まぁ、綾波レイは女には取られないかも知れない。
そのアニマ像を自分のアニマ像にしたい男に取られる。
綾波レイの元になっているのが庵野氏自身の前世だったりしたら身動き取れなくなる。 . . . 本文を読む
取られる、というのは“わたしこそそれよ!”みたいな異性に乗っ取られる、ということ。
“わたしをそれだと思って”とか“わたしがそれだと思う”とか。
例えば、わたしは綾波レイはちあきなおみの前世、とか書いてますが庵野秀明がどう思うかは自由。
庵野は自分のアニマ像を出してしまっていて、それは魅力的なので取られやすい。
本当はこれはしない方がいい。乗っ取った方も自我の形成が阻害される。自分ではない仮面と . . . 本文を読む
わたしのアニムス像がおネエになりやすかった、というのは、未熟な少女にも理解しやすい異性だからじゃないかと思います。
別にユングの本ではそうなっていません。
でもわたしには大人の今でも、異性は理解しにくい。
女の中身を持った異性で、異性としての社会性を努力して身に付けている。
こういう像は、わたしにはある意味道しるべのように現れます。
橋本治やエルトン・ジョンなど。
事実がどうだか分かりませんが、 . . . 本文を読む
生まれ変わりというのは、個性の違う連続体ととらえています。
これは仏教思想による。
心相続(ダライ・ラマ“チベット仏教入門”参照)の考え方。
救われている前世霊というのは個性。和魂。
救われていない前世霊は荒魂を伴う。これは肉体的。
これは神道思想。 . . . 本文を読む
一番原初的なアニムス像を家族とかに投影すると、取られるのかも。
うちの父はまだ救われていない悪魔。兄弟も。それで取られる。
西光寺の大蛇というのは、多分悪魔だったけど救われた。
これは取り込んで大丈夫。
家光は悪魔なのか救われているか分からない。
取り込んでいるのかいないのかも分からない。
これは出口王仁三郎として完全に他人になった。
龍の子太郎としては息子になった。 . . . 本文を読む
粘土の感覚がやりたいっていうのは、藤森照信由来かもしれません。
諏訪(茅野)の守矢史料館の話だったか、“タンポポハウスができるまで”だったかに、粘土をえいやっえいやっと投げつけて、みたいなセンテンスがあり。
憧れて…かな? . . . 本文を読む
高校の家庭科で、間違えた場合にうまく誤魔化す技術も必要だと言われたのをワールドメイトの後輩に言ったんですけど。
普通、仕事とかそうですよね?
どんなに最新の注意を払ってもミシンが曲がることもあるし糸がダマになることもある。
なんか変な勘繰りを永遠にされてるみたいで。
深見東洲ってやっぱり超世間知らずなのかな? . . . 本文を読む
ミャシャが石膏、ローランサンは陶芸を石膏に近いまで持ってった感覚みたいに感じる。
そうまとめてしまうと、ピカソは彫刻かとも思う。
ピカソは彫刻マティスは陶芸が基調で、そこに様々な造形感覚をのせている?
日本は土の文化、陶芸の国。
欧米は彫刻? 石膏?
アメリカにはトーテムポールの感覚が入る? . . . 本文を読む
日本のマンガ・アニメで尾田栄一郎以外では、“新世紀エヴァンゲリオン”の綾波レイが、やはりよくできている。
“アヴィニョンの娘たち”に似ている。
と言っても、わたしの主観と言われるかも知れませんが。 . . . 本文を読む