蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

総括:総括:NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象の考察(続)─私たちの情報セキュリティーのために─

2009年09月17日 | 市民のメディアリテラシーのために
0.「正気(せいき)」を取り戻すために
 麻生内閣が退任した。もし日本の歴史が22世紀まで続き、日本史がまだ書かれ続けるとしたら、21世紀のこの時代をどう描くだろうか。麻生総理には最後の保守党人という賛辞を送るべきかもしれない。

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内閣総辞職、麻生さん「日本のため全力尽くした」9月16日9時24分配信 読売新聞
 麻生内閣は16日午前、首相官邸で臨時閣議を開き、総辞職した。
 麻生首相はその後、官邸内で記者会見し、民主党政権について、「景気回復は道半ばだ。景気回復を確固たるものにするよう努力してほしい。テロ、海賊などにも的確に対応するよう大いに期待している」と述べ、経済対策と国際貢献を一層推進するよう注文をつけた。
 首相は昨年9月の就任から約1年間の政権運営を振り返り、「短い期間だったが日本のために全力を尽くした」と実績を強調。特に、「100年に1度と言われた世界同時不況に対して迅速に対応できた。4度にわたる予算編成など大胆な経済政策を打ったことが、実績として誇れるのではないか」と語った。
 自民党総裁選(18日告示・28日投開票)への対応については、「一致団結を図らなければならない。自民党として何が問題だったのかという分析を踏まえ、きちんと対応して頂ける方(が望ましい)」と述べ、具体的な候補者名の言及は避けた。
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 イギリスを破滅の危機から救ったチャーチルも一度下野したことがある。麻生総理の再登板の日がないとは言えない。
 ウィンストン・チャーチル
 八百万の神よ、日の本の国を守り給え。

1.自分の足許を見つめるべき時
 私達は”戦争状態”にあるのだろうか?以下のブログに興味深い仮説が出ている。
 岩本康志ブログさん:なぜ財政赤字が発生するのか
 同ブログに依れば、日本の財政赤字は日露戦争時代に増えたが間もなく好転、その後は太平洋戦争の時期に対GDP比200%まで悪化したが、ハイパーインフレで好転、その後は1975年から徐々に増え始め、2005年には太平洋戦争期と同じ水準に達した。こうした財政赤字の原因は、「戦争」かでなければ「非合理的・政治的原因による」という。
 氏は後者の説を採ったが、私は前者でも話しは通じると思う。グローバル化は経済戦争であり、拡大する戦線に常に資金を投入しなくてはならない。1970年代の赤字増加は、ドルショックとオイルショック、1980年代は「Japan as NO.1」を維持する経費、1990年以降はバブル崩壊の補填でいずれも世界経済競争の枠組みに資金を投入し続けることで、言い換えれば、「世界第2位」の地位を守るために財政赤字が拡大したということである。
 アメリカとの関係で言えば「日米同盟」を維持する経済力を維持しなくてはならない、ロシアや中国との関係で言えば、抑止力を十分に維持できる近代装備を維持しなくてはならない経費も含まれる。財政赤字のグラフを見ると、太平洋戦争期と同じと言う点、非常に不気味な予兆とも言える。
 しかし、往年の勢いはなくとも今年の世界競争力ランキングでは、日本は8位でドイツと並んでいる。
 The Global Competitiveness Report 2009-2010
 基本的な競争力の条件は十分に整っている。大事なのは、その競争力を何に振り向け、何に集中させていくかという日本国内での共通理解だろう。「すべてをしなくてはならない」というのは、逆に言えば何もしていないのと同じになる。人間にはそんな能力はないのだ。だから、何かに方向を向けなくてはならない。最近、マスコミと民主党が宣伝した、年金や福祉は、その方向付けにはまったくならない。それは、年金・福祉は前進する人を支援する体制で、前進する人なしには元来まったく無意味な体制だからだ。
 民主党の政治はおそらく混乱を極める。従って、日本人も台湾人のように、基本的には家族と地域を再建することに時間と労力とお金をかけるべきだろう。
 近年の多くの研究で、物質的満足と生活満足度には全く相関がないことが明らかになってきている。簡単に言えば、経済の豊かさは、人間にまったく精神的満足感、充実感を与えないのである。
  平成20年版国民生活白書:消費者市民社会への展望-ゆとりと成熟した社会構築に向けて-
 台湾の同僚の研究では、日本人の満足度に大きな影響を与えているのは、家族と目的達成度である。日本の戦後の60年間は、家族を犠牲にして、経済繁栄だけを求めるという誤った目的達成によって、今のような不安と不満の渦巻く社会になってしまったと言わざるをえない。
 今が、マスコミがCMやドラマで60年間、洗脳を続けてきた「物質=幸福」という図式を捨てるべき時だろう。”必要なものがあればよい”のである。必要なものとは何だろうか?日本人の場合は以下のように明らかになってきている。

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 幸福度に影響を及ぼす要因
幸福度にプラスの影響
●女性であること
●子どもがいること
●結婚していること
●世帯全体の年収が多くなっていくこと
●大学または大学院卒であること
●学生であること
●困ったことがあるときに相談できる人がいること
幸福度にマイナスの影響
●年齢が高いこと
●失業中であること
●ストレスがあること
影響なし
●自営業であること
●何らかのトラブルを経験したこと
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 幸福の条件を整理してみると、(1)「女性」「子供」と共にあること=結婚・家庭に関わる条件だろう。やはり苦労はあっても結婚して家庭を持つべきということである。(2)「大学または大学院卒であること」=「世帯全体の年収が多くなっていくこと」=これは社会的に認められるスキルアップを目指すことと言える。実は学歴はそのひとつに過ぎない。今なら社会人としての入学も可能だ。台湾の大学院に来ている日本人も増えている。つまり、何かの充実した仕事をするにはスキルが必要である。大学を出たからではなく、大学を出て○○を身につけたから充実感が得られるチャンスが生まれる。何かを身につけるのが重要だ。(3)「学生」「相談できる人」=よい友と自由な時間を持てることと言えるだろう。信頼できる友人は家族と同様にかけがえのない存在である。
 結局、「家庭」「能力」「友人関係・よい人間関係」が基本にあれば、收入や自由時間に恵まれるチャンスも生まれる。実に、単純なことではないか。「青い鳥は目の前にいる」。
 もし、こうした「生活の中の幸福」を得たい人が増えたなら、社会レベルにも影響がある。財政赤字をなくすには、個人のレベルでも以下の選択があるのではないだろうか。
(1)生活水準(物資消費)を今の70%に落とし(たとえば1週間10本飲んでいたビールを7本にする、1年間で10枚買っていたTシャツを7枚にする)、経済(消費)よりも家族と地域を中心にした生活(たとえば共同作業、会話、一緒に楽しむなど)に変える。こうすれば今の70%の収入と仕事で十分に生活できる。もう無理してGDP第2位を維持する必要はない。
(2)生活から中国製品をなるべく排除して、国産品を使う。たとえば、中国製の冷凍食品は止めて、近くの店の手作り惣菜に変える。中国製品は日本の不幸の根源である。日本のお金は中国製品に環流し、やがて空母機動部隊に変わって史上最悪の獰悪無比な略奪、暴行、強姦しか知らない人民解放軍第一列島線占領作戦に発展することになる。未来の危険を除くなら今しかない。
(3)地域の活性化を同窓会などで話し合う。団塊の世代がいずれ引退になれば、その後の世代がすべてを負わなくてはならない。余力が残っている今ならまだチャンスがあるが、もう10年経てばたぶん再起のチャンスはないだろう。
 政策レベルでは、現行憲法の範囲で、運用の枠組みを変えるようにするしかないだろう。
(1)国家の機能を防衛、安全、外交、司法、共同体の協定(最低の福祉)に関わるものだけに限定して、今の中央政府を極力解体する。教育、開発など残りは各地方の選択に委ねる。それに合わせて、財源は基本的に個人が納付先を選択する。各地方のものは各地方に還元する。それ以上の格差の解消は地方の努力に委せる。
(2)社会的活力を維持するために、福祉(生活保護関係)を大幅にカットして、代わりに教育あるいは再教育と起業する若者を援助する。
 地域を守るのも大切な生活の目的で、そうした意識を育てるためにも、自分の足許に帰るときだ。
 こんなことでもしない限り、日本の競争力はもう回復できないかもしれない。民主党が目指している中央集權的独裁国家の末路は末期のローマ帝国以上に哀れである。

2.テレビと新聞を捨てよう
 21世紀に入って、既成メディアの凋落が著しい。理由は簡単で、多くの人がメディアからの一方的な内容に不審と疑問を抱き始めたからである。
 電通、日本の広告費2008を発表
 変革期の入り口に立つマスメディア
 接触率ではテレビの影響力はかなり高いが、広告収入の落ち込みはTVCMにも押し寄せており、時間の問題と言える。19世紀後半、南北戦争時代に原型ができた近代新聞は広告とともに発展し、テレビと結合して、20世紀を支配した。しかし、インターネットの時代、新聞とテレビがしている「ゲートキーパー(情報の選択者)」
の役割は消費者にとってむしろ有害なものになっている。今まで本ブログで紹介してきたNHK「ジャパン・デビュー第1回」現象はその端的な逆転現象である。
 水は通常の状態では絶対に低いところから高いところには流れない。かつてはメディアが知識と文化をリードしていた時代もあった。だが、20世紀後半の繁栄を経て、二回の大戦前の水準まで市民の知識と文化レベルが高まった今、メディアの知識の貧困と質の低下は市民社会には許し難い、言論統制に見える。
 NHKが億単位の予算と莫大な人員を投じて捏造した番組は、その何十分の一のリソースしかないチャンネル桜の取材に勝てない。ネットの市民や、わたし一人がした、資料の調査にすらレベルは遥かに及ばない。
 メディアは、巨大化した恐龍であり、いまや資源を食いつぶし多くの人々の生活を脅かす害悪である。新聞+広告という19世紀的な経営モデルを捨てない限り、既成メディアはますます肥大化して、自分の危機を糊塗するために今回の選挙のようにファシズムを煽動するだろう。
 市民の敵は、政府にいるばかりではない。
 NHKの正体 OAK MOOK

(おまけ)NHKの回答は完全な捏造
 21世紀の社会は「正気(せいき)」を失いつつあるのかもしれない。NHKの行動が常軌を逸し始めているのも、そうした意識の変調の表れとも言える。NHKが7月に出した「ジャパン・デビュー第1回」に対する批判への回答であるが、あまりにもひどい捏造であり、NHKの制作者の質的低下は深刻な状態と言える。すでに公共放送を責任持って運営する能力を備えていない。
 前回は、回答の追加の部分を途中まで見てきた。
 総括:NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象の考察─私たちの情報セキュリティーのために─
 続きの部分をさらに検討してみることにする。
(2)シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明・追加
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ハーゲンベックの回想録や本人の書簡などの中に、つぎのような言葉が使われています。
anthropologisch-zoologische Schaustellung
anthropologisch-zoologische Ausstellung
上記のドイツ語が、英語では「anthropozoological exhibition」、フランス語では「exposition anthropozoologique」となります。
こうしたドイツ語や英語、フランス語を、番組では「人間動物園」と訳しました。
なお、『博覧会の政治学』(中央公論社1992年)の中で、「人間動物園」という言葉が使用されています。
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 前回見たように、ドイツ語圏のインターネット資料では「anthropologisch人類学的-zoologische動物学的」+「Schaustellung/Ausstellung(展示、展覽)」 という表現は、ごく最近の文献か、あるいはNHKの関連ページ以外には存在しない。つまり、ほぼまったく一般には使われていない、また学術用語としても極特殊な一部で使用されているに過ぎない語と判断せざるを得ない。
 決定的におかしいのは、「zoologische」で、「動物園の」意味でNHKは使っていると主張しているが、名詞形の「Zoologie」は日本訳では「動物学」で、「動物園」ではない。「Zoo」と「Zoologie」はもとは全く別の単語だったのである。ドイツ語の「動物園」は「zoologische Garten」で、「Zoo」はその縮約形で派生した語である。歴史的には、博物学の「Zoologie(動物学)」→「zoologische Garten(博物学的な動物の展示)」→「Zoo(動物園)」の順番で、語義が変わってきた単語である。従って、語義の新しい「Zoo(動物園=学術的展示ではなく動物を見せ物、売り物にするという意味で)」の意味で19世紀に使われていたかどうかは、用例を調べていかないと大変疑わしい。また、ドイツ語版のWikipediaにも英語版のWikipediaにも古代中国から中世、近代までずっとこうした「zoologische Garten(博物学的な動物の展示)」が行われていたことが書かれており、近代になって特別な展示に変わったという「人間動物園」論者の説自体も疑わしい。
 さらに、NHKがあると主張している英語の「anthropozoological」、フランス語の「anthropozoologique」という語形は、以下のようにほとんど用例が存在しない。 、

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 "anthropozoological exhibition"
 "exposition anthropozoologique"
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 あったとしても、まったく別の意味で使われている。

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 anthropozoological
 "anthropozoologica"
Anthropozoologica is a semi-annual European periodical created in 1984 to stimulate exchanges of research results and ideas among scientists studying the relationship between man and animal, from the origins down to modern times. Its aim is to promote the study of these relationships viewed as strong expressions of the history of cultures and societies in their natural environments.
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 実は、1984年から「人間学動物学学派」が出している雑誌の名前で、まったく新しい造語なのである。歴史的にこんな言い方が存在するわけがない。「人間学動物学学派」の一部には「人間動物園」説を出した人もいるようだが、基本的には人間と動物との歴史的現代的研究がテーマで、NHKが新しい学派の中の、さらにその中でも極めて偏頗な支流学説を、メディア・スタディーズの孫引き「万国博覧会」学説に結びつけて出したのが「ジャパン・デビュー第1回」のパイワン族への極めて悪質な人種差別事件だったのである。もとから、完全な捏造、虚妄である。
 こんな子供じみた、少し調べれば簡単にからくりが分かってしまう弁解のための弁解が社会的に通用するとNHKが思っている背景には、NHKの制作者の頭の中に「私=エリート(支配者)=欧米系外国語をかじった」VS「反対者=被支配者=日本語(アジア系言語)しか分からない」という宗教的とも言える人種差別図式があって、日本人、台湾人を含めたアジア系の民族を根本から蔑視しているからである。今年、オーストラリアの日本語教育学会で会った日本人にもこんな人は少なくなかった。私から見れば、日本や台湾よりはるかに近代化の遅れたオーストラリアのほうが文明国に見えてしまう彼らのような狂信者に、何を言っても仕方がない。
 16世紀アジアに来た野蛮なヨーロッパ人たちが、アジアの文明の水準の高さに驚いたと言っても、NHKは、最初から二項対立(支配する者とされる者)でしか人間社会を見ていないので、以下のような本当に世界史的な番組は作れないだろう。
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