看護師未満

ちょっと哲学チックなひとりごとかな?

移設先

2007年08月07日 | Weblog
希哲Ver.2 . . . 本文を読む

更新終了

2007年08月02日 | 哲学
6ヶ月放置。 のち、更新終了。 場は残しておきます。 . . . 本文を読む

死(現象学にあらず)

2007年01月26日 | 哲学
死が意味を成すのは、それが他人のものであるときだけである。 人間は自分の死については自覚することができない。 死で区切られる終わりとか始まりとか、 そういうものは全て他人の死を見て考えついた幻想である。 死を悲しむのも、遺された人の仕事である。 死を恐れるようになるのも、他人の死に様を見るからである。 自分の死をあえて考えようとしても、 全ての得られる答えが万人を納得させるもの . . . 本文を読む

逝け

2006年12月29日 | 哲学
「われ思うゆえにわれあり」、 とはデカルトの名文句だが、 その意味するところはかなり曖昧である。 もちろん、デカルト自身は厳密に考えていたかもしれない。 だが、われ、という言葉自身があいまいである。 われ、という言葉で、デカルトが言おうとしていたのは、 私の身体に関する認識のこと(だけ)ではなく、 意思する精神の働きのことだったのではないだろうか。 デカルトの立場は、物心二元 . . . 本文を読む

1+1=2

2006年12月27日 | 哲学
1+1=2 この論理の正しさを疑った人はいるかな? なぜ正しいんだろう。 1の意味、 +の意味、 =の意味、 2の意味、 がわかると、どうしても1+1=2だと思ってしまう。 経験なんだろうか? それともわれわれの知らないところで、 暗黙のうちに決められているのだろうか? 哲学的には、上の二つは有力な説である。 しかし、私が正しいと思う説は次のようなものである。 . . . 本文を読む

変人

2006年12月21日 | 哲学
我輩が我のことを変人だと自覚したのは、 遠い昔のことではない。 考えるまでもなく、 モノゴトの基準は我のほうにあり、他人にはないと思っていた。 哲学を始めて、この世界にのめり込むようになってから、 そして、この世界が案外孤立していることを知ったことから、 我輩はマイノリティであることを知った。 モノゴトの基準は我のほうにあり・・・ 哲学が突き詰めていくのはこういった課題である。 当たり前だと . . . 本文を読む

疑問

2006年12月13日 | 哲学
世界は一体どうなっているのか? 何次元か? 人間の脳と外界はどうつながっていて、 自由意志というのは本当に存在するのか? 何もかも言葉の定義の問題か? 無意識とはからだのことか? 可能性は無に所属するのか? 無とは有とは何か? . . . 本文を読む

ノープロブレム

2006年11月02日 | 雑感
基本的に、ここで書くことがないときには、 精神が健康なときだろうと思う。 何もかも投げ出したくなるときや、 生きていることに対して疑問を持つときに、 圧倒的な勢いで、ここに書きたくなるのであろうから。 私は考え方は固まっていると思っていたのだが、 昔の記述を読み返すと、今とは考え方が変わっているのが、 けっこう多いことに気がつく。 一般性や個別性に関して、 一般性を引き出すことが出来れば、 . . . 本文を読む

後悔のない一生

2006年10月07日 | 雑感
最近、ハイデガーが、『存在と時間』で言いたかったことを、 完全に把握することができたら、 もう一生哲学をやらなくてもいい、 そう思うようになった。 彼の問題設定が私にとってぴったりなのである。 私にとっても、問題は事実なのである。 存在という事実。 存在。 もっとも普遍的であり、定義不可能であり、もっとも自明なもの。 ハイデガーの指摘があまりにも正しい。 私が目指すべき哲学は、 ハイデガーに . . . 本文を読む

絶対

2006年09月19日 | 哲学
絶対者は認識対象になりうるが、 絶対は認識対象になりえない。 絶対者を否定するときには、 そのあたりをよく考える必要がある。 ただし、肯定するときにはその限りではない。 最初の意味が生まれるとき、 そして、最初のクオリアを感じるとき、 その始原の思考あるいは感情が絶対者の観取であり、 その観取の認識が、絶対の認識である。 メタ(認識超越)の立場に立たないと、絶対は認識不可能だ。 . . . 本文を読む

こんな甘いことを考えていた時期もあった

2006年09月14日 | 雑感
 私は、これからの福祉問題は、もっと感情レベルで行ってしまえばいいのだと思う。現在は、お金が全ての価値を決めるみたいに、お金があれば保護を受けられるかもしれないが、年老いた人々にとってお金を媒介とした世話は、何とも味気ないものだと思う。もちろん人それぞれだろうが。また、お金のない人はどうするのだ?という、もっと深刻な問題も当然ある。  そこで、お金偏重を少しでも改革しようとする動きなのか、最近、 . . . 本文を読む

神の不在証明

2006年09月07日 | 雑感
神は全能である。 世界には戦争と飢餓と犯罪が満ちている。 神は全能である。 ゆえに、神は戦争や飢餓や犯罪が好きである。 または、全能の神は存在しない。 QED . . . 本文を読む

なぜ、人を殺してはいけないのか

2006年09月03日 | 哲学
A:どうして人を殺しちゃいけないんだろうね?   B:さあ、それは難しいと思い始めると難しいんじゃないか?   A:実際、難しいと思うんだけど、なぜ普通の社会では取り上げられないのかな?   B:どうして、人を殺しちゃいけないのかって、疑問に思ったり、話題にすることすら、  はばかれることなんだけど?   A:そうだね。   B:これって、あんまり愉快な話題ではないし、   . . . 本文を読む

告白

2006年08月30日 | Weblog
自分の人生を思い通りにデザインしてみたい。 そう思うことがある。 だが、通常のセンスではそれは難しい。 時々思う。 神への信仰が足りないのか? 神への理解が不足しているのか? だが、私の考えでは神は人間ごときのやることに、 いちいち腹を立てたり、罰したりはしないだろう。 むしろ、自然法則を維持して、それを守ろうとする程度だ。 しかし、自然法則とは何か? 単純に物理学の世界が人間の頭では分から . . . 本文を読む

競争原理再考

2006年08月28日 | 哲学
前提:競争原理とは人間の種としての発展を促す自然の原理である。 (議論の要点:人間の種としての発展には二つの解釈があり、その混同が重大な誤解を招いている。二つの解釈とは、遺伝子としての発展、社会としての発展である。)   <現在、主として資本主義社会に流布されている競争原理に関する疑問点> ・人間という種において、強者とは一体どのような特性を持つ人々をいうのか。 経済至上主義が有効である . . . 本文を読む