花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

酒飲みの業

2007-02-13 22:00:06 | Weblog
 以下、若山牧水の「みなかみ紀行」(岩波文庫)から抜き書きを。「落葉木の影を踏んで、幸に迷ふことなく白根温泉のとりつきの一軒家になっている宿屋まで辿り着くことが出来た。此処もまた極めて原始的な湯であった。湧き溢れた湯槽には壁の破れから射す月の光が落ちていた。湯から出て、真赤な炭火の山盛りになった囲炉裡端に坐りながら、何はともあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、ないという。驚きあわてて何処か近くから買って来て貰えまいかと頼んだ。宿の子供が兄妹づれで飛び出したが、やがて空手で帰って来た。更に財布から幾粒かの銅貨銀貨をつまみ出して握らせながら、も一つ遠くの店まで走って貰った。心細く待ち焦れていると、急に鋭く屋根を打つ雨の音を聞いた。先程の月の光の浸み込んでいる頭に、この気まぐれな山の時雨がいかにも異様に、佗しく響いた。雨の音と、ツイ縁側のさきを流れている渓川の音とに耳を澄ましているところへぐしょ濡れになって十二と八歳の兄と妹とが帰って来た。そして兄はその濡れた羽織の蔭からさも手柄顔に大きな壜を取り出して私に渡した。」 群馬県の老神温泉から一日掛けて同じく群馬県の白根温泉まで歩いて、やっと草鞋の紐をほどいた宿での出来事です。私なぞは、牧水が一杯やりたくなる気持ちは十分(いや十分以上)分かるけれど、それでもぐしょ濡れになって酒を買いに行かされた子供が可哀想に思えてしまう。しかし、これが酒飲みの業なのか。そう言えば、夜中酒がなくなってみりんを飲んだ人を知っている。また、行楽地からの帰りの車中やはりお酒がなくなって、途中駅で停車している時に仲間を駅前の酒屋へ行かせて、その間電車が発車出来ないようにした人も知っている(結局、電車の発車を阻止した人は駅員に車中へ押し込まれ、酒を買って戻った人はただ茫然と立ちつくすことになったのだが)。かく言う私も、その昔、深夜お酒が尽きてしまい、当時はコンビニなどなく、アルコール類の自動販売機は0時から6時まで販売を中止していたので(多分条例か何かで)、6時が来るのを今か今かと待ちながら夜を明かしたこともあった。酒飲みの業、斯くありなん。ただ、自分で買いに行った私の方が牧水より、幾分業は浅いか。

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