自然を愛して

田舎暮らし

石見銀山遺跡(温泉津町本町発掘調査)の現地公開と出土品展示

2015-09-13 10:52:16 | Weblog
大田市では温泉津地区の下水道工事に先立って市道湯乃街線で発掘調査が6月から9月18日までの予定で実施されています。
この度、9月11日に現地説明会が公開されました。


遺構の調査には剣尺を使用していました。深さ約2m、横幅約2,5m位でしょうか?
発掘調査によって道路と水路の跡が見つかったことを石見銀山課の方がわかりやすく丁寧に説明されました。

幅約30㎝の石組側溝を確認、戦国時代の後半(16世紀後半頃)~江戸時代末~明治初頭の時期に
それぞれ築かれていたことが判りました。
水道管の工事などにより失われていた部分も少なくありませんでしたが、今の市道の位置にあったことがわかったそうです。
道路沿いの側溝である水路の位置からみて、当時の道は現在の市道より狭かったものと想定されるそうです。

出土品
遺物は庄屋屋敷近くの三叉路で見つけられたものが展示

●陶器
   
国内産(唐津、備前、瀬戸など)の他に、中国や朝鮮、ベトナム産陶器が、琉球から持ち込まれたとみられるものが
多く見つかりました。
最も多く出土したのは、中国で焼かれた青花(せいか)と呼ばれる磁器、中国の華南地域で焼かれた交趾(コーチ焼き)
朝鮮半島産、ベトナム産の陶器などは戦国時代後半から江戸時代のものとみられます。

●木製品

 下駄、木札、桶、漆碗、箸などの日用品。
 木札にはお茶に関する文言が書いてあり、送り先の名前まで分かったそうです。

●石製品
   
「石敢當」(いしがんとう)            拓本
 石敢當は中国では、8世紀の唐の時代に始まっていた魔よけの石碑です。三差路などに設置されました。
 日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かけます。
 出土した石敢當は四角柱で高さ52cm、幅と高さは20cm余り。
 正面に「石敢當」という文字が刻まれています。元号は江戸時代の延宝年間の可能性があるそうです。
島根県では石敢當の出土は初めてです。出土によって琉球の交流のあった可能性を示す一番興味深い資料です。

今回の調査から得られたことは温泉津が、銀の積出しや物資の搬入を担った港として賑わった様相が伺われます。
出土品からは当時の文化を窺ううえで貴重な発見となったと説明されました。


焼き物について
【青花】(せいか)
白地に青の文様を表した磁器です。青花は釉下彩の一種であり、成形した器を
いったん素焼きしてから、酸化コバルトを含む顔料で器面に絵や文様を描く。
その上から透明釉を掛けて高火度で還元焼成すると、顔料は青色に発色します。
【白磁】
白い胎土(主としてカオリン系の陶土)をそのまま生かして、
これに無色透明の上釉をかけて高温焼成した素地がそのままの白い色を
現わしたのが白磁です。そしてこの白磁は、硬い焼物であって、
染付や色絵などのような、色釉は全く施されてない物です。
【青磁】
釉の成分の灰に含まれるわずかな鉄分が酸化第二鉄から酸化第一鉄に変化する
ことによって発色するものです。

温泉津町の櫛島
  
最近雨が多かったので、久しぶりに透き通った青空と日本海の荒波を眺めながら美味しい空気をたっぷり吸い込み自然を満喫しました。


最新の画像もっと見る