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田舎暮らし

高松城址公園

2016-11-05 13:21:49 | Weblog
               
                      
高松城址公園 (国史跡指定) 岡山県北区高松町
静かな田園風景の公園には中央に7000㎡の広大な堀があって、約4000㎡に渡って「宗治蓮」があります。
7月には蓮の花が咲き揃い人気があるそうですが、私たちが行ったときは花托の実も落ちていました。
子供は初めて見たそうで珍しそうに写真を撮りました。
この場所は戦国時代天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた家臣の羽柴秀吉軍と毛利氏配下の清水宗治の守備する
備中高松城を攻略した戦いです。「高松城の水攻め」の主戦場となった城址として有名ですが、この戦いの最中に「本能寺の変」が
起きたことなど子供が説明してくれました。観光にこの場所を選んだ意味が解りました。
 
水攻めについて
備中高松城は当時少なかった低湿地を利用した平城(沼城)であり、鉄砲、騎馬戦法に強く城主は清水宗治でしたが容易に攻め落す
ことが出来ず秀吉は低湿地にある沼城という本来なら城攻めを困難にさせるはずの利点を逆手に取った奇策を講じました。
堤防工事は東に門前村から蛙ヶ鼻まで東南約4㎞、高さ8m、底武4m、上幅12mにわたる堅固長堤を造り
川の水をせきとめようとするものでした。秀吉の築いた湖に毛利輝元は身動きが出来ず講和を決意しました。


水攻めの築提跡高さ表示板 
現存する築提跡(蛙ヶ鼻)と本丸の高さを標高で表したものです。
蛙ヶ鼻現存築提高8,4m、本丸の高さ7,0m

清水宗治の自害
清水宗治は「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句をしたため自害しました。
兄の清水宗知、家臣の難波伝兵衛、末近左衛門の首と引き替えに城兵の救命を求める嘆願書を毛利輝元に提出し次々と自害を遂げ
4人の介錯を行った國府市正も自刃しましたそうです。いつの世も戦いは嫌ですね。

造山古墳
(国の史跡) 岡山市北区新庄下

造山古墳 古代吉備王国の首長の墓と言われ、全国4位の規模を持ち全長350mの前方後円墳です。
前方には径40mの円墳から鏡、砥石、鈴、大量の鉄器などが出土し、一部が宮内庁に所蔵されているそうです。


駐車場に案内板があり説明文の写真です

田園の中に住宅がありその後ろに古墳がありました。時間があまりなく残念ながら遠くから眺めて済ませました。
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