明日につなぎたい

老いのときめき

怒りと憎しみの火

2017-03-20 15:18:05 | 日記

 19日午後「多喜二の火を継ぐ2017年大阪多喜二祭」に出かけた。多喜二の「母」についての「ひとり語り」や映画「母」の紹介、そして「多喜二、連帯への熱情」と題する記念講演を聴いたが、この記事はそれらの感想ではない。長年、抱き続けている私自身の感情・怒りと憎しみの発散である。私も90歳、生きているうちに、わが胸にある火をぶちあけたい、しまいこんでいたくはないと思い始めていたのである。

 多喜二全集15巻に「われらの陣頭に倒れた小林多喜二」という江口  喚の長文の手記が載っている。多喜二告別式の司会だったが「短いながらもたぐいなき輝かしさにみちた彼の文学的生涯を話そうと思ったが涙で言葉が出てこない。よくもこれほどの無残な姿にして殺しやがった。この恨みは死ぬまで断じて忘れないぞ・・・おれが生きているかぎりいつの日にか復讐してやるぞ」と激情を吐露している。

 そして、多喜二を特高警察に虐殺させたのは絶対主義天皇制だとしながらも「私の怒りとにくしみと復讐心は、階級闘争という理論をぬきにして、むしろ個人的ななまなましい実感にまで深まっていった。それがいまだに、今日までまでもつづいている」と。人間は理性と感性の動物だといわれる。拷問・惨殺に対すする怒りと憎しみを持つのは、人間ならば当然だろう。

 多喜二は「1928年3月15日」を書いて凄惨きわまる特高警察の拷問ぶりを描いた。築地署の水谷特攻主任、警視庁の中川特高係長、拷問係の須田巡査部長、山口巡査らは多喜二に向かって「あの小説に書いた通りのことを思い知らせてやるぞ」と恫喝し、実行した。江口氏も中川から「逆賊は捕まえしだいぶち殺してもいいことになっているのだ」と言われている。特高警察とは凶悪な共謀テロ、殺人集団だったのだ。

 戦後、治安維持法は廃止、特高警察も解体となったが、この確信犯ともいうべき”殺人者”たちが罰せられることはなかった。逆に多くの者が栄達の道を保障されている。この理不尽を思い出すたびに私の腹は煮えくり返る。だが「闇があるから光がある」のだ(小林多喜二)。多喜二の死は「良心ある人間にとっての深い悲しみと激しい怒り」をもたらしたが、多喜二の火は世界中の人に受け継がれている。

 

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