チンギス・ハーンについてのブログ(評価・レビュー・口コミ・感想)

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2012/03/11更新

ベータ版で公開(ご意見募集中!)

10月23日(日)のつぶやき

00:37 from web (Re: @miyashinjp)
@miyashinjp そうか、good readerという手があったのですね。そちらから早く対応してくれることを祈ります。それでは、また!
04:32 from web
RT @nagasek: なぜだか漱石「こころ」を読み返しはじめる。意外な発見があるなぃ随分序盤に先生が語り手と自分の同性愛的関係(つまり細君を挟んだ友達との関係)に言及していたり。
11:44 from web
RT @sasakitoshinao: 期待の評伝は発売日が繰り上がって、明後日の10/25日米同時発売。2分冊でかなり分厚い。/スティーブ・ジョブズ I by ウォルター・アイザックソン http://t.co/1azZx5x9
11:45 from web
RT @kenichiromogi: たの(8)昨日、私が「人は死んだら神様になる」とツイートしたのも、むろん、本当に神様がふわふわと飛んでいて、「神様自体」がいらっしゃると考えているだからではない。神様という、表象を生み出した人間の切実さ。それに寄り添うことでしか、見え ...
11:45 from web
RT @kenichiromogi: たの(9)以上申し上げたことは、私にとっては、現代を生きる上では必要不可欠な素養の一つだと思う。このことさえわかっていれば、合理主義から外れることもないし、狭量に陥ることもない。いずれにせよ、意識の中に実際に感じられることを否定するの ...
11:53 from web
RT @tawarayasotatsu: こんな上ずった声のジョブズ…プレゼンではあり得ない。必至で感情を押し殺していたんだろうなぃRT @shmz1969: すごい人生 >実父に偶然会った時のことを語るジョブズの声(動画) http://t.co/45q0eUj ...
18:36 from web
Queerの友達に誘われ、フリードリヒスハインにて開かれたQueer Partyに行ってきた。レズビアンのカップルたちがキスしている中、フロアーまで歩いていったら、自由を謳歌できるベルリンという街が、愛おしく感じられた。
18:37 from web
フリードリヒスハインは、最大規模のシュタージ(東ドイツ国家保安省)があった所だ。さらに東に行くとネオナチのバーがある、というロケーションに、これだけ自由な場所があることに、感動した。
18:38 from web
Queer Partyにて、不自然に胸が膨らんだスキンヘッドの男性を見ていたら、アラン・チューリングを思い出した。女性ホルモン注射を受けたチューリングも、晩年はあんな感じだったのだろうか。
19:07 from web
ローマ帝国から納税を求められたイエス。支払えばキリスト教はローマ帝国の圧政を認めることになり、拒めば反逆罪で逮捕される。その際イエスは、銀貨にカエサルの顔が描かれていることを理由に、「カエサルのものはカエサルへ」と答え、神への服従と国家への義務は次元が違うとして難を逃れた。1/2
19:10 from web
仏教徒が初めて納税をしたのは、チンギス・ハーンの孫ゴダン・ハーンがチベットと交わした1247年の契約だ。納税の見返りとして、モンゴル帝国はチベットのサキャ派の座主パクパを裁判官として招いてチベット仏教を庇護し、その関係は1959年の中国政府のチベット侵入まで続いたと言う。 2/2
19:18 from web
これ、まだやっているのかな?1万円程度で、自分の先祖がどこからやって来たのか知ることができるのであれば、ぜひ参加してみたい。
人類の広がりをDNA分析で調査する「ジェノグラフィック・プロジェクト」
http://t.co/cMAIM5vq
19:20 from web (Re: @salut_yasuto)
@salut_yasuto シュタージ関係の建物は、美術館として再利用されているものも含め、ベルリンにいくつかある様です。時間はあるのでじっくり回ってみたいと思います。スパルタクス蜂起もそうですが、ベルリンは本当に歴史と文化の宝庫です。無いのは資本だけです(笑)
19:49 from web
モンゴル帝国がヨーロッパにおいて容赦ない騎馬民族としてのイメージを植え付けられたきっかけが、モンゴル帝国とパートナーシップを結んだベネチア商人が、当時クリミアにあったジェノバ人の拠点を破壊するためにプロパガンダとして流した情報であったことを知った。
19:52 from web
以前インド出身の研究者と話していた際、後期のガンジーが残したちょっと驚く様な逸話について話した所、その情報はガンジーを敵視する原理主義者たちが流したプロパガンダであり、それが日本にまで届いていると考えると本当に悲しい、と言われて、何とも寂しそうな顔をされた事を思い出した。
19:54 from web (Re: @salut_yasuto)
@salut_yasuto 随分変わってしまったと思います。そして日本は、その変化に着いていけていません。日本に体力があった時代に、より長期的なビジョンを持って進めていれば、状況は変わっただろうに、と感じます。とはいえ、前向きに学んで、社会に還元して行きたいと考えています。
21:09 from web (Re: @arata_alicia)
@arata_alicia 頑張って!元気出して行きましょう!
by curatorshinya on Twitter

spikyartshinyaさん

岡田英弘 『世界史の誕生』

2011年12月17日「宮脇淳子 『最後の遊牧帝国ジューンガル部の興亡』」より続き。

〔1368年〕、元朝の皇帝トゴン・テムル・ハーンは中国を放棄してモンゴル高原に撤退した。しかし元朝は亡びたわけではなかった。モンゴル高原のモンゴル人は、依然としてチンギス家のハーンたちを戴いて「大元」の国号を使用し、明朝を皇帝とは認めず、明朝の中国を「イルゲン・ウルス」(領民のウルス)と呼んで、対立を続けた。(「第6章モンゴル帝国は世界を創る」本書210頁)

とすると、『明史』「韃靼伝」の“去國號,遂稱韃靼雲”のくだりは、“遂稱韃靼雲(ママ。云?)”だけでなくその前の“去國號”も含めて曲筆ということになる。チンギス裔(チンギス・ハーン男系子孫)の最後のハーン、リンダンが死んだあと、その妻と子は後金(清)のホンタイジに元朝伝来の玉璽を献上しているから、「大元」という国号は使用され続けていたのだろう。すくなくともその国体意識はあったと見なすのが自然である(注)。
あるいは、ここは主語が「明朝」に換わっているのを、私が読み違えたか。
それにしても、“領民のウルス”とは、凄い表現である。もとの我らが領民どもが建てた国というほどの意味だろう。暖簾分けしてやったというくらいの意識か。あきらかに見下している。

注。そういえばエセンは、「大元天聖大可汗」と称してハーン位に就いていたな。チンギス裔でないので認められず、あっというまに殺されたが。そうだ、ダヤン・ハーンも、いまは中国では「達延汗」とか「太陽汗」だのと漢字を当てるが、あれは「大元のハーン」の意味だと、むかし岡田先生と宮脇先生に教えていただいたっけ。

(筑摩書房1992年5月初版第1刷1994年12月初版第6刷)

joseph_blogさん

「モンゴル族の全DNA配列、研究チームが初解明?中国」

▲「レコードチャイナ」2011年12月19日 14時1分、翻訳・編集/AA
〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=57089&type=〉

研究結果は内モンゴル自治区で同日開かれた学術研究会で発表された。同チームの一員である内モンゴル民族大学の白海花(バイ・ハイホア)教授によると、研究ではモンゴル帝国の創設者・チンギスハンの34代目の子孫のDNA 配列解明に着手。すべての配列解明に成功したという。

よくわからない。チンギス・ハーンの子孫だけがモンゴル人じゃないだろう。それともそれ以外はモンゴル族として認めないという政策の布石か?

joseph_blogさん

栗原悟 『雲南の多様な世界 歴史・民族・文化』

雲南にはモンゴル族もいるそうだ。人口はわずか1.5万人、通海県のみに集住しているそうで、しかも元時代にここに移住してきてからの数百年のあいだにモンゴル語を話せなくなっているそうだが(現在は漢語か周辺の多数民族であるイ族の言葉を使用)、「村の中の廟にはチンギス・ハーンやクビライ・ハーンなどの像を安置して、モンゴル族としてのアイデンティティを保持し続けている」(168頁)とのこと。清代以来の満族もいる由(7,000人、昆明地区ほか)。もっともこちらについては言語状況などについて触れられておらず、どの程度、自らの民族的アイデンティティのよすがを保持しているかもわからない。
民族的アイデンティティと言えば、革命後に民族識別工作が行われる過程で、雲南では、自分が何民族に属するのかわからない人が多数存在することが明らかとなったという(1953年第一回全国人口調査の結果。本書143頁)。
ところで、迪慶チベット族自治州シャングリラ県(もと中甸県)のチベット族は、日本輸出用の松茸採取(栽培はせず自生のものを取るだけらしい)に従事しており、なかには“松茸御殿”を建てた者もいるらしい(174頁)。

(大修館書店2011年4月)

joseph_blogさん

モンゴル人には「名字」がないというのは本当?

http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/qaetc/20110826-OYT8T00631.htm?from=y10

japan_civilizationさん

宮脇淳子 『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』

2011年12月16日「中国では明時代になるとなぜモンゴル(蒙古)をタタール(韃靼)と言い換えたのか」 より続き。

元朝が一三六八年に中国を失ってモンゴル高原に撤退したあと、一六三四年に、元朝の創始者フビライ・ハーン直系のリンダン・ハーンが死ぬまでの北アジア史を、われわれモンゴル史研究者は北元時代と呼ぶ。(「第三章モンゴルとオイラトの抗争」「2北元時代の始まり」本書98頁)

つまり北元は『明史』がいうように1388年に終わったわけではない。それは明を元に正統(唯一の後継者)としてつなげたい中国側の都合による判断にすぎないということである。中国側は、元の皇統(フビライ系)の(一時的)断絶をもって北元の終わりとするが、モンゴル側にとっては、なにもフビライ系に限らず、チンギス・ハーンの系統であるかぎり、誰がハーン位についても問題はなかったのである(チンギス統原理)。認識(定義)の違いの原因のひとつはここにあろう。
また宮脇氏は、北帰後のモンゴル人が自らを「韃靼」と称したことはなく、蒙古(モンゴル)と名乗り続けていたとされている(98頁)。とすると、『明史』のこの部分(遂稱韃靼雲)は、曲筆ということになる。
なお、宮脇氏はまた、「韃靼」は「タタル」であって「タタール」ではないと念を押しておられる。

この韃靼ということばは、タタルの漢語音訳であって、タタールではない。タタールということばも存在したが、これはロシア語である。〔中略〕モンゴル高原東北部の、もともとトルコ族ではない諸部族の総称としての、タタルという民族名が古代トルコ語にあった。このことばがロシア語に入り、複数形タタール Татары の形で使用された。ロシア人は、モンゴル帝国時代に帝国の全遊牧民をタタールとよび、それがヨーロッパ諸国にまで広がった。ただし、ロシア以西のヨーロッパ人にとって、十四世紀以降のタタールは、ジョチ〔チンギス・ハーンの長子〕の後裔だけを指すことばである。(同上、100頁)

ということは、私は前回、「韃靼」のあと(タタル)とルビを付けねばならなかったのだな。
さて、ではなぜ「韃靼」ということばが再び用いられたかという問題だが、この所でも直接的な答えは見あたらなかった。

かれら〔北元時代のモンゴル人たち〕が元朝と深い関係にあったモンゴル帝国の後裔であることを知りながら、わざと韃靼(タタル)とよんだのは、明朝の側である。かれらを蒙古(モンゴル)とよぶと、北アジアの民こそが元朝の後裔ということになり、元朝の正統を継いだことを自任する明朝にとっては具合が悪い。そこで、唐末以来モンゴル帝国時代まで、北アジアの民をよぶ呼称として使用されたことのある「韃靼」ということばを復活させたのである。かれらを韃靼とよぶだけで、北アジアの遊牧民にはモンゴル帝国の記憶など何も残らず、文明の中心を離れて野蛮な昔の遊牧民の群れに戻ったかのような印象を与えるのに役立った。(同上、99-100頁)

つまり、蒙古以外、韃靼しか、北アジアの遊牧民を汎称できる名詞が当時の漢語(古典中国語)にはなかったということだろうか。だから蒙古を使うまいとすれば必然的に韃靼とならざるを得なかったということか?いまだ疑問を存す。
・・・・・・それにしても、一昨年モンゴル関係の論文を書く際に何度も読んだはずなのに、論文に関係した部分以外、まるで頭に入っていない。俺は馬鹿か?

(講談社1995年2月)

joseph_blogさん

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