心に張りがあると、
人間というものは、死ぬまで、
ボケるものではありません。
私の言うことは
少し大げさすぎるかもしれませんが、
ボケを防ぐには、たった一つ、
この方法があるだけなのです。
人から必要だと思われる生き方を
している人はボケとは無縁なのです。
老年とは、何にも感じなくなる
と言うことなのでしょうか。
朝食べたパンに、バターがついていたか、
ジャムがついていたかと言うことが、
まだ、舌の上に感覚として残っている間は、
それほど老年にはなっていない、
と言うことなのかもしれない。
毎日の生活が「ふやけて」いなかったら、
老後の心配など、ないわけである。
老後の心配というものは
充実した生活にはないものである。
「私 なんだか死なないような気がするんですよ」
宇野 千代 著
僕の毎日の生活、
「ふやけてない?」
と問われれば少し心ざわつく
今日この頃である・・・
「ふやける」とは
のびたラーメンやうどんのような感じ
天ぷらうどんの天ぷらは
ふやける前に僕は食べたい・・・
こんなバカなことを言っているようでは
とっくにふやけた暮らしかもしれない
老後の心配などというと
考えればどうしようもないから
考えないようにしている
それに考えても仕方がないわけで、
明日交通事故で死ぬかもしれないし
今朝、目が覚めたことが
とても幸せに思える今日この頃である
とはいえ、忘れることが最近多くなって来て
脳細胞の記憶を司るところが
壊死しているような気がする
特に人の名前、場所の名前、
さっき駐車した場所・・・
超っとヤバイかも・・・
早起き鳥
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