明日につなぎたい

老いのときめき

舞鶴紀行

2015-12-06 16:59:34 | 日記

 5日、近所の親しい知人が企画した「戦後70年『舞鶴』を訪ねて」というバスツアーに参加した。朝8時に出発、夕方6時には帰宅、現地にいたのは5時間足らずだった。この短時間に紀行とは?首をかしげる人もいるだろう。紀行とぱ「旅路の出来事、見聞、感想などを記したもの」とされる。今回の私たちの旅は、これらを濃密に満たしたものだった。だから敢えて紀行と名づけた。しかし、このスペースで多くを「記す」のは至難事だ。その一端だと受け取っていただきたい。だが中心は外していないつもりだ。

 バスには、1945年の終戦時、旧ソ連のシベリアに抑留され、九死に一生を得て引揚げてきた2名の人が同乗している。私と同世代だ。身も凍る寒さと飢えと苦役の実態を話してくれた。目が覚めたら隣にいた友が死んでいた。死者の埋葬に明け暮れする日々、遺骨,遺髪もない。同年輩の人が想像を絶する地獄にいたのだ。胸がふさがる思いで耳を傾ける。個人の昔話で片づけられぬ、消してならない、歴史を語ってくれているのだ。この歴史の証言者、生きてどこまで語り尽くせるだろうか。旅の仲間が受け継ぐべきだろう。

 ユネスコ世界記憶遺産に登録されたという舞鶴引揚記念館に入る。苛酷な抑留生活を物語る資料、写真、絵画、彫刻、模型などに見入る。何としても生き抜こう、その知恵と力の証のような作品も見られた。体験者が説明してくれるから実感が伝わる。この人たちは残酷な国策の犠牲者、被害者である。だが国は賠償する誠意を見せない。裁判所も国の側だ、敗訴が続いている。犠牲者は「国の非情に恨み、つらみの毎日だ。ほっとするような旅情を望んでいたが、今日は温かい仲間と一緒になれて癒された」と。この一言で舞鶴紀行を閉じることができる。


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