Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

仏教啓蒙思想前文…?

2017-04-23 | 思想
古いもので、もう少し恥ずかしいんですけど。
キリスト教世界というのは、神学・スコラ哲学で鍛えられた思考方式から発達したものだと思います。
啓蒙思想以降になっても、それは生かされています。

しかし、日本人にはその思考方式は理解しにくい。
むしろ、仏教的・神道的な思考方式に基づく啓蒙思想が必要なのではないか?
と考えていた頃に書いたものです。
そもそも、スコラ哲学に匹敵するような仏教・神道哲学がないのですが、スマナサーラ・アビダンマを基礎に出来るのではないかと…

***

仏教に基づく日本版啓蒙思想、という話を少し前に書いてるんですが。
いきなり人権論に入ってしまったんで、その前提。
誰にでも人権はあるけれど、それを享受するための前提となる根本思想。

仏教による啓蒙思想前文?

***

◎人間には、自らの認知と判断を育てる義務と権利がある

これは、仏教の根本的な存在理由だと思うんですけど。

生きること自体は大変なことで(四聖諦)、それでもいのちは幸せになりたい。
生のなかでより正確な認知と判断が下せなくては、幸せでいられない。
いつも間違ってばかりだと、結局幸せになりにくい。

仏教では、認知する存在が“いのち”であり、そうした定義からいのちは全て平等なんだと思います。
ただし、人間以外の“いのち”には、認知を育てる(つまり仏門に帰依し修行する)ことはできない。
つまり、人間である現在しか、認知と判断を育てることはできない。
今育てなくては、認知と判断のできない無明ないのちであり続けるしかない。

だからこそ、今、学びなさい。
というのが仏教。

啓蒙思想は仏門への帰依を勧めるわけにはいきません。
欧米啓蒙思想はキリスト教への帰依を勧めず、より自由を求める。
仏教にとらわれ過ぎず、しかし仏教の根本的な規範意識を現実生活に生かすとなると、この線かと思います。


蛇足になりますが。
現在の風潮ではあまり好かれない四聖諦。
しかしこれは、慈悲喜捨の抜苦を実践するためにはなくてはなりません。
生きることに苦が必然だからこそ、隣人の苦を除きたいと願う。
これなしでは、慈悲の実践は難しいと思う。
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