この街で(仮)

海と山と清流の街から

ひよっこ考2

2017-04-20 22:16:59 | 日々の事
「いばら」じゃなくて「いばら」・・て
ホントに茨城県民は気にしてるのだろうか?
そもそも 県北では「いばらぎ」と言っている
数年前にプチ流行った本のパクリネタで お母ちゃんに言わせたのかな
まぁ そんな事はどうでもいい

稲刈りの田圃で誰かが言った一言
『日本の原風景だっぺぇ』

『原風景』

たまに僕も使う言葉ですが あのシュチュエーションで言われて ちょっと引っかかった
もし それを子供の頃によく見ていた 懐かしい風景とするなら 人の数だけ原風景がある
それとも 中山間地に広がる棚田 そして茅葺の屋根 そんな風景なら メディアの影響
が大きい
昭和も終わりの頃以降に生まれた若い人達には あまりリアリティーがないのでは
僕にしても その残り香程度しかしらない

話はそれる
ある意味象徴的なその風景は 農村が維持されてこそのもの
日本の農村を維持してきたのは 士農工商という身分制におうところが大きいと思っています
詳細は省きますが 江戸期の年貢は収穫の半分以上 さらに後半にはほとんどの藩が赤字だった
といいます
殖産興業に力を入れ潤った藩もありましたが(それが倒幕の力につながる)
ほとんどが藩財政の基盤を稲作に置いてましたので 当時のお百姓は搾りにしぼられた事でしょう
当時の農業は今の様に資材が豊富だったわけではありませんので 千変万化の天候の前では
個人の才覚などたかが知れたもの できる事は ただ勤勉である事 だったのではと思います

武士も身分こそ高いが おおむね質素な暮らしをしていたらしく 下級武士など禄(給料)だけでは
やっていけず 今でいうアルバイトに精を出していたそうです

就農比率が今よりずっと高く 武士というエリート層ですら質素倹約
この質素 勤勉 という気質は後の日本人にも受け継がれていったとしたら面白い
戦後の復興 3:11震災時の行動に それを見いだせると言ったら 言いすぎか?

しかし それとは逆の事も昨今では散見される
農村の消滅と共に 受け継いできたこの気質も無くなっていくのが道理なのか・・
なんて事は 僕の妄想なのですが(笑)


ちなみに

劇中出てくるバス停
母の友達の家の前だそうな
僕も子供の頃 よく行ったそうだが・・覚えていない
行ってみよう・・かなぁ
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