音楽講師の思い出日記 

現在、奈良県の自宅で音楽を
指導しています。
ヤマハ講師時代~東大阪自宅時代の
生徒の思い出日記を掲載します。

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麻美ちゃん 恵子ちゃん 

2009-05-31 03:27:49 | Weblog
 

関目高殿の教室は、6年間 指導しました。


ですから、生徒さん1人 1人 よく覚えています。


 6年間 辞めずに頑張ってくれた生徒さんが沢山います。


 麻美ちゃんと恵子ちゃんも、私が辞める6年前から指導していました。


4歳~10歳まで指導しました。


麻美ちゃんは、小柄で色白の可愛い生徒さんです。

 

写真の2列目の右端の子が麻美ちゃん。

恵子ちゃんは、華奢な感じの大人しい女の子

写真の2列目の右端から3番目の女の子。

写真の発表会の頃は2年生くらいです。

クリックすると大きな画像で見れます。

2人ともエレクトーンを指導していました。

2人とも、熱心に学んでくれました。

ディズニーの曲などにチャレンジしてもらいました。

私が教室を辞めてから、ヤマハのグレード合格者の欄に

麻美ちゃん(7級合格)の名前を見つけた時は

嬉しかったです。

たぶん、今は 2人とも優しいお母さんになっているんじゃ~ないかな......

そんな気がします。

 

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浅香山教室の生徒達

2009-05-30 08:31:23 | Weblog
オーナー会場の浅香山教室の生徒達について......

事情があって、上記教室は3年で辞めちゃいました。

そのため、1人 1人の生徒さんについて

あまり詳しくは覚えていません。

発表会に参加した生徒さんについて、印象に残っている事は

アンサンブル(合奏)です。

フォスターメドレーを演奏しました。

印象に残っている生徒さんは

ゆきちゃん 活発な女の子 

えりちゃん 大人しいけど芯がしっかりしている。

名前は忘れちゃったけど(ごめんなさい)男の子

お母さんが、私の第一印象が老けて見えたそうで

「先生 良く見ると、若いんですよね~」とおっしゃったんです。

他教室でグレード9級が不合格だった生徒さんも指導しました。

カデンツ(終止形)を覚えていなかったんです。

事情があって辞めましたが、もう少し続けら良かったと

後に後悔しました。



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無邪気で明るい真央ちゃん

2008-07-03 09:51:32 | Weblog
真央ちゃんは、とっても無邪気で明るい生徒さんです。

大阪の自宅で指導していた頃の生徒さん。

実は、彼女は私の息子(長男)と同級生。

彼女のお母さんは友人です。

真央ちゃんは、すごく純粋で表裏のない生徒さんでした。

無邪気で明るくて、子供らしい女の子。

それでいて、頭が良くて

音楽理論を指導すると、理解力が優れていました。

クリスマス会などのイベントは

心から楽しんでくれました。

感性豊かで、優しくて

表裏のない生徒さんでした。

真央ちゃんのお母さんとは今でも交流があります。

真央ちゃんの成長を聞くのを楽しみにしています。

いつまでも、子供の頃の純粋さを失わないで欲しいと感じています。












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都ちゃん 由紀ちゃん

2008-04-08 06:05:18 | Weblog

ブログとホームページを複数運営していますので 久しぶりの投稿です。

 ヤマハの某センターでの個人レッスンで指導していた生徒さん。

エレクトーンのレッスンを初めて開始した頃 土曜日だけ10名指導していました。

その時の生徒さんは、印象深いです。

第一章では、「ち~ちゃん」について掲載しました。

 「都ちゃん」ははきはきして明るいお子さんでした。

「音感」が良くてのみこみが速かったので 進むのが速かったです。

彼女は、基礎がしっかりできていました。 当時、2年生でした。

発表会で「ホワイトクリスマス」を弾いてもらった事があります。

 「由紀ちゃん」は他教室から変わってきたお子さん。 彼女も2年生でした。

背が高くてすらっとしたお子さんでした。

彼女は、まじめで芯の強いお子さんでした。

音楽表現の上手なお子様でした。

 どちらかと言えば、ロックやジャズよりも クラッシック調の音楽が得意でした。

発表会では「ウインターワンダーランド」 を弾いてもらった事があります。

「都ちゃん」は、写真の最後列 右端~4番目の女の子

ゆきちゃんは写真の最後列の右端の身長の高い女の子。

 ち~ちゃん ちいちゃんの妹の弥生ちゃん 都ちゃん 由紀ちゃんと

私で ジャズの「Aトレインでいこう」のアンサンブル を

クリスマス音楽会で発表しました。

ゆきちゃんは、レッスンへ通うのに、電車に乗って通ってくれていました。

2人は、違う小学校に通っていましたが 後に、同じ高校へ進学されました。

その後、私が結婚してから 一度、ち~ちゃんと一緒に遊びに来てくれました。

 都ちゃんは女子大へ進学されました。 由紀ちゃんは短大へ進学されました。

もうたぶん、2にんとも結婚しているだろうな~

 

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第5章 「小学校の先生になった麻衣ちゃん」

2007-03-18 03:59:49 | Weblog

ピアノ  努力家の麻衣ちゃん    ピアノ⑤



麻衣ちゃんは私がヤマハセンターを辞めて


自宅で講師を始めてからの生徒さんです。



麻衣ちゃんがピアノを始めたのは中学3年生からでした。


彼女はかなりの努力家で、2年間くらいで


小学校から習っている生徒さんに追いつきました。




発表会ではドビッシーの「月の光」や


ショパンの「ポロネーズ」を演奏しました。




彼女の目標は小学校の先生です。


小学校の先生の免許を無事習得して採用試験にトライ!


見事、一次試験にパス。


ところが、2次試験のダンスで失敗をしてしましました。




そのため、採用されませんでした。


しかし、彼女はめげません。


小学校の先生のボランティアをしながらチャレンジ。




運良く家庭科の臨時講師を募集していて


家庭科の先生になる事ができました。


正式には、もう一度採用試験を受けなければいけません。




私が引越しをしたため、翌年の採用試験に合格したかどうかは


わかりませんが、彼女ならきっと合格しているんじゃないかなあ。



夢に向かって頑張る彼女を応援しています。





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第4章 東京から引越しして来た大ちゃん

2005-09-01 13:39:03 | Weblog

東京から引越ししてきた大ちゃんは、とてもユニークな男の子。

名前の通りのノッポ君。眼鏡かけているから

ちょっとがり勉ぽっく見えるけど全然違うんだ。

間違えると首をかしげる癖がありました。

彼を指導したのは小学校3年生から中学1年生までです。

 エレクトーンを指導していました。

 

彼は写真の3列目の一番左端の背の高い男の子。

1章で登場している恭平君名達といっしょに

発表会では、男の子達のグループで

「ドラゴンクエスト」の主題曲をアンサンブルで演奏して貰いました。

彼はノッポだから、2学年下の子なんかと合奏しても違和感がありました。

ソロでは「戦場のメリークリスマス」を演奏して貰いました。

演奏技術も練習も平均レベルの男の子でした。

でも、いつも一生懸命に演奏してくれました。

彼はすぐに大阪の学校にも順応したので、

引越しして来たときは東京弁でしたが、だんだん

東京弁プラス大阪弁になってきて、かなりおもしろいトークになっていました。

彼には2歳下の弟のたったyんがいました。

弟もノッポさん。いろんな事に興味しんしんでした。

彼は後、英語に興味を持ち

国立大学の大阪外国語大学に進まれたそうです。 

東京弁 大阪弁 外国語と語学の達人ですね~(笑う)

 

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第3章 音楽表現が抜群なだった「ここちゃん」

2005-08-31 21:58:00 | Weblog

ここちゃんは、ヤマハのオーナー会場<ヤマハの個人レッスンの教室として貸してくれるオーナーさん>の子供さんでした。

お父さんは小学校の先生をされていてお母さんは明るく世話好きな方です。

ここちゃんを4歳~10歳迄指導しました。

ここちゃんは、写真の3列目の左から4番目の茶色の衣裳の女の子です。

彼女はすごく頑張りやさんで音楽が大好き!

思いやりもあって小さい時からしっかりした女の子でした。

しかも音楽表現は抜群でした。

彼女が小学校1年生の時のに始めて弾いてもらった曲は「人形の夢とめざめ」でした。

1年生と思えないくらいの豊かな音楽表現で一生懸命に弾いてくれました。

彼女は頑張りやさんなので2年生の頃にはソナチネアルバムに進んでいました。

もしかしたら音楽に関係する仕事に進むかもしれないと感じた私は、

3年生の時のクリスマス会でエレクトーンにもチャレンジしてもらいました。

ミュージカルキャッツの主題曲を弾いてもらいましたが、

エレクトーン未経験で、いきなり6級の曲にチャレンジにもかかわらず

見事に演奏してくれました。

4年生の時の発表会の時は湯山昭の「バームクーヘン」と言う

ちょっとジャズっぽくて粋な曲にチャレンジして貰いました。

そんな彼女は私が教室を辞めてからエレクトーンを本格的に始められました。

そして私の手柄ではありませんが、

なんとエレクトーンフェステバル中学生の部で、

京橋センター大会で優秀賞を貰えました。

思いやりが合ってリーダー格で努力家の彼女は、

現在障害児の指導にたずさわる仕事をされているそうです。

音楽の道に進まなかったけど、彼女なら

きっと立派で尊敬される大人になっている事でしょう。

 

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第2章 保育所の先生になった「ちーちゃん」

2005-08-26 13:57:01 | Weblog

私が堺の諏訪ノ森センターで稼動していた時の事。

そこで、始めてエレクトーンの指導をする事になりました。

その時の生徒さんで、ちーちゃんと言う3年生の子がいました。

彼女を高校2年生まで指導しました。

ち~ちゃんは写真の一番後ろの列の右端から2番目の女の子。彼女はいつも元気いっぱいの女の子でした。いつも頑張って練習してきてくれました。

例えば、小学生の子にジャズ的な指導をしても

なかなか理解してくれなかったのですが、

彼女はすごくのみこみも速くセンスのいい子でした。

その上、ムードメーカーでクリスマス会ではいつも盛り上げてくれました。

なにしろ、平成生まれの子なんかだったら

小学校5年生くらいになったらクリスマス会を開いても

盛り上がってくれず、しらけムードになるのですが

彼女は高校生になっても小さい子達と一緒に楽しんでくれるから

周りの中学生達彼女の影響でクリスマス会なんかで盛り上がってくれました。

ただ1つ欠点をあげるなら、音楽表現が苦手で

しっとりとした曲は彼女に向いていませんでした。

 なんとなく彼女が音楽に関係する仕事につくかも?と考えた私は

彼女にピアノも指導しました。勿論月謝はエレクトーンの分だけ頂きました。

まず、ハノンの指の練習曲をさせて

それからアンサンブルでレットイットビーのピアノを担当して貰いました。

ある日彼女がなにげなく「私 将来何になろかな?」と言いました。

私が「そやな、エレクトーンの先生は収入が安定してないから

小学校の先生か幼稚園や保育所の先生がいいかもな。

あんた体育も図工も得意やし子供好きやから向いていると思うよ。」と

答えました。

後に彼女は、幼稚園や保育所の就職率が抜群の某短大に進学し、

公立の保育所の先生になる事ができました。

 彼女が大人になってからもしばらく交流がありましたが、

今もきっと元気に頑張っていると信じています。

当時チェツカーズのフミヤが好きだった彼女も今は30歳代になっています。

 何気ない一言が彼女の進路に影響を与えたかもしれない?ので

常に子供とは真剣に、向かいあっていたいと思いました。

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♪第1章 今までで一番印象に残った生徒さん

2005-08-26 00:09:42 | Weblog

約20年間指導してきて一番印象に残った生徒さんは、

恭平君と言う男の子です。

 彼を4歳~10歳迄ヤマハのオーナー会場で指導してきました。

恭平君は写真の3列目の左から2番目の男の子です。

 印象に残った生徒さん?さぞかし優秀で進度も速いのでは?と

想像されると思いますが、彼は

最もやんちゃさんで家での練習をしてきた事のない子供さんでした。

なにしろ、3年間ピアノを指導してきて発表会で弾いた曲は

「むすんでひらいて」だったのです。

頭の回転はすごく速い子です。

ただピアノよりもお絵かきに興味があったようです。

レッスン中もふざけたりして私を困らせていました。

当時、レッスン態度の悪いお子さんにドクロマークを書いていて

ドクロマークの多い子を発表していました。

それは、皆の前で恥をかかせるのが目的ではなく

ユーモア感覚でしていました。

練習してこないので当然進むのは遅いのですが、

当時アンサンブルと言って何人かのグループで合奏をしたんですけど、

合奏の時はやたらと張り切ってくれて皆を笑わせてくれるような

ムードメーカーでした。

彼のお父さんもお母さんも市役所に勤められていました。

彼は本当は絵を習いたかったのですが、

お母さんがピアノと習字は、絶対辞めてはいけないと言われていたので

彼は私が結婚でその教室を辞めてからも、6年生までは続けたそうです。

 ピアノはあまり上達してくれなかったけど、

私はなぜか彼を教えていると元気になれました。

辛い事があっても彼の屈託のない笑顔を見るとすごく元気が出たんです。

 確かに高い月謝を払っているのだから、上達して欲しいと親御さんは

誰もが思うかもしれません。

でも彼は常にレッスンもクリスマス会も発表会も楽しんでくれました。

「恭平もう また練習してきてへんのか?今日もドクロマークつけるで」

「きょうも、俺ドクロマーク!俺ドクロマークだんとつ1位やな。」と言う

たわいもない会話のなかで、お互い楽しみながらレッスンしてきた日々が

懐かしく感じます。

 

 ★★★~1クリックで救える命がある。~★★★

 世界には、まず貧しい子供達が沢山います。

1クリック募金にご協力お願い致します。

 

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