25日の太平洋戦争開戦経過に続いて、もう一つ旧稿を再掲しておく。「いやいや」さんのような方々に向けて。題は「太平洋戦争と天皇」。一昨年11月22日のこのブログに載せたものだ。
【太平洋戦争、右翼のデマに(番外編その2)「太平洋戦争と天皇」
表記のことについて、右翼の方々はこのブログでもこのように語られてきた。天皇の統治権は形式的なものであって、戦争政策においても実際に何かを決めたというわけではない、と。そのことについてこの本(岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」、著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はどう書いているか。それをまとめてみたい
1軍事法制上の天皇の位置「統帥権の独立」
『統帥権とは軍隊に対する指揮・命令の権限のことをいうが、戦前の日本社会では、大日本帝国憲吠明治憲頬第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」という規定を根拠に、この統帥権は天皇が直接掌握する独自の大権であり、内閣や議会の関与を許さないものと理解されていた。
明治憲法上は、立法権、行政権、外交権などの天皇大権は、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっており、統帥権だけが国務大臣の輔弼責任外にあるという明文上の規定は存在しない。それにもかかわらず、天皇親率の軍隊という思想の確立にともない、制度面でも統帥権の独立が実現されてゆく。1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省からの独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の改正などがそれである』
『一方、参謀本部と軍令部(統帥部と総称)は、国防計画・作戦計画や実際の兵力使用に関する事項などを掌握し、そのトップである参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣の輔弼と区別して輔翼とよばれる。国務大臣は、憲法に規定のある輔弼責任者だが、参謀総長・軍令部総長は、憲法に明文の規定がない存在だからである。
軍事行政と統帥の二つにまたがる「統帥・軍政混成事項」については陸海軍大臣が管掌したが、国務大臣としての陸海軍大臣も統帥事項には関与できないのが原則であり、参謀本部・軍令部は、陸軍省・海軍省から完全に分立していた。以上が統帥権の独立の実態である』
2「能動的君主」としての天皇
9月6日決定の「帝国国策遂行要領」
『統帥に関しては、「能動的君主」としての性格は、いっそう明確である。天皇は、参謀総長・軍令部総長が上奏する統帥命令を裁可し、天皇自身の判断で作戦計画の変更を求めることも少なくなかった。また、両総長の行う作戦上奏、戦況上奏などを通じて、重要な軍事情報を入手し、全体の戦局を常に把握していた(山田朗『大元帥昭和天皇』)。通常、統帥権の独立を盾にして、統帥部は首相や国務大臣に対して、重要な軍事情報を開示しない。陸海軍もまたお互いに対して情報を秘匿する傾向があった。こうしたなかにあって、天皇の下には最高度の軍事情報が集中されていたのである』
そういう天皇であるから、重大な局面ではきちんと決断、命令をしているのである。本書に上げられたその実例は、9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。
前日9月5日、両総長とのやりとりなど
『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉日記と情報(下)』)。
御上[天皇]よし解つた(御気色和げり)。
近衛総理明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
御上変更に及ばず。
永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである。】
人間失格 [DVD]クリエーター情報なしポニーキャニオン
この映画は太宰治の代表作「人間失格」を映像化した文芸映画大作である。
アジア・太平洋戦争進行時ににおいて資産家の息子である主人公が酒や女におぼれて廃人同様に破滅していく姿を描いていた映画である
とにかくもてる男の話なのだが当人は楽しそうではない。
周囲となじめず不安や苦悩の日々はつづく。暗いトーンのに仕上がっている作品だ。
キャスト: 生田斗真、伊勢谷友介、寺島しのぶ、石原さとみ、小池栄子、坂井真紀、森田剛、石橋蓮司、室井滋、大楠道代、三田佳子ほか
監督: 荒戸源次郎 製作年 2010年
人間失格 公式写真集 ~starring 生田斗真~江森 康之,松井 ヒロシ角川マーケティング(角川グループパブリッシング)
4月22日(日)
明日は仕事。重たい気分になるのだが、考えてみれば別に殺されるわけではないので
少し気持ちをゆるくして、適度に頑張ろうかと。
あいにくの雨になってしまったが、何所かへと思い次男を連れて何となく横浜へ。
雨なので高速を降りてすぐの三菱みなとみらい技術館へ。このMRJのシュミレーション、かなり面白くて
実は平日に一人でこっそり来たいくらいの完成度である。
日本の航空機は不幸にも太平洋戦争がその全盛期となったが、三菱を始め、中島、川崎など各社がシノギを削った。
資源が少ない中、資本を集中すべきだったとの意見もあるかも知れないが、零戦、隼、疾風、飛燕など、第一級の
戦闘機がしかも量産され、敗戦後はその技術の一部が新幹線などにつながっていく。つくづく日本人の好奇心は
アジアの中で稀有なものであると思う。
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クリスマスイブで土曜日の今日の朝標記の映画を見た。
前回の「源氏物語」と対照的な戦争モノ。太平洋戦争開戦時の山本の意見と行動、そして苦闘が描かれる。日独伊の三国同盟を結ぼうという国の上下の動きにこれは「結局は日本を滅ぼすことになる」といって反対する。
しかし昭和16年対米英開戦必至という状況の中で、山本はアメリカと講話条約を結ぶことを想定する。一日も早く戦争を終わらせるための真珠湾攻撃だった。そしてどういう場合でも卑怯な戦法はとることをさけるべく宣戦布告を事前に行うことを強く求めていた。
山本のこれらの願いや思いとはすべてが逆の方向に進む。そして山本搭乗の電文を解読され、アメリカの戦闘機からの集中砲火を受けて撃墜される。
若い頃海外留学などの経験もあって国際的な視野でものを見ることができた、当時としては希有の人だったという評価ができるのだろう。
映画が描き出す山本五十六が、太平洋戦争開戦70年目の今日何をいいたいのだろうか、とちょっと疑問でもあった。視野を広くもち指導力をもつリーダーであれば日本の不幸を避けることができたのだ、というようなことでもあろう。しかしやはりこの映画でも日本の戦争政策が、300万人以上の日本人の犠牲と、これをはるかに超えるアジア各地の人びとへの被害をもたらした大本のところがアイマイであることが気になる。
だから、あの困難の時にもすぐれた人がいたんだよ、というアピールになっているだけの映画といっては語弊があるだろうか。
今日は70年前の1941年12月8日にアジア太平洋戦争が勃発した日です。開戦から1945年8月15日の終戦まで、広島・長崎への世界で初の原爆投下、この戦争で310万人の日本国民と2千万人を超えるアジアの人々が犠牲になりました。
この日は毎年、市内の女性団体が一緒になって、大和駅前で「兵役への招集令状」・・・赤い紙に印刷されていたので「赤紙」・・を配って、2度とふたたび「戦争しない国、憲法9条を守ろう」とよびかけています。今日は新婦人、土建主婦の会、生健会、革新懇、共産党などの17人の女性が参加しました。
マイクをリレーしながら自分の思いを語り、約1時間、赤紙を配りました。
NHKの朝ドラ「カーネーション」で主人公の糸子の夫・勝に「赤紙」がきました。多くの女性が陰で泣きながら、夫を息子を、恋人を送り出しました。「そんな時代はいや!」とはみんな同じでも、ヒタヒタとその危険が忍び寄っているのではないでしょうか。その一つが「自虐的歴史教育をやめよ」と侵略戦争を美化する教科書が横浜・藤沢などで採択されているのです。(大和市は通常の歴史教科書採択)
今年の行動にはどうしても参加しなければと時間をとりました。・・・・・原水禁大会や12・8など、3月11日以降、ひとつひとつ確認するように行動している自分がいます。
朝日新聞の植村隆は「従軍慰安婦」をはじめて記事として取り上げた。
「従軍慰安婦」が戦争犯罪と認識される事となったが、記事は事実に反する記述が有り捏造されたもの。
妻は、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事、粱順任の娘。粱順任は日本政府に対してアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を起こし、
また、日本政府からの補償金に絡む詐欺事件で容疑をかけられている。
韓国特派員時代の1991年8月11日の朝日新聞に初めて慰安婦に関する記事を掲載。これが韓国のさまざまな新聞に転載され、慰安婦問題がクローズアップされた。取材対象であった金学順の証言とされる記事内容と、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件における金学順の陳述には相当異なる点がある。特に女子挺身隊なる用語と慰安婦を結びつけた『日中戦争や第二次世界大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、』という記述は事実に反するものであるが、これまで記事内容の訂正はされていない。このように事実に反する内容を含んでいた記事であったにも関わらず、本記事を発端とし国際社会にいわゆる従軍慰安婦問題が提起されていくこととなる。
記事本文
『日中戦争や第二次大戦の際、戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、やっと開き始めた。尹代表らによると、この女性は68歳で、ソウル市内に1人で住んでいる。女性の話によると、中国東北部で生まれ、 17歳の時、2、300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられ、毎日3、4人の相手をさせられた、という。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思い続けた。」という。数ヶ月後に逃げることができ、戦後ソウルに落ち着いた。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けて、暮らしている。』
事実に反する記載が見られるとして、「従軍慰安婦」の記事は捏造であると非難する声もある。『WiLL』は2007年8月号増刊で、西岡力の「すべては朝日新聞の捏造から始まった」との論説や山際澄夫の「朝日新聞こそ「従軍慰安婦」捏造を謝罪せよ」との論説を掲載している。
年12月8日、日本政府・日本軍は、アジア太平洋戦争を開始した。この日、ヒロヒトは、「皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス」という文書をだした。その2年半後、円地文子は、「サイパン落つの...もっと見る

体に移行するときのバネになりうるのか、(7)思想や理念を裁くということはその全面的な否定を意味するのか(p.159)。問題の視角を定めることは、重要です。本書ではまた、そういうことだったのか、という記述にいくつか遭遇し...もっと見る
誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏(岩波新書「日本近現代史シリーズ?」「アジア・太平洋戦争」。著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はこう解明していきます。...もっと見る