花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

死人に口なし

2017-06-19 21:45:22 | Book
 6月17日の土曜日、山登りへ行く電車の中でシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」を久しぶりに読み返しました。「ブルータス、お前もか」のセリフが有名なこの戯曲は、説明するまでもないですが、シーザーの暗殺およびその後のブルータスとアントニーの戦いが展開のメインになっています。シーザーは王の座に就きローマ市民の自由を奪おうとしているとするブルータスは、シーザーを亡き者とした後、市民を前に「シーザーは野心を抱いていた」と呼び掛けます。自分がシーザーに刃を向けなければならなかったのはローマを守るためだったと理に訴えるブルータスに対して、アントニーはシーザーの行為を具体的に振り返りながら「シーザーはローマ市民を愛していた」と情に訴えます。これも言うまでもありませんが、結局ブルータスはアントニーらとの一戦に敗北し、自らの胸に剣を突き刺すところで幕が下ります。
 この「ジュリアス・シーザー」ではシーザーに野心があったか否かが焦点になっています。このことについて劇中、シーザー本人の言葉を聞くことはありません。そもそもシーザー自身のセリフが少ないうえに、元老院に呼び出されたシーザーは、ブルータスたちに野心を問い質されることのないまま、いきなり暗殺されてしまうからです。シーザーは野心を抱いていたか、いなかったか、どちらでしょうか? ブルータスは野心ありと疑わず正義を貫くために暗殺に及びました。おそらくアントニーも野心ありと見ていたのでしょうが、アントニーはシーザーを悲運の人とすることで権力奪取に動きます。ローマ市民はアントニーの巧みな弁舌を信じて、シーザーの野心を糾弾するブルータスには与しません。そして、この劇の観客は、シーザーの野心を挫いたブルータスの正義がアントニーの権謀に敗れるさまに悲劇を見てとります。つまり、野心を軸に見てみると、劇の中心人物は野心ありとし、中心人物たちを取り巻く市民は野心はなかったに流れ、客席で劇を見る観客は野心があったと思っています。しかしながら、肝心のシーザー自身は何も語っていない、そういう構図が面白いなと思っているうちに、梅雨とは思えない青空が広がる山間の駅に到着しました。
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