tm...to serendipity

内なる神へ。真なる我に還る。愛に生きる。

区別をもたらす宗教は純粋意識から遠ざかる

2017-12-03 01:51:51 | 開運
サイババがヒンズー教徒かイスラーム教徒かを明白に決定したものはありません。
それも不思議ではないのです。
というのは個我意識と肉体意識を捨てて神に全託し、かくして神と一つになった者は、どの宗派に帰属しているかどうかはもはや問題ではありません。

サイババはカースト間や、人と人との間に区別を認めない聖者でした。

いつもヴェーダ哲学を説き、最後までババが誰なのか解ったものはありません。

かれはあらゆる知識をすべて備えていましたが、何も知らないような振りをしていました。
ババはまた名誉を好みませんでした。
人間の身体をしてはいたものの、なさることは神でした。

「おまえたち、目を開けてよく見ておけ、わしがイスラームかヒンズーかを」
ババは座って施しをしながら肉体を去られたのです。

ババの死ぬ数日前、ババがいつもその上に御手を置いて座っていた古い煉瓦が、まっ二つに割れてしまいました。


煉瓦 RENGA
サイババの説く道は積極的な実践の道である。
神の御心に叶う生き方こそ何より大切なのである。
ーカリユガを生きる ●サイババ聖師物語
不確実で不安で、争いと闘いが続く今日のカリユガの時代を、どのように生き抜くかー


かつて宗教と国家権力は一心同体であった。
お大師さまが修した後七日修法は現在も鎮護国家、皇族安泰、五穀豊穣を祈願する国家のための修法であり、密教における皇室行事の大法である。
国家とは、体制としての国家ではなく、「国土」に象徴される自然と「家」に象徴される人の営みを意味している。

古来より、密教は最先端の思想であり哲学という側面を持ちながら、加持祈祷は科学であり、軍事と同様に国家の機密であった。

調伏法で代表的なものの一つが大元帥法である。
もともとは古代印度神話でヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)の眷属である鬼神で弱者を襲って食べる魔神アータヴァカに由来し、「荒野鬼神大将」「森林鬼神」と漢訳される。
そのアータヴァカが仏教に取り入れられると、絶大な力を持って国家を守護する明王となり、すべての明王の総帥という意味から大元帥と呼ばれている。

アータヴァカは密教においては大日如来の功徳により善神へと変じ、大いなる力は国家をも守護する護法の力へと転化させ明王の総帥となった。
大元帥明王は明王の最高峰である不動明王に匹敵する霊験を有するとされている。

肉体は土に還る。
ー密教の呪術 その実践と応用


明治に入るまで、天皇の信仰の中心にあったのは仏教だった。代々の天皇は仏教に対する強い信仰をもっていた。 島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)


弘法大師空海による神仏習合からの
明治維新の神仏分離による廃仏毀釈の罪

BBCによるドキュメンタリー番組での無視できない共通点…

近視眼てきに世界を観ると相違点を見つけますが、宇宙レベルで観ると、地球人って同じだよねってなります。
エイリアンの目から見た宗教論+進化論

前にも書きましたが、ニチユ同祖論と世界同祖論。
鳥瞰、俯瞰で世界はつながっていることを観るでしょう。




今大阪では 太閤なにわの夢募金 豊臣石垣公開プロジェクトとして、徳川に埋められた秀吉の大阪城や石垣を掘り起こしています。



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