東京クローバークラブ ブログ

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Duhaupas「Gloria」の思い出

2017-02-26 16:56:24 | 日記
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バリトン 下津 啓誠
 Duhaupas「Gloria」の思い出を持つ人は多い。私もその一人だ。今年60年目に入る私の合唱活動は正にこの曲から始まった。

1957年4月、同志社に入学して3日目だったか、私はキャンパスで高校時代の他校のテニス仲間と出会った。彼は「おお、森(旧姓)、コートへ来るやろな」と声をかけてくれた。高校時代、軟式庭球部に属し、パートナーに恵まれたこともあり、大阪ではそこそこの成績を残していたので、私が当然入部すると思ったのだろう。「ああ」と答えたものの、1年浪人し、やっと入学できた私には1年のブランクと前衛で160センチの身長、50キロをきる体では大学では通用しないとの思いが過ぎり、結局コートへは行かずじまいだった。

ただ、その年の新入生名簿(全学部か商学部だけだったか定かではない)には「軟式庭球部」と記されていた。その後、別に、退学勧告もなかったからテニス部へ入ることを条件に加点されて入れてもらったわけではない。とは思ったものの、入学願書のクラブ活動実績欄には高校3年間の主な実績を残らず書き込んでいた。体育の実技は「軟式テニス」を選び、2年間楽しみながらご担当の呉先生には毎年「優」をいただいた。大学4年間で一番楽な授業だったといえる。

テニスを捨てたところで、せっかく大学に入って何もクラブ活動をしないのももったいないと考え、同志社へ入ったからにはキリスト教について知ってみるのもいいかなと、いわゆる学生YMCA/YWCA活動の「SCA(Student Christian Association)」に入った。今考えると、われながら恰好つけたなと感じる。しかし、ここでグリークラブとの縁ができた。

当時、SCAにグリーの副指揮者だった市島章三さん(当時3年生)、バリトンの1年生今尾弘君が在籍していて、周りでもグリーのすばらしさを聞かされ、6月に栄光館でのカリフォルニア大学グリークラブと賛助出演の同志社グリーの最高の男声合唱を聴いてしまった。(入学式でグリーのカレソンを聴いたはずだがそれは全く記憶になかった。)

そして9月のある日、精思館(明徳館の西にあった当時の練習場・木造)の南側の日当たりの良い場所で市島さんに音域をチェックしていただき「バリトン」と決まった。グリークラブは入部にあたってセレクトなどなく、よほどの悪声か音痴でなければ希望者はみんな入部できた。同志社にはもう一つの男声合唱団リーダークランツコールや、いくつか混声合唱団があったのにそれらの存在すら知らずグリーに入部できたのはラッキーだった。

次の記憶は分厚い楽譜を持ってバリトンのど真ん中に立ち、ハイテンポでダイナミックに流れる音に包まれているところへ飛ぶ。時々右隣の先輩が私の楽譜をめくり進行中の小節を教えてくださる。それが次期パートリーダー大友慶介さん、左がパートリーダーの辻義彦さんだった。そして、木製の窓ガラスを揺るがしf5つはあるかと思われる音で唯一理解できた歌詞「アーメン」が繰り返され終わった。曲名はDuhaupas「Gloria」。指揮者は河原林昭良さん。その約2ヶ月後、同志社グリークラブは全日本合唱コンクールで第一位となった。

私の体には入部時のフィニッシュの「アーメン」の音が染み込み、この60年間合唱から足が抜けない。大友さんは今も隣で模範演奏を続けて下さっている。しかし、この夏のOB四連では、大友さんに、今歌っている小節を教えていただく必要が無いようにしておかなければならない。

すばらしい仲間たちに囲まれ、助けられながら、79歳の今も歌い続けられることは誠にありがたい。正に「幸いなるかな」というべきだろう。


次回は故河原林昭良さんの「Gloria」の思い出をご紹介する予定です。

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