたことなど子供が説明してくれました。観光にこの場所を選んだ意味が解りました。
 
水攻めについて
備中高松城は当時少なかった低湿地を利用した平城(沼城)であり、鉄砲、騎馬戦法に強く城主は清水宗治でしたが容易に攻め落す
ことが出来ず秀吉は低湿地にある沼城という本来なら城攻めを困難にさせるはずの利点を逆手に取った奇策を講じました。
堤防工事は東に門前村から蛙ヶ鼻まで東南約4㎞、高さ8m、底武4m、上幅12mにわたる堅固長堤を造り
川の水をせきとめようとするものでした。秀吉の築いた湖に毛利輝元は身動きが出来ず講和を決意しました。


水攻めの築提跡高さ表示板 
現存する築提跡(蛙ヶ鼻)と本丸の高さを標高で表したものです。
蛙ヶ鼻現存築提高8,4m、本丸の高さ7,0m

清水宗治の自害
清水宗治は「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句をしたため自害しました。
兄の清水宗知、家臣の難波伝兵衛、末近左衛門の首と引き替えに城兵の救命を求める嘆願書を毛利輝元に提出し次々と自害を遂げ
4人の介錯を行った國府市正も自刃しましたそうです。いつの世も戦いは嫌ですね。

造山古墳
(国の史跡) 岡山市北区新庄下

造山古墳 古代吉備王国の首長の墓と言われ、全国4位の規模を持ち全長350mの前方後円墳です。
前方には径40mの円墳から鏡、砥石、鈴、大量の鉄器などが出土し、一部が宮内庁に所蔵されているそうです。


駐車場に案内板があり説明文の写真です

田園の中に住宅がありその後ろに古墳がありました。時間があまりなく残念ながら遠くから眺めて済ませました。