希哲Ver.2 . . . 本文を読む
死が意味を成すのは、それが他人のものであるときだけである。
人間は自分の死については自覚することができない。
死で区切られる終わりとか始まりとか、
そういうものは全て他人の死を見て考えついた幻想である。
死を悲しむのも、遺された人の仕事である。
死を恐れるようになるのも、他人の死に様を見るからである。
自分の死をあえて考えようとしても、
全ての得られる答えが万人を納得させるもの . . . 本文を読む
1+1=2
この論理の正しさを疑った人はいるかな?
なぜ正しいんだろう。
1の意味、
+の意味、
=の意味、
2の意味、
がわかると、どうしても1+1=2だと思ってしまう。
経験なんだろうか?
それともわれわれの知らないところで、
暗黙のうちに決められているのだろうか?
哲学的には、上の二つは有力な説である。
しかし、私が正しいと思う説は次のようなものである。
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基本的に、ここで書くことがないときには、
精神が健康なときだろうと思う。
何もかも投げ出したくなるときや、
生きていることに対して疑問を持つときに、
圧倒的な勢いで、ここに書きたくなるのであろうから。
私は考え方は固まっていると思っていたのだが、
昔の記述を読み返すと、今とは考え方が変わっているのが、
けっこう多いことに気がつく。
一般性や個別性に関して、
一般性を引き出すことが出来れば、
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最近、ハイデガーが、『存在と時間』で言いたかったことを、
完全に把握することができたら、
もう一生哲学をやらなくてもいい、
そう思うようになった。
彼の問題設定が私にとってぴったりなのである。
私にとっても、問題は事実なのである。
存在という事実。
存在。
もっとも普遍的であり、定義不可能であり、もっとも自明なもの。
ハイデガーの指摘があまりにも正しい。
私が目指すべき哲学は、
ハイデガーに . . . 本文を読む
私は、これからの福祉問題は、もっと感情レベルで行ってしまえばいいのだと思う。現在は、お金が全ての価値を決めるみたいに、お金があれば保護を受けられるかもしれないが、年老いた人々にとってお金を媒介とした世話は、何とも味気ないものだと思う。もちろん人それぞれだろうが。また、お金のない人はどうするのだ?という、もっと深刻な問題も当然ある。
そこで、お金偏重を少しでも改革しようとする動きなのか、最近、 . . . 本文を読む
A:どうして人を殺しちゃいけないんだろうね?
B:さあ、それは難しいと思い始めると難しいんじゃないか?
A:実際、難しいと思うんだけど、なぜ普通の社会では取り上げられないのかな?
B:どうして、人を殺しちゃいけないのかって、疑問に思ったり、話題にすることすら、
はばかれることなんだけど?
A:そうだね。
B:これって、あんまり愉快な話題ではないし、
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自分の人生を思い通りにデザインしてみたい。
そう思うことがある。
だが、通常のセンスではそれは難しい。
時々思う。
神への信仰が足りないのか?
神への理解が不足しているのか?
だが、私の考えでは神は人間ごときのやることに、
いちいち腹を立てたり、罰したりはしないだろう。
むしろ、自然法則を維持して、それを守ろうとする程度だ。
しかし、自然法則とは何か?
単純に物理学の世界が人間の頭では分から . . . 本文を読む
前提:競争原理とは人間の種としての発展を促す自然の原理である。
(議論の要点:人間の種としての発展には二つの解釈があり、その混同が重大な誤解を招いている。二つの解釈とは、遺伝子としての発展、社会としての発展である。)
<現在、主として資本主義社会に流布されている競争原理に関する疑問点>
・人間という種において、強者とは一体どのような特性を持つ人々をいうのか。
経済至上主義が有効である . . . 本文を読む