Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。

ピアノと私

2017-04-20 23:29:50 | ピアノ・音楽・芸術
ピアノは、私にとって複雑な存在となってしまった。(前記事参照)

本当は大好き でも自分を苦しめる 悩ませる 心をくもらせる 硬くさせる 楽しくない 避けたい  ほら、そんなにピアノは私にとって重要じゃないと思って安心する ピアノがなくても平気だって思うと安心する 吸い寄せられる ずっと弾いていたい 時間を忘れる

そこで、私はくそみそ一緒にせず整理した方がよさそうだ。

どんな時楽しかったか…
ふつうの人達と一緒にピアノを弾いたり ふつうの人達の前で弾く時
クラシックピアノではない、他の音楽例えばギターとかドラムとかベースをしている人達の前でとか、一緒に弾く時

どんな時楽しくなかったか…
ピアノの先生(権威主義の窮屈な、意地悪な批評家)の前で弾く時
またはピアノの世界をブルジョア階級かのように勘違いしてお高くとまった人達の前で弾く時
品定めする雰囲気の場所で弾く時 意地悪な調律師やピアノ販売員の前で弾く時
ピアノを自由に楽しく弾いてはいけないと信じている人の前で弾く時

ピアノは大好きなのだ。どこかの廊下とかに置いてあったら、蓋を開けて触らずにいられない。
でも、楽しくなくさせる人たちの前で弾くと、ピアノは重苦しくて 心をくもらせて 恥を感じる
自己否定をする わきまえないといけないと思う 

だから、私はどんな人と一緒に楽しみたいかをはっきりさせて、それを選ぶべきなんだ。
自分をこわばらせる人達のいる所で弾かなければいい。そんな先生からはこちらから立ち去るべきだ
楽しい人達のいる所で弾けばいい。
そして、私の中にまで宿ってしまいそうな意地悪で冷たい批評家を追い出さないといけない。

私のように、創造性をせき止められた先生によって創造性をせき止められた人たちにも、同じような確認をしてもらいたい。ピアノ、書道、華道、ダンス、もの書き、作曲、絵画、写真…
この確認作業は有意義だと思う。

私の経験から、嘘をつくことや、自分をごまかし、本当のことをひねりつぶすこと、とり繕うことが当たり前になっている人は、そうしない人をものすごく攻撃してくる。これは、心理学かなにかでも読んだし、モラハラの本でも読んだし、色んな所で書いてある。多分、そういう人達は、欺瞞の中で生きてるのだから、欺瞞を欺瞞だと明るみに出してしまう人が非常に目障りで目の前から消したい その澄んだ瞳をくもらせたい その光を消したい そういう衝動が起こるのではないか。
自分がからっぽの箱を絢爛に塗り固めているのに、その塗り固めで成功体験をして地位を向上してきたのに、その人はその箱が空っぽであることを明るみに出す。だから激しい嫌悪、あるいは嫉妬を燃やすのではないか。
私が、ピアノの先生といると感じるこの不穏なオーラはそのことではないだろうか。
先生なのに、激しい情念で足を引っ張ってくる。


逆に、同じように欺瞞をしない人は、その人のことをとても好きになって波長が合う。

日本では欺瞞がデフォルトなので、そうでない人にはとても生きにくい社会となっている。

いがみの強い人たちに負けないで、創造性を回復したいと思う。せき止められて迷子になっているだけで、創造性は再び力をもつと思っている。
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