・・・哲人
あなたは無邪気な自分、
ありのままの自分に
自信が持てていないと言うことですね?
そしてありのままの自分による
対人関係を回避しようとされている。
きっとあなたも、
部屋の中に一人であれば、
大声で歌ったり、
音楽に合わせて踊ったり、
威勢のいい言葉を
発したりできるはずですから。
・・・青年
へっへっへっ、まるで監視カメラでも
設置しているかのような言葉ですね!
・・・哲人
一人であれば、
誰もが王様のように振る舞える。
要するにこれも、
対人関係の文脈で考えるべき問題なのです。
「無邪気な自分」がいないのではなく、
ただ人前でそれができない
と言うだけのことですから。
やはり共同体感覚です。
具体的には自己への執着を
他者への関心に切り替え、
共同体感覚を持てるようになること。
嫌われる勇気
岸見 一郎、古賀 史賀 著
「無邪気でありのままの自分」とは・・・
と自分の胸に聞いてみれば
そんなこと考えたこともなかったこと
世間体、見栄、執着心、自己中心的・・・
といろんな自分の姿が湧き上がってくる
本来はおしゃべりで、
子供のまま大きくなったような
無邪気な仕草がありのままの姿
でもこの歳になるまでに自分というのは
バカにされたくない、笑われたくないなどと
強い自意識がブレーキをかけ、
無邪気に振る舞えなくなってきた
自己執着が人一倍強いのかもしれない
相手からよく思われたい、
いい人だとの評価を得たい・・・
その一心で生きてきたような気がする
でもリタイヤしてからというもの、
この自意識も誰に向けていいのやら、
大きい組織から卒業してフリーになった途端
無邪気に生きるしか生きようがなくなってきた
こんな大きな転換を思い知って久しい
今は自分のために生きるというよりは
誰かのために生きていたいと強く思っている
アドラーはさらに進んで
共同体感覚を持って
皆と共に生きろと...!
と言っている・・・
早起き鳥
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