認識の木をめぐって

Records of my schizophrenia

「弱さの情報公開」にはある種の強さがいる

2016-10-16 11:08:35 | 日記

「弱さの情報公開」というべてるの家の取り組み…。

革命的だと思われるのですが…。

小林秀雄という文芸批評家の社会観を知れば、それがよりはっきりすると思われるので、彼の『Xへの手紙』という文章から一部抜粋させてもらいます。

「弱さの情報公開」にはある種の強さがいるのだ。

 

われわれの社会的本能が、孤独というものを嫌悪し恐怖するというが、事実は寧ろなんとは知れぬわれわれの嫌悪や恐怖が孤独という幽霊を作りあげて、これと戦っていると言った方が当たっている。影との戦いに過ぎないのだ。

社会のあるがままの錯乱と矛盾とをそのまま受納する事に堪える個性を強い個性という。彼の眼と現実との間には、何等理論的媒介物はない。彼の個人的実践の場は社会より広くもなければ狭くもない。こういう精神の果てしない複雑の保持、これが本当の孤独なのである。社会は殻に閉じこもった厭人家(えんじんか)や人間廃業者等を少しも責めない、その癖いつも生ま身を他人の前に曝(さら)している様な溌剌(はつらつ)とした個性には、無理にも孤独人の衣を着せたがる。何故だろう。俺にはこの算術はかなり明瞭に思われる。社会は己(おの)れを保持する為に、一種非人間的な組織を持たざるを得ないし、多数の人々がこの機構にからまれて浅薄な関係を結び合い、架空な言葉を交換し合う強い習慣をどうにも出来ないからだ。社会は人々の習慣によって生きる。社会革命とは新しい習慣をあらたに製造する事だ。これが凡そ習慣というものが気に入らない或る個人の革命を嫌悪する所以(ゆえん)なのだ。金銭(かね)は生き物だという、つまり人間とは多少は金銭(かね)に似ているという意味である。

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