酩亭日乘

アスペルガー症候群のおやぢ 日々の放言集

はじめに

2222年03月31日 | Weblog
本サイトはアスペルガー症候群と診断された当事者が日常どうも世間からずれているなと感じたことなどを紹介しています。

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自閉的傾向あり升
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すずしくなってまいりました

2008年11月06日 | Weblog
だんだん涼しくなってきてうれしい限り…と例年はなるのだが今年はどうも調子が出ない。
原因はこれといって思い当たらないのだがなかなかうまくいかないものである。

天気予報

2008年09月15日 | Weblog
お久しぶりです、ご無沙汰しておりました。
夏はどうも気分的によろしくなく鬱々としておりました。薬も効いてきて徐々によくなってきています。

なんとか心と秋の空(なんていうとセクハラになるのだろうか?)という具合に非常に天気予報が当たりにくい時期である。
TVなどみていると(ほとんどニュースと天気予報しかみないが)気象予報士とやらが出てきて天気予報をしゃべっている。
しかもみんなほとんどいっていることはほぼ同じ。これでは某庁のみが発していたのと変わらない。

まあ同じデータをみて予想するのだから似通っているのはしょうがないとも思うが所属の予報会社のいってることをいうだけならわざわざ気象予報士がしゃべることもあるまい。しゃべり専門のアナウンサーにやらせた方がよろしい。

せっかくの予報士が出るのだからもっと自分の経験なりに裏打ちされたユニークな予報をしてほしいものである。データに振り回されているような気がする。

自分なりの予報が出せるというのなら、天測(観天望気)のみから予報してみるとか猫や下駄から予報するというのもありではなかろうか?意外に当たることも多い。

参考書を見てみたらさほど勉強をしないでも合格できそうなレベルの問題なので今度受けてみようかと思っている。予報士になる気はないが…


セミの声

2008年07月22日 | Weblog
今年は蝉が鳴かない。
近所だけではなく職場の近くも、よその地方に行っても。
いつもあるものがないと非常に困る。

どうしたんだろう。

センセイのセンセイ

2008年06月15日 | 仕事
>新任教師に対するデタラメ指導について触れよう。
という出だしであるお方が産ケイ新聞に連載記事を書いておられる。【学力低下、学級崩壊、悩む先生…真犯人はこいつだ】というのがその題名であるが、題名からしてあまり好きではない。毎回の内容も正しいことも言っているがこれは…ということもたびたび。

以下
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080611/edc0806110804001-n1.htmで読める記事について。


教員に対する指導について、
>「教室の前面に目標や目あてや学習の決まりなどを張り出しなさい」と強要する。
ことがよくないとおっしゃっていらっしゃる。

学生時代に強要された覚えはある。確かにこのテの表示は非常にうっとうしいものである。ただこの方のおっしゃる全体の”1割近くの発達障害の子”の

さらに噴飯ものなのは”1割近くの発達障害の子”に”正しく教育すれば、エジソン、坂本龍馬のようになる。間違った教育をすれば「落ちこぼれ」となり「非行少年」への道を進ませることになる。そして、大半の教師が間違った教育をしている。”ともおっしゃっていらっしゃる。非常識も甚だしい。全ての発達障害児が全てそうだと本気で思っているとしたら、このお方に指導を受ける教員は非常に不幸だと言わざるを得ないだろう。また、健常児に対しても同じことがいえるのだろうか?学校教育の力は小さくはないがセンセイ方が自負するほど大きくない。発達障害児に対しての「正しい教育」とは何でしょう?自分は、自分にあった学校教育は受けてきていないと断言できるがエジソン、坂本龍馬のようでは絶対ないし、「落ちこぼれ」となり「非行少年」への道を進むこともなかった。

>経験豊かな専門医から真剣に学ばない教師は間違いだらけと言ってよい。
真剣に学べばよいといった考え方はセンセイ方特有の考えで、多くのセンセイ方が真剣になった場合、道を誤ることが多い。真剣になるそのなり方に多くの教員が問題を抱えているのではないか。この筆者も真剣になり方を間違えているような感じがする。得た知識はこのような誤った比喩に使うのではなく子供をきちんとみる助けにしてほしい。

その後の発達障害児一般に関する知見もあまりにステレオタイプに過ぎる。
このこの方のおっしゃる1割の全てがそうであるわけではなく皆それぞれ違う受け止め方があるだろうに。
ということは自分のように従来の掲示が致命的になるのは全体の一割近くのうちのさらに何割かになるだろうから、全体の数%。
長いこと常識とされたそのウラには何らかの効果、根拠があるはずである。
数%に全体をあわせろというのは暴論であろう。発達障害という言葉を使えばインパクトがあると思っているのだろうか。

健常児でも、特に早期の時代は特に教室表示はシンプルな方がよいと思うが、年齢に応じてスローガン的なものから徐々に細かくしていくことにはそれなりの意義があるのではないだろうか。(自分は嫌であったが)教室環境の個々の発達に応じた整備というのは発達障害を基にして語られるべきものではない。

ここで発達障害児をダシに使われても発達障害に対する理解が誤った方向に行くのではないかと思う。

自分も不充分な理解でたとえを引くことには注意しなければなるまい。