明日につなぎたい

老いのときめき

二つのプレゼント

2017-01-04 13:30:37 | 日記

 大晦日の夜、我が家では家族全員が集まり、鉄板を囲んで飲み食いするのが恒例。ささやかな宴会だ。娘の子(孫息子)だけが仕事で遅れてきた。お互いに忙しく顔を合わす機会が少ない母子である。娘がお好み焼きをつくり、適当に切って無言で皿に入れる。孫が黙々と口に運ぶ。久しぶりに見た母と子の姿である。微笑ましい空気が漂っていた。娘も嬉しかったことだろう。私の胸も温もっていた。この年の最高のプレゼントではないかと思えた。

 もう一人の娘(長男の妻)から「お誕生日新聞」という東京日日新聞(現、毎日新聞)の縮刷版をもらった。新聞の半分のサイズだからそういうのだが、私には超大型に見えた。私の誕生日・大正15年(1926年)10月12日号から2016年10月12日号まで、10年毎の私の誕生日の新聞である。活字が小さいので虫メガネの代わりになる「みえル―ペ」というのが同封されていた。正月中は飲み食いや遊びで呆けていたので、今日から眼を通し始めた。

 大正15年の1面トップは「江木法相襲はる」だった。糞便入りの缶を投げつけられた。犯人は国家主義者・北一輝の2名の子分である。暗い時代の始まりとともにオレも生まれたのか。そんな感慨がよぎった。次の10年、昭和11年(日中戦争中)の1面に呆れた。吉川英治の”宮本武蔵”、菊池寛の”結婚の条件”などの小説本や辞典類の広告で紙面が埋まっている。2面では、老尼殺し、娘誘拐、情死、女絞殺などの酷い記事が目立った。

 昭和21年は戦後である。1面の社説は炭鉱の危機を論じていた。吉田茂首相はゼネスト非難の所信表明。2面に熊本の女子学生が断髪禁止に抗議ストの記事。戦後民主主義も生易しくはなかったことを思い浮かべた。31年の1面は、厚生省が国会で継続審議中だった”健保患者負担増改正案”を再提出したことを報じている。41年の1面は、佐藤内閣の荒船運輸相更迭の記事。自分の選挙区である深谷駅に急行を停車させる職権乱用だった。自民党政治の腐敗は伝統なのだ。

 以下は別途にする。人によっていろんな見方があるだろうが、私は昭和史を探る参考資料にはなると思った。いいプレゼントであった。


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