東武東上線の営団(→東京メトロ)有楽町線との直通運転開始に伴い登場した
車両である。
9000系は昭和56年〜平成3年にかけて10両編成×8本=80両、9050系は平成6年に10両編成
×2本=20両の合わせて10両編成×10本=100両が製造された。
製造を担当したメーカーは東急車輛、アルナ工機(→アルナ車両)、富士重工である。
編成の組み方は東上線池袋・有楽町線・副都心線方面側から以下の通り。
・9000系:クハ9100形+モハ9200形+モハ9300形+サハ9400形+モハ9500形+※
※+モハ9600形+サハ9700形+モハ9800形+モハ9900形+クハ9000形
・9050系:クハ9150形+モハ9250形+モハ9350形+サハ9450形+モハ9550形+※
※+モハ9650形+サハ9750形+モハ9850形+モハ9950形+クハ9050形
東武鉄道で初めての10両固定編成となった。
集電装置と主制御装置は9000系がモハ9200形、モハ9500形、モハ9800形、9050系が
モハ9250形、モハ9550形、モハ9850形に搭載されている。
エアコンプレッサーは9000系がモハ9300形、モハ9600形、モハ9900形、9050系が
モハ9350形、モハ9650形、モハ9950形で9000系9101〜9107編成はモハ9600形に2基
搭載した。
補助電源装置はエアコンプレッサーと同じ車両に搭載しているが、9000系9101〜
9107編成はモハ9600形への搭載がなくコアレスブラシ式のMG(電動発電機)、
9108編成は素子をGTO方式の静止型インバータ、9050系はIGBT式の静止型インバータを
それぞれ搭載している。
車体はオールステンレス製で東武鉄道で初めての採用となり、8000系以来18年ぶりの
新形式となった。
当時最新技術の軽量構造のものとなっているが、当時はメーカーの東急車輛が
ステンレスカーの製造特許を独占していたためと他の2社は初めてのステンレスカーで
あった関係で工作のしやすさを優先し、同時期に製造された東急8090系と比べると
コルゲートの多い、やや古いスタイルとなっている。
正面はFRP製の飾り枠を設け、縦に「く」の字に折れた2つ折となっており、貫通扉を
左側に寄せている。
帯色はマルーンで、以後登場した東武鉄道のステンレスカーでも標準採用されている。
行き先表示と種別表示は字幕式で正面と側面にあり、正面のものは種別と行き先が
別個となっている。
また、試作車である9101編成は車端部、9102編成以降は車体側面中央部と設置されて
いる位置も異なる。
9050系の行き先表示は設置位置は9000系9102編成以降と同じだが、当初よりLED式
(但し3色式)となった。
車内はオールロングシートで試作車の9101編成は8000系ベースの定員割としたのに
対し、9102編成以降と9050系はドアの位置や座席の一人当たりの占有幅の見直し、
営団7000系と揃えられた関係で変更されている。
車椅子スペースは9050系から設置され、9250形と9950形にある。
ドアは片側4箇所、全て両引き戸で9101編成と9102編成以降で位置が異なる。
ドアの開閉チャイムや旅客案内装置は9000系では採用されなかったが、
9050系ではドアチャイムの他、通勤形電車としては日本で初めて液晶モニター式の
旅客案内装置を採用した。
この案内装置は車掌をモチーフにしたキャラクターによるアニメーションも
流れるなど好評であったが、バックライトの劣化により表示が見づらくなったことから
平成11年に撤去され、以降は広告枠となった。
主制御装置は9000系がAFE(自動界磁励磁)チョッパ制御、9050系がGTO式のVVVF
インバータ制御方式である。
ブレーキは9000系、9050系とも回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキである。
台車は9000系、9050系とも軸バネ方式をSUミンデン式とし、9000系はダイレクト
マウント式空気バネ台車、9050系はボルスタレス台車となっている。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式である。
運転台は他の車両と同じツーハンドル方式とされた。
この他に9050系では100系「スペーシア」や日比谷線直通用の20050系と
同じ自動放送装置を搭載している。
昭和62年に計画されていた営団地下鉄有楽町線への直通を控え、乗務員の教習や
直通開始時にスムーズな運転が出来るように試作車である9101編成が昭和56年に
登場した。
登場後、東上線での各種試運転の後、同年年末より営業運転を開始している。
9101編成は東急車輛、アルナ工帰富士重工の3社合作で車体の作りなどに若干の
差が見られる。
昭和62年の営団有楽町線和光市乗り入れにより相互直通運転が開始され、それに合わせ、
9102編成〜9107編成が登場し、平成3年の有楽町線新木場延長に合わせて車体を10030系
と同等とした9108編成が投入されている。
平成6年には現在の東京メトロ副都心線に当たる有楽町新線小竹向原〜新線池袋間の
開業に合わせて9050系が登場し、全編成が出揃った。
平成9年に9101編成のチョッパ制御器を9102編成以降と同じものに更新する改造が
行われた。
以降は平成15年ごろに7人席にスタンションポールを追加した程度で大きな改造は
なかったが、平成18年〜平成20年にかけて東京メトロ副都心線開業に伴い、
9000系9102編成〜9108編成と9050系を対象に同線対応の改造とリニューアルが
施された。
主な内容は運転台のワンハンドル化、ATO対応ワンマン運転用機器及びホームドア
対応機器の設置、タッチパネル式車両モニタ装置の設置、乗務員室仕切り戸への
電気錠設置、ワン・ツーマン切替え装置設置、ワイパーの電動化、日除けの変更、
座席の張り替え及びバケット化、座席肘掛の大型仕切り板化、車内貫通路扉交換
及びドアクローザー設置、車椅子スペース設置(9000系のみ。9050系は既設)、
対話型非常通報装置設置(9000系のみ。9050系は既設)、内装張り替え、
客用ドア交換、ドアチャイム設置(9050系は既設。但し、開放中もサイン音が鳴動する
タイプへ変更)、LEDスクロール式旅客案内装置設置(千鳥配置)、自動放送装置設置
(9050系は更新。50000系と同じもの)、ドア手すり・床面の黄色塗装化、ヘッドライトの
HID化、行き先・種別表示のフルカラーLED化、正面下部へのスカート設置などである。
9101編成についてはドアの位置が異なるため、これらの改造は見送られ、しばらくは
有楽町線専用直通車を示す「Y」マークを正面向かって左側の窓に掲示していたが、
小竹向原駅にホームドアが設置されて以降は原則的に乗り入れておらず、東京メトロ
有楽町線地下鉄成増〜氷川台間のホームドア設置工事が開始された平成21年の
年末には「Y」マークも外され、正式に東上線専用となっている。
それ以外の9000系、9050系は有楽町線、副都心線直通列車を中心に運行されている。
○有楽町線直通運用に就いていた頃の9101編成。
下の9105編成と比べるとクーラーの形状や側面の行き先表示器の位置、
車体の裾周りの処理の仕方などが異なる。
○副都心線との直通運転開始に伴い有楽町線直通車を示す「Y」マークを
掲示していた頃。
○9101編成の現在の姿。「Y」マークは外されたが、地下鉄への直通は無くなった。
○9101編成車内。副都心線対応改造前の他の編成は床が茶色くなったのと
天井にラインデリアが設置された以外、ほぼ同じ(9050系は白系の化粧板に
ブラウン系のモケットの座席であった)。
○副都心線直通対応前の9105編成。字幕時代の有楽町線直通列車の行き先表示は
黄色地に青文字だった。
○副都心線直通対応後の9103編成。正面にスカートが付いたのと行き先が
フルカラーLED式になったのが目立つ。
○クハ9103号拡大。
○第8編成。見づらくて申し訳ないが、側面のコルゲートがビードプレスとなった。
○副都心線直通改造後の9108編成。
○副都心線直通対応前の9050系。当初から行き先表示がLED式であった。
○副都心線直通改造後の9152編成。地下鉄直通車でも一部はこのように東上線の
地上運用に入る事もある。
○9000系。副都心線直通改造後の車内。50070系を意識した車内となった。
○9000系側面見付けやクーラー配置の違い。上からクハ9101、モハ9803、
モハ9808、モハ9852。
○思い出の一コマ。池袋駅に停車する副都心線直通対応前の9102編成。
森林公園のプールの宣伝車になっていた。
15日ごろから西武園線の区間運用にワンマン対応の261F(ツートン)が充当されています。ワンマン車は多摩湖線、多摩川線ともに3運用+予備1編成で合計8編成あれば足りるのですが、牽引車兼用の263Fが運用から離脱すると多摩湖線の予備車が無くなり、また今回の床材張替え工事のように、入場編成が発生すると多摩湖線の所要数を割り込んで非ワンマン車の代走が発生してしまうことから急遽245Fをワンマン化改造したことはご存知の方も多いかと思います。
これにより9編成となったワンマン車ですが、通常期は予備編成が多すぎることから台車(車輪)研削で南入曽へ回送した1編成を西武園線の運用に充当しているようです。ただし、西武園線はワンマン化されていませんので通常通り車掌乗務のツーマン運転となっています。甲種輸送などで263Fの運用離脱やワンマン車入場時は西武園線に非ワンマン車を充当することで、多摩湖線乗務員の追加手配をとらずに済むようにしたのではないかと思われます。
特に違和感を感じない(笑)、西武園線のワンマン車運用。(2011-12-21東村山〜西武園)
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路面電車線の広島市内線から鉄道線の宮島線への直通運転用に登場した車両である。
昭和33年に850形電車として3両が製造された。
製造を担当したメーカーはナニワ工機である。
1両で運転されるため、編成は組まず、広島電鉄では「単車」のカテゴリーに属する。
車体は全鋼製(普通鋼鉄製)で本形式のベースとなった550形電車を基本としながらも
全体に洗練されたスタイルとなった。
正面は3枚窓でヘッドライトは正面中央上部にあり、半埋め込み式となっている。
車体側面下部には電照式の広告看板スペース(片側2箇所)を広電の電車で
初めて設けた。
塗装は上半分がクリーム、下半分がダークグリーンの市内線標準色である。
行き先表示は字幕式のものが正面向かって右側に設けられた。
車内はオールロングシートで化粧板はベージュ色、座席のモケットはグリーンで
近代化されつつも当時の他の車両と違和感が無いように仕上げられている。
ドアは片側2箇所、前中式で全て片引き戸となっている。
導入の段階ではツーマン仕様、非冷房であった。
主制御装置は間接非自動加速制御方式とした抵抗制御でブレーキは空気自動ブレーキ
である。
台車は軸箱支持を軸守式とした下揺れ枕式コイルバネ台車でモーターの駆動方式は
吊り掛け駆動式である。
本形式では宮島線での走行性能を確保するため、モーター出力を50kw×2基として
従来の車両(概ね35kw〜37kw×2)よりも向上させている。
また集電装置は製造当初よりパンタグラフを採用している。
新製後、市内線カラーで落成したが、貸切運用で宮島線との直通運用に投入された。
その後、昭和37年より市内線と宮島線との直通運転が本格的に開始されると
車体塗装をピンクにエンジ色の細帯という「宮島線直通色」に塗り替えられ、
後輩の2000形電車や2500形電車(→現在の3100形)と共に運用された。
その後、宮島線直通列車の利用客が増えたことから、連結車の2000形、連接車の
2500形が増備されたため、塗装を元に戻して市内線用となった。
昭和46年に形式を850形から現在の350形に改めた。
これは神戸市交通局より1100形電車及び1150形電車を譲り受けた際に当時は
鉄道線電車に割り振っていた1000番台を使わず、850形として登場させる
計画があったためとされている(結果的に神戸市の車両は旧番号のまま運用され
ている)。
昭和50年にワンマン化改造が行われ、同時に行き先表示を正面中央上部設置して、
今までの行き先表示部分はワンマン表示窓とした。
昭和59年には冷房装置が搭載され、正面の行き先表示を大型の電動幕に改造して、
ほぼ現在の形態となった。
後継の新型車両が続々と登場した中、元宮島線直通車であったため、モータの出力の
高さから加速が良く、今なお全車両が健在で所属車庫である。
千田車庫担当の1・3・5系統のいずれかで終日運用されているほか、市内線電車唯一の
間接非自動加速制御車であることから、運転士の教習にも用いられる。
また、宮島線直通運用から離れて久しいが、本形式の直通許可自体は取り消されて
おらず、同区間で使用しているATSを搭載すれば再び乗り入れることも可能である。
○紙屋町ですれ違う351号と353号。
○広島港(宇品)に入る352号。
2009年10月1日より日豊本線の佐伯〜延岡(南延岡)間の普通列車が
気動車化
されました。この区間は日豊本線の中で普通列車の本数が3往復(他に市棚〜延岡間の列車あり)と極端に少ないのですが、乗客減少と運行効率化のために気動車化及びワンマン運転化されたということになります。気動車化後はキハ220系の単行による運転になっています。
佐伯発南延岡行きの列車に充当された
キハ220系200番台
です。200番台は2006年より投入されたタイプで、転換クロスシートとロングシートを並列に配置した構造になっています。ただ、佐伯〜延岡間の列車は大分に配置されているキハ220系が共通で充当されているため、200番台以外にロングシートの1500番台が入ることもあるそうな・・・。
キハ220系の
側面行先表示
です。200番台はバス用のLED式行先表示器が採用されているため、側面行先表示器がバスと似た表示となり、上面に行先、下面に経由駅が表示されます。終着駅に近づくにつれて経由表示が消えていくスタイルです(関西で言えば尼崎市交通局と同じスタイルです)。
バス用部品が採用されたことにより、鉄道車両にも経由地表示が表示されるようになり、少々わかりやすくなりました。その反面、サイズが大きくなったことにより、外観が少々イマイチな感じになってしまいましたが・・・。
キハ220系の
車内案内表示
です。LCDになっている事がわかりますね。LCD表示は車内に3ヶ所あるのですが、先頭部は運賃表示、他の2ヶ所は行先及び次駅停留所が表示されます。
重岡で交換した大分行き列車です。佐伯〜市棚間は3往復のみと少ないですが、3往復と共に重岡辺りで交換するダイヤになっており、2両が運用されているという感じです。佐伯方面の最終便のみ車庫へ戻るために大分行きとして運行されますが、車庫からの送り込みは大分→佐伯の列車として運行されます。
1日3往復しか列車が来ない
重岡駅
です。ものすごい静かで、時刻表もJR九州の標準仕様ではなく、発車時刻と行先などが並べられた簡素なものになっています。因みに重岡駅前にはバスが乗り入れてくるのですが、バスは終日にわたって発着しており、本数も列車より倍以上ありました。
2009年9月末までは
717系
が充当されていました。更にその前は457・475系が充当されていましたが、担当は一貫して大分が担当していました。717系の時は2両編成でしたが、ツーマン運行でした。私は717系が充当されていた時に1度乗りましたが、ピーク時でも乗客は十数人しか乗っておらず、どうなるのかと気になっていたものです。
電化区間でありながら普通列車が全て気動車なのは羽越本線の村上〜鶴岡間の例がありますが、これは交直流デッドセクションがある関係ですが、今回はデッドセクションもないごく普通な交流電化区間です。それが気動車化されたのは肥薩オレンジ鉄道とおなじ理由なんですね・・・。
シュリスペイロフのライブで下北へ行ってきた。ラウンドアップから3か月。待ち焦がれた。
夢うつつ
消失点
なんで不安で
生活(私の中の仮タイトル)
君と僕
すべて
‘すべて’は、LIVE十一の方の歌詞が好きなのだけど、今日はぐっときた。いちばん入ってきた。
‘生活’が、聴いてく度に少しずつ馴染む。コロニーワンマンの時言ってた、
「名古屋でいろいろ話した。答えはきっと難しいことじゃなくて、音楽を奏でていくこと、それが大切なんだ」
ってことが感じられる歌。日々の、生活の、愛おしさ。
最近、いろんなものことに対して、愛おしいなあって思う。そう思うことを、大切にしたい。
‘生活’の、ミドルな、淡々と優しさから、‘君と僕’へは急転直下。もう、もう、もう、4人の音の暴れっぷりがたまらん。
ツーマンと勘違いしていったので思ったより短かったけど、後半の流れが豪ってかんじですごくよかった。
こっそりと、‘ドア’と‘行灯行列’と‘ピアノ’と‘冬の街’を願っていたのだけど、これからにとっておこう。
昨日、‘行灯行列’のMVを夢想していて、
それは、帰り道運転中に前から降ってくる勢いある雪と、その時聴いてた‘行灯行列’の硬質なリズムが合っていたからなんだけど、それをつぶやいたら
「‘行灯行列’はちょんまげ姿の3人がスーツ着て提灯ぶら下げながら街中を練り歩く姿が思い浮かぶ」
という方がいらして、‘行灯行列’やったらちょんまげスーツ…どうしよう。と思っていたのだけど、杞憂。
私は、赤黒い画面で、曲の転調に合わせてカットをどんどん変えてくの浮かぶ。
今日はAnyというバンドの自主企画だったのだけど、Any、SRS、SAKANAMONとも20代前半。
若い、って思った。あたしと4,5つくらい。でも巧い。
大学時代付き合った人がバンドマンだったので、19頃から同年代のバンドを観てきたけど、
スタジオ入ってバイトして昼/夜のオーディション受けてマイナス出しながらライブしてた人たちを見てきたから。
テクニックとか、洗練されたかんじとかに、えっ?てなった。
帰ってきて調べたら、いしわたり淳司プロデュースだったりラジオやってたりして、メジャーにいってる人たち、だったんだけど。
考えてみたらQueで土曜の夜に自主企画持てるって、もうそれなりってことなんだよなあ。
あの頃ライブハウスにいけたこと、状況を少しでも知ることができたのは、今となっては、経験できてよかったと思う。
若いって書いたけど、若いって感じたこと、
その悩み・焦燥が、わかるけど、
感じたことのあること・前に感じていたことで、
過去になってる。
同じところをぐるぐるまわり続け燻り悩み続けてると思ってたよ。
成長ではないかもしれないが、変わっていたことに気づく。
シュリスペイロフを下北屋根裏で観たいなあ。単に、いちばんいったライブハウスだからなんだけど。
新しい音源を作るとの報せ、素晴らしい報せ。
10月の渋谷の時もだけど、心に来て、ぐあっと考えるのが来て、次の日抜けるような青空で、幸せだ。