休刊のお知らせ

2013-11-10 19:34:35 | インターネツト

                       休刊のお知らせ

 

ブロガーの皆様、この度休刊のお知らせをすることになりました。

用事、仕事に追われる日々が続き、このままではと懸念しておりました。

tigr60、元の古巣へユーターンして仕事に追われる日々を過ごす羽目になりそうです。人材がいないので至急の里帰りになります。

やることは出来る語学のスキルを生かすことで先方の助けになるようです。意外にも人材がいないのに唖然とする次第です。

完全の廃刊ではないので、近い将来に落ち着いてから再刊します、このブログが寄っているグーグルのアカウントが継続して使用、利用していければと考えております、ならば同じタイトルで再刊も可能ですから。

開刊して丁度二年間、ただ走ってきました、思い返せば沢山のブログをいろいろなジャンルで書いたものだと我ながらあきれております、またいろいろなブロガーの皆様方からいろいろなコメントを頂き賑わいを見せて頂いたのが嬉しい限りです。

決してtiger60は消える訳ではありませんので、心の片隅に記憶として残して頂ければ、この上ない光栄に思います。

ありがとうございました。

英語で   シーユーアゲイン!

日本語で また逢える日まで!

中国語で ツァイツェン 再見 !

ウチナー口で またん、いちゃらなやー!

tiger60                          2013年10月吉日

 

 

 

 


沖縄考

2013-10-20 17:17:47 | 文化

                              沖縄考

 

    

 

最近ある機会があり、琉球の歴史の講座を受けている。一クラス団塊世代が参加している。

講師が来て歴史やら文化の話しをやる。

沖縄の文化、日常でやっている仏壇ごと、先祖崇拝、清明祭などの行事のことを話しを聞くと、目からウロコ的なことも多い。

沖縄の仏壇の祭り方は道教の影響だという、なぜそうなったのかも聞くと、自分達が当たり前だと考えているのが冷静に見える。

歴史の裏の話しを聞くと、固定概念で捉えていたのが分かる。

歴史学者の講師の話しを聞くと、宗教が変わってきたのが、分かる。

神と仏は同じである、明治まではずっとそう信じて、考えてきたが、明治政府になり富国強兵、天皇を神と崇める体制を作ろうとした政府によって分離されたそうだ、国教が神道だといわんばかりの分離を強制したのである。だから神社と仏教の寺が混在している。

そんな話しを聞きながら、現状をながめてみると、なるほどと思う。

宗教や信じる手段さえも権力の画策によって歪められてきたのが分かる。

沖縄に伝わる、真玉橋の由来、従来の説では、なかなか橋がうまく作れないのは霊の祟りなので、若い女子を人柱にして埋めると、橋の完成が出来るといわれた、それを単純にも受け容れてきたのである。みなさんもそんな話しを聞かれたことがあると思う。

講師によると、これは全くのデタラメでそんな事実は無かったとのこと、昔本土の芝居を見たある劇脚本家がそんな話しを作ったのが噂として広がっただけだったそうです。

昔、琉球に朝鮮と中国から陶工が三名来た、焼き物の技術者だ。

中国人は琉球に定着した、二人の朝鮮人陶工の一人は、朝鮮に引き上げた。残る一人の朝鮮人陶工に残ってもらいたい琉球王府は、説得したがなかなか首を縦に振らない。

要求を何でも聞くから残ってほしいと言ったら、独身なので妻を探すなら残ると言われた琉球王府の役人達は、豊見城間切りの美人をさらってきたが、よくよく調べもしないで誘拐したのだ、人妻だった。

それでも強権を持つ王府はそのままにした、その人妻は毎日、豊見城の方向を見て涙にくれたそうです。

なんだか北朝鮮ばりの顛末ですね、琉球王府が人さらいをやるとは。歴史の裏が分かると唖然となることの例ですね。

宜野湾市のイメージ名ははごろも伝説、天女と結婚した人の子孫が宜野湾を興したとあるが、天女なんて、ウソ八百物です。今この研究が進んで、地方の有力な娘だったのではとの説に決まりそうです。

浦添市のイメージ名称は、ティダ(方言で太陽の意味)、これも源為朝伝説から出たまがい物なんです。為朝伝来も作られた話しで、残された妻と長男が帰りを待ちながら暮らした聖地も、事実ではないのです。

日本全国で村、町おこしが盛んだが、話題やテーマ、歴史性がないので、少しの噂や幼稚な作り話しにでも乗ってしまうのが現実ですね。その典型がUFOの町だというところも出る始末。

日琉同祖論を唱えたのが有名な琉球歴史学者、伊波譜猷だが、源為朝と阿麻和利がある家系図で繋がる、だから日琉同祖論を唱えている、為朝伝説そのものがデッチ上げだから同祖論が成り立たないのだ。伊波譜猷にしてこんな初歩的な間違いをおこしている。

阿麻和利の妻となった百度踏揚は、本当の名前が別にあるようだ、百度踏揚とは彼女が信じていたある宗教か神仏の名前だったそうです。ほとんどの歴史本や劇でもこの間違いが平然とあることを不思議に思う。

ブロガーの皆さん、ここまで歴史の逆説や間違い、思い違いを聞かされて、どうですか?目からウロコが落ちるようではありませんか!

私達、沖縄県民が日常、当然とか当たり前とか、何らの疑問も感じないで看過していることに重大なことがあったことに驚きですね。もっとあるかも知れないとの期待感が出てきます。

 

今日のブログは沖縄考、しばらく更新が出来なかった。用事に追われる日々でした。

団塊世代とそれ以上の大先輩達、俄然元気なのでこちらが雰囲気負けしそうなくらいです。よくよく考えてみれば人生経験豊富な先輩達であるから、それなりの風貌と貫禄を感じます。そんな文化的な日々を送るのに忙しいtiger60です。ブログの更新の遅れは今後もたびたび、あるやも知れませんがお許しいただければ幸いです。

tiger60

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最近の出来事

2013-10-07 17:09:47 | 世情

                            最近の出来事

 

       

 最近、いろいろな出来事があるが台風のことを話します。今年は多いですね、夏台風は小型で発生する個数が多いのが特徴、沖縄は台風の通り道であり避けては生きていけない。

夏場の台風は大型化することが無く、雨をもたらしたら良いのだが今年の夏台風は雨が少ない、梅雨の後に日照りが続き熱さも倍増する感がある。

秋台風、戸数こそ少ないが発生したら大型になることが多いが、今年の秋台風は数も多いような感あり。沖縄では40メーター前後の風ならあまり気にしない習性がついてしまっているが、最近の台風は大型で威力が凄まじいので、さすがの沖縄県民でも少し怖い気持ちになる。

tiger60の住む住居は三階部分、台風の突風が吹くと建物がゆれるのだ、気持ち悪い、倒れないと分かっているが風のゆれを感じるのはいやな感じ、周囲には遮へいするものが無いだけに、風の辺りは凄い。

スーパーやショッピングセンターなどの駐車場、みんな場所の良い所に駐車しようと焦っている感あり、最近も買い物を終えて車を駐車スペースから出そうとしたら、目前に初老の女性ドライバーが車を止める、こちらが出られないのだ、

どいてくれたらと思っていたら、相手はこちらが出るのを待っている、それもこちらの車をブロックしておきながら!

何か勘違いだろうと善意に考えて待っていたら、相手がこちらに合図をする、「早く出ろ」と言っているようだ。

出るのが不可能なので、こちらもどいてと合図を送る、ようやく状況を分かったようでどいたのだ。なんだか疲れる気分だった。この手の焦る人達が最近多いのだ、のんびりしているのが沖縄県民の特性、県民性ではなかったのか?

と問いたくなるものです。みなさんもこのような不快な経験があると思います。

最近、那覇市が主催する講習に参加して分かったことがある、那覇市の半分程が昔、海だったそうだ。今の国際通りあたりは浅い中州状の内海だったそうです。当時の地図を見たが、今の大都会になったことが想像しがたいくらい海と中州と離れ小島状態である。

那覇国際貨物ターミナル、この名称を聞いたことがありますか?

場所は安謝新港の先にある、金網で隔離された外国からの物資が集まる、あるいは外国向けの船の貨物の場所なんですね、仕事で時々、入ることがあるが巨大な貨物ターミナルです、一般の人が自由に出入りすることが不可能で出入りにも厳しい確認が必要な警戒厳重な場所があるのが珍しいくらいですね。那覇市民でもここの存在を分かる人達は多くないようです。

沖縄県は外国からの輸入物資も多いのでこの貨物ターミナルはフル操業状態である。物流の動きが分かる、巨大のコンテナで物資が運ばれているさまはスケールの大きさが分かります。

若狭のフェリー埠頭、今ターミナルビルを建築中ですね、とまり大橋からも確認出来ます。外国からの観光フェリーが寄港しても埠頭もない、ターミナルビルもない、日本の入管手続きもフェリーの船内でやっているのが、フェリー船舶会社からは不評でした、県としてはフェリーで外国からの観光客がもっと沖縄に来てほしい、設備が不十分か無ければ歓迎することも出来ないから、急いで完成を急いでいるようです。県が行動を興さないので、今後フェリーは入れないとまで言われて、県も慌てたようだ、やがて完成して迎える体勢が整う、楽しみである。

タイの観光客の食事、基本はなんでも食べる。タイ料理が凄いうまいのでこちらの料理はどうかなと思い、質問してみると、意外に受けが良い。一部にイスラム教の客がいて、豚肉などは食べないが、おおかた食べれているようだ。

一番人気なのは、チョコレートタワー、チョコレートフォンデュとも言う。チョコレートがタワーの上から流れて果物やケーキなどを付けて、食べることが出来る装置である。このタワーの前で記念撮影して楽しいそうだ、首里城の琉球王の椅子の前でも団体で記念撮影する光景がある。

沖縄は可能性を秘めたところであると信じる、他府県からの観光客はもちろんのこと、外国からの来客ももてなすことが必要となっている、今現在、沖縄県に来る外国の観光客は40万人近くいるのである、これだけの客をもてなす体制がまだなっていない、本当の国際化とは観光、ビジネス、交流がもっと広がることでもある、沖縄空手がその先導役をすでにやっていることは誇りに思う。

激動に揺れる沖縄、世界中の空手家達が来沖して沖縄を総本山として崇めて、崇拝する様を見ると今後の沖縄の可能性がもっとあるのではと期待する。

 

今日のブログは最近の出来事。雑感になってしまったが、最近の思いを書いたつもりです。

季節の変わり目か、この間まで体がだるく、体力、気力が失せたようだった、もう大丈夫。夏の疲れが秋頃に出るといわれる、みなさんはどうですか?熱い夏でヘバッて涼しい秋になる、体力、体調が変わる、違ってくるのは当然のリズムかも知れませんね。冬は冬で楽しみもある。元気で四季を歩きたい心境である。

tiger60

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


秋ー食べる

2013-10-01 19:18:13 | 食材、食文化

                  食べる

 

      

 秋ですね、あれほど夏の暑さに耐えていて、いつこの暑さは終わるのか、もしかして永遠にこの暑さを我慢しなければならないのではと、不安に駆られることもありました。

今年の夏は風があまり無かった、夏台風も多くて湿気を帯びた不快な風が吹き荒れただけ、あまり雨をもたらさなかったのが今年の台風の特徴でしたね。

朝夕、涼しく感じる秋の気配、何となく季節の変わり目を感じて、切ない気分になりそうだ。

食べるを語りましょう。

米軍施設での仕事で朝、昼の食事が無償で提供される、量が多い、高カロリーメニュー。こんなもんばっかり食っているから思考力も落ちるのではと思うくらいだ。これが彼らの食文化なのだろう。

時々、朝からバーベキューをしている、勤務の傍ら、昼の全員のステーキを朝から焼かないと間に合わないらしい。

このステーキが一個、500グラム越す、一人前だ、日本人なら数名で食べれる量である。さらに豆や野菜、ケーキなどがたっぷりついてくる。一人前だが、これで足りないのがいる、呆れるくらい大食いな連中である。

tiger60は頑張って食べても三分の一が限度だ。

そんな彼らがたまには、日本の回転寿司に行く、一人で120皿とビール5杯大ジョッキ平らげたのもいた。当然金額はこの分だけで1万円余になる。

ほとんどの外人は食べる寿しの種類が決まっている、

マグロとタマゴ、カリフォルニア巻きの三点が定番、それ以外のメニューには手を出さない。不思議であるが人の好みは分からない。見て分かるものしか食べないのは世界中同じかも知れない。

ある意味では単純な連中である、分かり易いからいい、ああだこうだとうるさいことを言わないから楽ではある。

最近40年ぶりに米国から帰国した沖縄県民の男性と話しをした、ニューヨークで和食の職人をしていたとのこと、彼いわく、「アメリカ人は味音痴だから、料理で困ったことは無かった」。握り寿しでも日本のおにぎりの三分の一くらいのシャリとネタでないと納得しないらしい。小さい寿しオニギリ風らしい。

アルコール、アメリカ人は酒に強い、肝臓がアルコールを分解処理する能力が高いらしいと聞いた、だから大酒飲みが多い。肉料理にしろ、長年食べなれてきて、体が処理する能力があると聞く。

日本人は日本の風土で培われた体だから、西洋料理を食すると体を壊すのは当然の理でもある。

かく言うtiger60も米軍勤務の頃は毎日、あのジャンクフードなみのアメリカ料理を食していたが、ついに体を壊した。心臓の悪化だった、それを機会に和食に戻して今、生きている次第である。

ヨーロッパの料理は、サラダを最後に食べる、アメリカ人は最初に食べる、同じ民族ながら食べる順序が違う。伝統が無い分、伝統に対する反発や抵抗心からか、逆の習慣になっていることがある。

日本人的にはヨーロッパ方式ー最後にサラダを食べるのが合っていると思う、口の中に残る料理の油、バター類のベトベト感をサラダが流してくれるのだ、確かに理に適っている。

最近豚のフィレ肉で分かったことがある、アメリカ産のフィレ肉と沖縄産のフィレ肉が売られている、価格は沖縄産が二倍の値段で売っている。産地物だからだろうか、

料理して食したら、アメリカ産が断トツ、旨い!

沖縄産がまずく感じる、tiger60も沖縄県民の一人、沖縄産に味方したいが、無理である。アメリカ産が勝ちだ。長年の歴史で肉類の開発、伝統を感じる。

思いだしたのは、研修で米国に滞在していた時、スーパーで買った普通の特大ソーセージが超旨かったことだ。感動するくらい旨かった、肉料理は西洋人の得意とするものだと分かった。

パイナップル、沖縄産とフィリッピン産が同時に売られている、値段は沖縄産の三分の一、味はフィリッピン産が甘さ、酸味、水分とそろっている。あのドール(Dole)の会社が開発、栽培しているフィリッピン産パイナップル。

沖縄産が地元だといいつつ、値段が高い。フィリッピン産は、元々ハワイでドール社が開発して、パイナップルの研究、開発は40年前に終わっていると聞いた、それを人件費が安いフィリッピンで大規模に栽培して世界中に輸出しているのだ。

なぜ沖縄で安く買えるのか、フィリッピンと中国が南沙諸島で対峙している、中国のいつものいやがらせでフィリッピン産のバナナ、果物類が輸入禁止したのだ。そんな果物が日本や沖縄、他の国々に輸出されるからだ。果物にも国際政治が関係しているんですね。

tiger60も沖縄県民として沖縄産の将来が心配になる、サトウキビの政府からの補助、産地だと安心していたら宮崎県にやられたマンゴー、ゴーヤー。今や関東の茨城県あたりがゴーヤーの一大産地になっているそうだ。もちろん沖縄の風土が育てるゴーヤーが高品質であることは間違いないが。

tiger60が言いたいのは、油断するなかれということです。

ゴーヤーと言えば、昨年九州の姉夫婦が佃煮風の物を送ってきた、旨い!絶品の佃煮で熱いご飯と食べた。電話で姉に聞いた、九州の自分の庭に植えたゴーヤーを佃煮風に作ったそうだ。びっくりした、てっきり佃煮だと信じて食べたのが、沖縄自慢のゴーヤーだったとは!本当に参った。

ブロガーのみなさんはゴーヤーの佃煮を食べたことがありますか?ゴーヤーでこんな食材も作れるなんて、恥ずかしながら知らなかった。

 

今日のブログは秋ー食べる。秋は食欲が増す季節だが、気がつけば体重が増えてしまう。

ブログ更新遅れがちなtiger60ですが、最近小さな庭にドラゴンフルーツやパパイヤ、アロエ、トマトなどを植えて、毎日果実が大きくなるのを見つめています。室内ではランの花が咲き開くのを観察している日々を送っています。小さな物言わぬ生き物だが、なんだか愛着がわいてくるものですね。

少しの幸せを見つけて日々の暮らしに潤いがあればいいのでと思うこの頃、そんな考える自分も年をとりつつあるのかなと考えたりします。みなさんはどうしていますか?

tiger60

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


渡嘉敷アイランドーケラマ

2013-09-21 08:50:09 | 元気な年寄り達

     渡嘉敷アイランドーケラマ

  

  

  

 先週、妻と渡嘉敷島に行った。しばらく息抜きしていなかったので週末に行った。

渡嘉敷フェリーが新造2年前で真新しい、早いし揺れがない、船内は豪華な造りで心地良い。

30数年前に行った時の古いフェリーを想像していたので驚きである、他府県からの観光客も驚くくらい新しいのだ。

渡嘉敷島は港のある渡嘉敷村は行政区で、島の反対側(車で山越え10分くらい)で民宿が多い阿波連に着く。人口が400名くらいと聞くが、ほとんどが観光客のようだ。沖縄県民もtiger60達だけのようだ。

農業、漁業も活発ではないので、観光客で経済が廻っているようだ。阿波連には売店が一つある、当然物価は高い。コンビが無い。

阿波連ビーチはきれいで安全である、木の陰がないので砂浜ではより暑いと感じるのは県民のこちらだけ、他府県からの観光客や外人、中国系の観光客もいるが、みんな暑さをものともしないで遊んでいる。

暑さの怖さを知っている県民は暑いビーチで甲羅干しなど絶対しない。全身が準ヤケド状態になりたくないからだ。知らないことほど怖いの例えを見る思いがする。

民宿は昔ながらの民宿が多い、個室でも隣の声がもろに聞こえる、廊下を歩く足音は室内まで響く。

夏場のシーズンが終わると冬場は暇かと思えば、日本各地から高校の修学旅行があるそうだ、冬の沖縄、それも離島の渡嘉敷でと怪訝に思うが、聞けば民泊とホエールウオッチングがあるそうだ。

そうか、何も夏の海で泳ぐだけが沖縄の観光ではないのだ。暖かい冬の渡嘉敷で学ぶことも多々あるのだと分かる。

こんな美しい島で戦争中の集団自決があったと聞くと暗い気持ちになった。考えてみたら沖縄戦の始まりはケラマ諸島を抑えて、そこから沖縄本島に艦砲射撃をやったのだ。そんなことも修学旅行の学生達は学ぶのだろう。

売店で買うアイスは在庫があまり無いにもかかわらず、溶ける寸前の状態、電気の節約と考えているのか溶ける寸前のアイスが普通のようだ。

阿波連を散策していると、いきなり初老の男性が声をかけてきた、話し好きのようだ。の土地や財産の話し、戦後、フィリッピンから引揚げてきたこと、戦後のの歩み、には必ず外灯が設置されている、最近は他府県民が土地を買い値上がりするのを待っているが、景気が悪かったのでそのまま放置されて土地が荒れていると嘆く。

人好きでおしゃべりしたいようだ、初めて地元の人との触れ合いがあり、面白かった。会話の途中、チラリと隣の屋敷のおばぁさんと顔があったが、またかと感じで笑っていた。

どうもこの初老のおじさんはいつも人を捕まえて話しをしているのだろう、こんな世話好きな人はどこでもいるものだと思った。

帰りの港で島で数少ない食堂に入った、地元の人達が利用する店のようだ。

事前に券売機で食券を買うが、張り紙がある、

「コインだけ使用して下さい、紙幣は使えません」、

店員さんに両替してもらい、食券を買う、?どうも可笑しいですね!

券売機の意味がないのを店員に笑いながら言うと店員も笑っていた、平和でのどかな光景だ。この店の味は超旨い、絶賛する。

渡嘉敷で出会った人達は必ず挨拶する、外来の人に親切である。たったの二日間の旅だったが、良い息抜きになった。何も無い自然の中で過ごすのも何かを取り戻す機会になったと考える。

 

今日のブログは、渡嘉敷の旅。町中での生活で世俗にまみれて暮らすのに慣れ過ぎると、リズムが少しずれてくるのを感じたので、生き抜きに行った。

ケラマは目前、昔からの格言がある、

「ケラマは見えるが、まつ毛は見えない!」、

先人達は良く表現したものだと感心する、戒め、心のゆとりを持つようにと諭している。

tiger60