新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」

2017年10月09日 | 本・新聞小説

ノーベル文学賞受賞のニュースは、テレビのテロップよりいち早くスマホのライブニュースで知りました。マイクの前で発表された言葉の中に確かに日本人の名前の響きが・・・。ムラカミ・・・ではありません。かすかに聞き取れた「イシグロ・・・」に、瞬間的に数年前から話題に上るイギリス在住の日本語を話せない日本人作家が頭をよぎりました。
少し遅れて同時通訳の「カズオ・イシグロ」の名が。やはりあの作家でした。「えっ?・・・」と夫が急いで書斎に行き一冊の本を持ってきました。カズオ・イシグロ「私を離さないで」。

読書家だった夫の友人S氏が、亡くなる数年前に面白かったからとわざわざ我が家まで持ってこられた数冊の本の中にそれが入っていたのです。
S氏は無類の本好きという事もあって、丁寧に扱われていた本の扉には蔵書印を押した紙が几帳面に貼ってありました。夫もこの系統の文学書はあまり好みでないのでそのままになっていたようです。人文科学、社会科学と多岐にわたったS氏の愛読書と想い出話をひとしきり・・・。

ページをぱらぱらとめくると、何か読みにくそう・・・。「アルジャーノンに花束を」系の本はどうも苦手なのです。歴史上に生きた人間の生き様の方が興味を引きますが、S氏の送ってくれた気持ちとノーベル賞受賞作家の本ということで読み始めました。

    

ところが、ところが、夜の9時に読み始めて朝方4時まで一気に読み終わりました。ここでひとまず終わろうという切れ目がないのです。ひとつの謎が次の章でわかる、というような自然な流れになっています。

「介護人」「提供者」「ヘールシャム」「特別な場所」「保護官」など、最初はよく理解できない言葉が出てきますが、その謎がページを追うごとにおぼろげにわかってきます。それでも臓器提供はほのめかされながら明確に話題にされる事はありません。子供たちの背景や家族が全く出てこない閉鎖的な環境なのに、恵まれた施設と教育内容・・・。とても不可思議な、そして怖さのある世界です。

三分の一ぐらい読み進んだところで、保護官の「・・・あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老後はありません。いえ、中年もあるかどうか……。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。………あなた方は一つの目的のためにこの世に産み出されていて、将来は決定ずみです。……遠からず、最初の提供を準備する日が来るでしょう。それを覚えておいてください。みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているかを知っておいてください」という決定的な言葉に、「ヘールシャム」がクローン人間の施設なのだと確信しました。

牧歌的なイギリスのなだらかな丘に建つ「ヘールシャム」で、運命を静かに受け入れた生活は16歳で終わります。前半に比べて、「ヘールシャム」を出た後半の15年は、介護人生活のこと、数回にわたる提供者達の生活の支援など重苦しく進行します。
クローンゆえ子供を産めない身体にも、だからこそ、心身の恋愛は肉体の健康のためにむしろ推奨されます。クローンでも人間としてルーツへの苦悩、知りたいという願望、自分に似た2~30歳上の「ポシブル(親)」を探しに行くところなど身をつまされます。
医学の進歩と弊害、倫理感、クローン人間を作り出した人間がクローン人間に持つ恐怖感、差別感、恋愛、3年間の命の延長のための粘り強い抵抗と交渉など、奇怪な進展の中に多くの問題が含まれ、真実が含まれ、SF の世界のすぐ隣にある現実のように考えさせられました。

イシグロ氏の英文は土屋政雄氏の日本語訳です。ネイティブの英国人作家作品を日本語訳した角ばった文章とは違った趣があります。あたかも最初から日本語で書かれた様な流れるような優しい文体は、訳者が素晴らしいばかりではないように感じました。
きっと、友人S氏も自分の愛読書がノーベル文学賞作家の本になったことを天上で喜んでいることでしょう。                                                                                                                                                                                                                                           


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