明日につなぎたい

老いのときめき

長崎の鐘

2017-08-09 13:16:02 | 日記

 今から72年前の1945年8月9日、午前11時02分、長崎市上空に米軍機が襲来、もたもや原爆が投下された。広島原爆(ウラン235)の1・5倍の威力を持つプルトニゥム爆弾だった。当時の長崎市の人口24万(推定)の3分の1にあたる7万4千人が死亡、建物の36%が全壊、全焼したと記録されている。この1年でも亡くなった被爆者は3551人、原爆死没者は累計17万5743人に及んでいるという。絶対に忘れてはならない、黙して語らぬというわけにはいかない歴史である。私も日本国民の一人として、広島と同じく、この記事を書く。

 

 何十年か前に長崎に行き、おぼろげだが浦上天主堂の記憶も残っている。何故か、原爆もさることながら、徳川幕府の圧制に抗した、当時のキリスト教信者たちの足跡を偲んだ記憶もある。「長崎の鐘」も懐かしい。自らも被爆の重症を負いながら、救護活動に献身した永井 隆・長崎医大助教授の随筆名は「長崎の鐘」だった。アメリカ主力の占領軍司令部(GHQ)の検閲などで出版も遅れたが、この書が世に出るや空前のベストセラ―になったそうである。残念ながら私の手許にない。もう一度読みたいと思っている。

 

 「長崎の鐘」は歌謡曲にもなっている。作詞・サトウハチロウ、作曲・古関祐司、歌・藤山一郎。かなりヒットしたようだ。今も聴くことがある。この曲、1番から4番まであるが「なぐさめ  はげまし ああ 長崎の鐘がなる」で終わる。原爆とか被爆とかの文句は皆無である。聴くものが連想すればよいのだろうか。永井博士の辞世の句は「光りつつ秋空高く消えにけり」である。作詞者はこれにヒントを得たのだろうか。今の人たち、この歌曲を聞いて原爆への想い、悲しみと怒りにかられることがあるのだろうか。

 

 

 

 

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