チベット族についてのブログ(評価・レビュー・口コミ・感想)

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2012/03/10更新

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チベット問題 相次ぐ僧侶・尼僧の焼身自殺 アメリカ議...


(チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで、焼身自殺した僧を悼む僧侶“flickr”よりBy TibetanWomenhttp://www.flickr.com/photos/tibetanwomen/6186016380/)

【当局が制御できない最後の手段】
信教の自由と高度な自治を求めるチベットで、僧侶・尼僧の中国政府に対する抗議の焼身自殺が相次いでいます。
3日に焼身自殺した尼僧で、今年11人目になるそうです。

****チベット仏教の尼僧が焼身自殺、今年11人目 中国****
中国・四川省甘孜チベット族自治州の大武で3日、チベット仏教の尼僧が焼身自殺したと、国営新華社通信が報じた。四川省では今年3月以降、チベット仏教の僧侶8人、尼僧2人が相次いで焼身自殺を図っており、人権団体によるとうち7人が死亡している。

人権団体「チベットのための国際キャンペーン(ICT)」が確認したところによると、自殺した尼僧は35歳で、信教の自由とチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの帰還を訴え、体に火をつけたという。

地元警察はAFPの取材に対し、コメントを拒否した。
新華社は、警察の初動捜査の結果「過去数か月に起きた一連の焼身自殺と同様、ダライ・ラマ一派による(中国の)分裂を狙った策略だと判明した」との地元当局者の談話を伝えている。【11月4日 AFP】
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焼身自殺が相次ぐ背景として、当局側がデモや集会などの抗議行動を抑え込むなかで、“当局が制御できない焼身自殺という手法に訴えている”という現状が指摘されています。
チベット側にも、宗教的高揚感みたいなものがあるのでは・・・とも思われます。

****デモ封じられ…「最後の手段」*****
・・・命をかけた抗議行動は、今年3月にアバ県で起きた大規模デモのきっかけをつくった僧侶の焼身自殺を幇助(ほうじょ)したなどの罪で、僧侶や親族が懲役刑などを言い渡された8月下旬前後から急増している。

多数の拘束者を出したデモの後、各チベット族自治州では治安部隊による警戒が強化され、寺院の電気や水道を止めるなどの嫌がらせも行われているとされる。デモや集会などの抗議行動は不可能な状況とみられ、当局が制御できない焼身自殺という手法に訴えているようだ。

中国外務省の姜瑜報道官は19日の定例記者会見で「姿を変えたテロの一種」と罵(ののし)ったが、20日の会見では「事件が起きているのはチベット自治区ではなく四川省」などと苦しい言い訳を口にし、米欧の干渉に対する懸念をあらわにした。【10月21日産経】
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「北京の殺戮者たち」】
中国政府の強権的な対応、人権弾圧に批判的なアメリカでは、特にチベット問題を議会が取り上げています。

****チベットへの弾圧、米議会が糾弾****
「カルサン、18歳、チョエペル、19歳…」
米国議会の下院議員会館の一室に重苦しい声が響いた。3日午後、トム・ラントス人権委員会がチベットの人権弾圧について開いた公聴会に、証人として招かれたチベット仏教高僧のキャブジェ・リンポチェ師の声だった。議員側から最近のチベットで焼身自殺した9人の若い僧侶たちの名前と年齢をあげるよう求められての発言だった。

人権問題を熱心に提起した民主党のベテラン議員故ラントス氏を記念して創設されたこの委員会は、超党派の下院議員60人近くが加わっている。
この日は中国政府によるチベット弾圧を正面から取り上げ、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相や同師を招いての事情聴取となった。チベットでは固有の言語や文化、宗教が中国当局の抑圧で抹殺の危機を迎え、四川省アバ・チベット族チャン族自治州のキルティ僧院では若い男女の僧がこの数カ月で9人も抗議の焼身自殺をしたというのだ。

米国議会も危機感をみせながらチベット問題を追及するようになった。上下両院と行政府とが共同で組織した「中国に関する議会・政府委員会」は、中国当局による広範な人権弾圧の実態をまとめた年次報告を先月発表したが、そのなかでもチベット問題にはとくに厳しい光を当てていた。

下院外交委員会はこのラントス人権委員会の公聴会の数時間前の3日午前、その年次報告を検討する大公聴会を開いていた。共和党のイリアナ・ロスレイティネン委員長が民主党の筆頭委員ハワード・バーマン議員とともに、中国当局の宗教の自由の圧迫、妊娠中絶の強制、民主活動家の逮捕、ネット言論の抑圧などを指摘して、「中国の弾圧は前年よりも悪化した」と非難していた。証人にはチベット亡命政府高官のブチュン・ツェリング氏もいて中国のチベット締めつけの強化を訴え、若い僧たちの焼身自殺をも報告していた。

バーマン議員までが「中国の政治の自由の抑圧、人権の弾圧はさらにひどくなっており、米国の対中政策にその事実を反映させるべきだ」と主張した。共和党若手のデービッド・リベラ議員にいたっては中国共産党指導部を「北京の殺戮(さつりく)者たち」とまで呼び、米国の価値観だけでなく人道主義の普遍性からも中国にもっと強硬な姿勢を取ることを提唱した。

そのうえでの午後のチベット問題に焦点をしぼった公聴会だったのだ。ここでも議長は民主党のジム・マクガバン議員が務め、「かつてチベット鎮圧策を担当した胡錦濤国家主席にまで抗議すべきだ」と論評するほどだった。ラントス人権委共同委員長のフランク・ウルフ議員は「チベットは本来、中国とは別の国家だった。その民族をいま中国当局は浄化しようとしている」と非難した。

国の議会がこうして中国の人権状況へと立ち入って弾圧を糾弾するのは、外交政策にも相手国の民主主義度を反映させるという米国年来の特別な身の処し方のせいだろう。全世界で共通の普遍的課題の人権には積極的にかかわるという体質もあってのことだろうが、それにしてもいまの中国が国内の人権抑圧もさらに激しくして、チベット人に犠牲が増えているという現実は日本も無視はできないだろう。【11月5日産経古森義久】
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アメリカが中国の人権問題を大きく取り上げるのは、問題の本質にかかわる部分以外にも、中国の著しい台頭を苦慮する外交的な観点から、人権問題を対中国戦略のひとつのカードとして使用したいというアメリカの思惑もあってのことでしょう。

【「いかなる生き仏の転生も宗教の習わしや国家の法律法規に従うべきだ」】
今後のチベット問題の行方を左右するカギが、高齢のダライ・ラマ14世亡きあとの問題です。
3月21日ブログ「チベットダライ・ラマ14世の政治引退表明のなかでの新首相選挙」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110321)でも取り上げたように、チベット側も対応を進めていますが、ダライ・ラマ14世の存在の大きさ、その転生をめぐる問題もあって、簡単ではありません。
ダライ・ラマ14世の死を待つ形の中国側は、ダライ・ラマ転生を認定する立場にあるチベット仏教第2の高位者であるパンチェン・ラマについて独自の後継者を擁しており、ダライ・ラマ転生についても当然に介入することが想定されています。

****ダライ・ラマ、継承者めぐる中国の発言権を否定****
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(76)は24日、「90歳ぐらいになったら」ダライ・ラマの輪廻(りんね)転生制度を続けるべきかどうかを決めると述べ、中国にはこの件についての発言権はないときっぱりと付け加えた。
ダライ・ラマは、インド北部ダラムサラで開かれたチベット仏教4大宗派の指導者の会合後、4200ワードに及ぶ声明を発表した。

ダライ・ラマは声明で「90歳ぐらいになった時に、チベット仏教の伝統について、ラマ高僧やチベットの人びと、それにチベット仏教に関連する人々と相談し、ダライ・ラマの制度を存続させるべきか否かについて再評価する」と述べた。さらに、「そうした正統な方法で認められた転生以外には、中国を含むあらゆる者による政治目的のために擁立された候補者の承認も認可も、行われるべきではない」と指摘した。
また、ダライ・ラマは「疑念や策略の入り込む余地がないように、次期ダライ・ラマを決めるための明確なガイドラインを肉体的・精神的に能力があるうちに」行うことを決めたと語った。

多くの人びとは、中国が独自のダライ・ラマ継承者を選出するとみている。それにより2人のダライ・ラマ――中国当局が認めるダライ・ラマと、亡命政府または現在のダライ・ラマが認定するダライ・ラマ――が擁立される可能性が出てきている。
同じことが1995年にチベット仏教で第2の高位者であるパンチェン・ラマの次期継承者を選んだときにも起きた。中国はダライ・ラマが選んだ次期パンチェン・ラマを拒否し、独自の転生者を選んだ。

パンチェン・ラマ11世に中国政府が認定したギェンツェン・ノルブ氏(21)は、たびたび中国政府のチベット統治を称賛している。
一方、ダライ・ラマがパンチェン・ラマ11世に認定したゲンドゥン・チューキ・ニマ氏は、1995年に中国当局に拘束されて以降、公の場に姿を現していない。【9月25日 AFP】
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中国の介入を警戒するダライ・ラマ14世に対し、中国側は当然のごとく反駁しています。
****ダライが次のダライ認定したことない…中国非難****
中国外務省の洪磊・副報道局長は26日の定例記者会見で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)が90歳前後になった際にダライ・ラマ制度の再検討を行う方針を示したことに対して、「ダライ・ラマ14世も当時の(中華)民国政府の認定を受けた。ダライが次のダライを認定したことはない。いかなる生き仏の転生(生まれ変わり)も宗教の習わしや国家の法律法規に従うべきだ」と非難した。【9月26日読売】
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“国家の法律法規に従う”転生というのも笑える話ですが、中国側はチベット問題の封じ込めを狙って本気です。

azianokazeさん

チベット族焼身自殺、昨年以降20人に 中国...

米政府系の放送局「ラジオ・フリー・アジア」によると、中国四川省カンゼ・チベット族自治州のセルタル県で3日、チベット族男性3人が中国政府のチベット族デモ鎮圧などに抗議して焼身自殺をはかった。1人が死亡したという。 昨年3月以降、中国でチベットの自由などを訴えて焼身自殺をはかったのは、少なくとも20人に達した。 セルタル県では1月下旬、チベット族のデモに治安部隊が発砲し、1人が死亡している。チベット亡命政府系のラジオ局「チベットの声」によると、現地では治安部隊が増員され、拘束を恐れるデモ参加者らが山に逃れるなど緊張が続いているという。

@シリアのアサドに対する国連決議でもめているようですが、こうしたシナの少数民族に対する民族浄化や圧政に対してももっと国際社会(人権人権といいつつ皆さんシナとの利権優先のようですが)は目を向けるべきですね。





kumusta_ka99さん

中国の無慈悲?パンダより酷いチベット族の扱い

四川でチベット族抗議、治安部隊発砲で3人死亡(読売新聞) - goo ニュース
中国では、チベット僧の焼身自殺が相次ぐと共に、治安部隊によって、抗議行動を行った3人のチベット人の方が殺害されたそうです。中国政府によるチベット族虐殺は、明らかに人の道に反しています。

リビアでは、独裁者カダフィが、反対勢力を無差別に殺害したことが、自国民虐殺として国際的な非難を浴び、軍事介入を受ける原因となりました。シリアでも、アサド大統領側による国民虐殺は、国際社会から厳しく断罪されています。中国もまた、無慈悲な”自国民”虐殺という行為を行っているのですから、国際社会では、到底、許されるはずもありません。チベット族を標的としているのですから、国際刑事裁判所所規定における”人道に対する罪”とも解釈できます(国連安保理や国際刑事裁判所の検察官は何らかのアクションを起こさないのでしょうか・・・)。大罪を犯しているにもかかわらず、中国政府には、全く、罪の意識がありません。21世紀の大国を自認しながら、この著しい倫理観の欠如は、国際社会における脅威でもあります。

日本国では、東日本大震災後に、被災地の仙台にパンダが貸与されるとして、一部には中国に対する無批判な歓迎ムードがあります。しかしながら、四川省に生息しているパンダを手厚く保護する一方で、中国政府が、人類の一員であるチベット族を弾圧している事実を置き去りにしてはならないと思うのです。

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kuranishimasakoさん

阿来「大地の階段」 81 第6章 雪梨の里 金川


1河の両岸の風景



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




長距離バスは、狭く、だが平坦なアスファルトの道を飛ぶように前へ進んで行く。

一本の河が影のように公道によりそい、ずっと窓辺に姿を見せている。

両岸の山が遠くへ退くと、あっという間に谷は広がって、河は公道から離れ、その間を柳とポプラによって隔てられる。時には、公道と河の間を、耕地と村が隔てることもあり、そこが人々が穏やかに暮らしている場所なのである。

両岸の山の峰が再び近づいてきて、絶壁となって大河の両側に垂直に迫ってくる。河はまた窓の外で咆哮し始める。

人々の暮らす広い谷間と、木々に覆われた狭い谷が旅の途中に交互に現れる。

この旅の間に、一つまた一つと現れる地名はみな慣れ親しんだ名前だ。
かつて「旅立ち」という詩の中で書いたことがある。

毎回、気ままな旅に出ようとする時、
そこに列なる名前を思うだけで
一つ一つの文字がきらきらと光を発し、
その名前をそっと読み上げるだけで
旅はもう始まっている。


今、私はまた旅をしている。車窓の風景が幻へと変わっていく。

執と現れる地名がそれぞれに具体的な姿を持った村へと変わっていく。
白湾、石光東、可璽因、周山、党覇、その一つ一つが大渡河の谷にあるギャロン人の村の名前である。

一つのカーブを曲がると、一つの村が河岸の開けた地に現れる。ほどなく、その村は後方へと退き、谷の両側の高い山が迫ってくる。
バスが狭まった道をしばらく進んでいくと、山は再び退き、咆哮していた水は開けた川床に身をゆだね、伸びやかに広がっていく。

その時、また一つの村が濃い緑の中から現れるのである。

最後に、バスが党覇を通った後、大きな山は再び開け、一旦開けると、そのままはるか彼方へと退いて行った。
そして、花崗岩の山は、厚い黄土の何層にもなる堆積へと変わった。黄土のゆるやかな斜面が幾層もの棚田へと切り開かれているのである。

河は広い河床をゆっくりと流れていく。一つ一つと現れる村は、谷間や、幾層もの黄土の階段の上に散らばっていた。

この広々として豊かな谷間は、清の乾隆年代前は、常にギャロン文化の中心だった。
そして、チベット族本土の宗教、ボン教の中心地だった。

だが今、これらの谷は、伝統的な意味でのギャロン地区という外在者としての面影は見られなくなっていた。
村の民家はほとんどが漢族の様式で建てられている。
それでも、一面の梨畑と、河から山の中腹へと伸びる幾層もの畑は、そのままで一種特別な美しさを生み出している。

これらの豊かな村を歩きながら、出会った人々に何族かと尋ねると、誰もがみなチベット族と答えるだろう。
それでも、ここではギャロンの文化が日増しに薄らいでいるのがはっきりと見て取れる。

だが、河の両岸の村や田や野のたゆみない力には、昔と同じように、強く心を打つものがある。
金川の県城の周りの広い谷間には、チベット語でツーチンと呼ばれる場所が、かつてギャロン文化の中心だったというかすかな痕跡も見られないのだが。

金川の県城も同じである。

バスが停留所に停まった時、私はちょうど降りようとしていた。
すると、運転手が尋ねた。古い町に行くかね、と。そこで私はまた座りなおした。
運転手は煙草を一本差し出して言った。
「ここまで旅して来る人たちは、みんな古い街へ行きたがるんだよ」

私は金川へ始めて来た訳ではない。だから、今目の前にある一部の新しい街は、ほとんどが解放以後に建設されたのを知っている。
それ以前から、金川は県城として早くから中国の版図の中にあった。

バスはまた動き出した。
険しくなった公道は、新しい県城の後ろ側から蛇行しながら山の斜面を登っていく。

あっという間に、もう一つの台地が目の前に広がった。

この台地に昔の金川の県城がある。金川の地元の人が言う老街である。
この老街にも、ギャロンの文化の息遣いを感じられる場所はどこにもなかった。

何年か前、ここには壁板が黒ずみ軒に草の生えた、店と宿を兼ねた古い家がいくつかあった。だが今、このような家はほとんどなくなってしまった。

金川は豊かな地である。気候は穏やかで、生産量は豊かだ。
それに加えて、ここではチベット族と漢族の血が混ざっていて、漢文化の精神をより多く受け継いだ人々は特別勤勉である。
住民たちはみな美しい家を建てる。

だが、私の今回の目的はこの美しい家を見ることではない。
そこでまたリュックを背負い、山のふもとにある県城を目指して歩き始めた。

まず、夜を過ごす寝床を見つけて、体を休ませなくてはならない。



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)







aba-tabiさん

阿来「大地の階段」 84 第6章 雪梨の里 金川

3.雨の夜に金川の物語を読む



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




回族の店でかなりの量の牛肉を食べ、少しばかりの酒を飲んでから、四角い焼餅をもらって宿へ戻った。
シャワーを浴び、ベッドに入る。

外ではしとしとと雨が降っている。

ベッドの背にも垂れて、本を開いた。

窓の外の雨が心のどこかの思いをふつふつと醸している。
そこで私は、時間を閉じ込めている文字に連れられて、過去の金川へ、過去のギャロンへと遡って行った。

このような夜、雨は山肌の岩や樹々に降り注ぎ、谷間の村に降り注ぎ、畑の作物に降り注ぎ、緑の草むらに降り注ぎ、すべてのものの埃を洗い落としてから、小さな谷川に流れ込み、小さな流れは大きな河へと集まっていく。
こうして、夏の大河は小雨の降り続く夜に少しずつ広さを増してゆく。

河にたち込める霧は果てが見えず、私の思いは歴史の遥かなこだまの中に迷い込んでいった。

その中で最も重要な章は、もちろん乾隆朝の2度にわたる大金川の戦いである。
すでに、人々の暮らしや山々の中に歴史の痕跡を探すことが困難となった、かつてツーチンと呼ばれ、時を経て金川と呼ばれることになる地方について、歴史書の中から断片を記していこう。



[お詫び:
ここから後15ページにわたって、歴史書からの抜書きになります。きちんと訳すべきなのですが、私の力ではそれをやっていたら何年もかかりそうなので、ここは簡単な説明だけにさせていただきます。
これから時間がある時に少しずつ取り組んで生きたいと思っています。


ここに描かれるのは1747年から始まる、第一回目の金川の戦いに関する記述です。ほとんどが乾隆帝からの命令と、現地で戦っている役人からの上奏文で、それを通してこの戦いの進展が読み取れます。

まず、大金川の土司サラペンが小金川を攻めます。乾隆帝はこの争いに乗じてこの地を平定しようと考えました。その思いは強く、矢継ぎ早に命令文を発し、かなりのお金をつぎ込んでいます。

土司たちの抵抗はかなり強く、役人たちが窮状を訴える上奏文も何度も送られます。

この地に今も残る50mはあろうかと思われる石造りの高い塔は、清軍をくいとめる強力な砦となりました。

1749年サラペンはついに捕らえられ、この戦いは一旦終結します。]




ここに至って、大金川の戦いの一つの段落が終わった。

響いてくるのはすべて殺戮の音ではあるが、私には本当のギャロンが充分に感じられた。

ここに引用した文の中には、今日まで残されている地名もある。
党壩、卡撒、勒烏、更に曾達。
それらの地名はすべて金川の県城からそう遠くないごく小さな地域の中にある。

読者はこれらの文字から、武器が光りを放ちながら交わる時の殺気を感じるだけでなく、金川の当時の風習や美しい風景も読み取るだろう。

ただ、現在の公道が通じてから、当時の山道にあった関所はただの記憶でしかなくなり、すでに歴史の流れと生い茂る荒れ草の中に消え去ってしまった。
歴史を改めて眺めてみてはじめて、歴史は実は早くも人々から忘れらていることに気づくのである。


朝早く宿の門を出て、本の中に書かれた場所を尋ねようと思った時、歴史の記載とまるで違っている現在の大金川両岸の風景を目にして、私は、歴史書の中の記載は、まるで勢いに満ちた虚構のようだと思い始めていた。





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)






aba-tabiさん

阿来「大地の階段」 82 第6章 雪梨の里 金川

1河の両岸の風景 その2



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




このように辺鄙で小さな街では、若者は一種異様な精神状態になるものだ。

自分たちと少しばかり違う身なりの人間を好まず、都会から来た人間が目の前をうろついているのだと思い込む。
もし、誰かがしょっちゅう異質な身なりで彼らの前に現れたら、自尊心を傷つけられたような気持ちになってしまうのである。

だから私はまず、登山用のリュックをどこかに置かなければならない。
リュックを背負っていなければ、私はこの街の人たちとほとんど変わらない。
そうすれば、少しばかり酒を飲んで、なんでもいいから発散する理由を探している人たちの目に留まることもないだろう。

私は、各県城にある、おおむね最も安全できちんとしている県の招待所に部屋を取った。

15.6年ほど前には、私は大きな街に行ったことがなかった。その頃はよく、大きな街へ行った人が持ち帰る、自分とは縁のない世界の噂話をいくつか聞かされた。

このような噂話は、世慣れた人々の大都会での旅を、すべて華麗な冒険に変えていった。

その当時、私の印象では、都会は私達のような者が行くところではなかった。

たとえば、ある噂では、都会の旅館や招待所は、入り口の扉まで来ると、頭の先から足の先まで品定めさる。しかも、どんなに立派な服を着ていても、小さな村から来た、世間知らずな人間だと見抜かれてしまう、というのだ。

都市が歓迎するのは世慣れた人なので、庶民は旅館の門さえ入ることは出来ないのだ。

当然、この話をしたのは中へ入ることが出来た人だ。入れなかった人がこのような耐え難い経験を、まるで醜い傷跡のように人々にひけらかすはずがないのだから。

もちろん、このような物語がもてはやされる年代はとっくに過ぎてしまったが。

現在の中国人は、ほとんどが遠くに出かけたことがあり、多くの人がもっと遠い所まで行っている。

私は都会の旅館で中に入れてもらえないといったひどい目に遭った事はなく、かえって、ドアボーイが笑顔でドアを開け、タクシーから荷物を下ろしてくれて、ちょっと申し訳なく思えたものだ。

だが、地方を旅すると、様子はまた変わってくる。

たとえば、その時、私が入って行ったのは、まあまあ立派といえるロビーだった。
二三人のスタッフがおしゃべりに夢中になっていて、この地の独特な方言が功を奏しているのか、討論会のような空気を本物より更に熱くしていた。

私はカウンターの前まで来て、リュックを下ろし、中から身分証と財布を出した。
美人と言えなくもない一人が私をチラッとだけ睨んで、すぐまた自分たちの話の中へと戻っていった。

私はあまり口を利きたくなかった。長いこと水を飲んでいなかったし、とても暑かったので、のどがからからだったのだ。だが、声をかけない訳にはいかない
「誰か、手続きを、宿泊で」

もう一人の女性の目線が飛んできた。
彼女たちのおしゃべりは続いていき、何分かがそのままゆっくりと過ぎていった。
もう一度声をかけた。今回はカウンターから言葉が返ってきた
「大きな部屋はないわよ」

私は言った
「そんな大きな部屋でなくていいんだ」

しばらく間があいて、また言葉が返ってきた
「二人用のスタンダードならあるけど」

私は言った
「熱いお湯の出るバスルーム付きで」

こうしてやっと、一人がめんどくさそうに私の目の前までやって来て、一枚の紙を差し出た
「これ、書いて」

紙はあるが書くものがない。私はまたリュックの奥からペンを取り出した。
すべて書き終えると、相手はよく見もせずに脇へほおり投げ
「お金は」

こうして支払いとなった。
私は何時もの癖で言ってみた
「少し安くならないかな」

先程の紙が投げつけられ
「泊まる気があるの。ホテルを相手に値切るなんて」

支払いを済ませ、部屋に向った。
上の階に行き、しばらく待ち、何度か声をかけ、下から人がやって来て、ドアを開けた。さっき下のカウンターでおしゃべりしていた女性の一人だった。
さっきまではご機嫌で世間話に花を咲かせていたのに、今はぶすっとした表情でいかにも眠そうにしている。

洗面所に入り鏡をのぞいて見た。長い旅のせいで、確かにぼろぼろに疲れきっていて、頭も顔も埃だらけだった。
もし車に乗って来たならこんなふうではなかっただろう。
私だって役所の車に乗ってここに来たことはあるのだ。
その時受けた適切なサービスが思い出された。

昔からの伝統で、親切で客好きだった私の故郷ギャロンは、いつからこんなにまで様子が変わってしまったのだろう。




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)






aba-tabiさん

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デモ封じられ…チベット族の相次ぐ抗議の自殺

2011-10-21 02:52:08

こちらで読めます こんなことがある。。。そのことが悲しいじゃないですか。 こんな事がなくなる世の中を希望します。もっと見る

東アジア共生会議2011 民俗芸能公演

2011-12-13 23:20:33

内幸町・イイノホール&カンファレンスセンター。▼黒森神楽(黒森神楽保存会)▼四川省アバ州チベット族・チャン族の民族伝統舞踊(四川省アバ州チベット族チャン族民族伝統歌舞団)▼鳳山仮面劇(鳳山仮面劇保存会)▼バリ島の仮面劇(ガムラン・ウィンドゥ・スアラ)もっと見る

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