タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

  <タイトルは「庭仕事」ですが、残日録には他の分野も含まれています>

≪ 環 境 教 育 雑 感 ≫

2007年07月31日 20時54分10秒 | 学芸文化

P1010418 釧路湿原国立公園が7月31日に指定二十周年を迎えるに当たり、『北海道新聞』は、第30面〈釧路〉・第31面〈釧路・根室〉の二面を使って特集を組み、多彩な記念イベントの紹介とともに、教育現場への普及活動を目指した、釧路湿原再生協議会の環境教育推進策を、大きな紙面を割いて、詳しく報じている。
 私は、釧路湿原再生協議会の取り組みに反対はしないが、辻井達一会長の、「例えば国立公園内のごみの問題でも、環境省に『もっと取り締まれ』というだけでなく、大人が湿原に子供を連れて行って厳しくしつける一種の環境教育が必要だ」という発言には違和感がある。小見出しにあるように、「学校と連携し環境教育」をするのであれば、当然、「大人」つまり「教員」が「厳しくしつける」という意味になる。しかし、今、子供たちを厳しくしつけることができる教員がどれほどいるか、会長はご存じないのではないだろうか。教育現場をよく見て頂きたい。
 上の写真は、北海道教育大学釧路校のキャンパスの南東の一隅である。歩道にまではみ出した見苦しい蕗を、大学はなぜ放置しているのか。P1010420 P1010423
 右は、平成18年度に植樹された、「大学再編記念樹」のチシマザクラ。雑草が茂り放題で記念樹も形無し。
 左は、何の建物か知らないが、入り口はガラクタの山。湿原だけが環境教育の場ではなかろう。このような荒れた環境の中で、学生は、環境教育について何を学び、教員になって、何を教えられるのか。子供たちを湿原に連れて行って、何を厳しくしつけられるのか。
 自らのキャンパスの環境整備ができないで、釧路湿原の環境保護を子どもたちに教えられる教員が育つかどうか、私は疑問に思うのである。


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≪ ミ ニ バ ラ 開 花 ≫

2007年07月30日 20時48分44秒 | 園  芸

P1010406
 6月22日に投稿の≪次男からのプレゼント≫で紹介した、昨年の母の日のプレゼント、赤みがかった桃色のミニバラを花壇に定植したのは5月28日だった。今年の釧路は天候が不順で、気温が低い日が多かったため、蕾が色づいてから、開花まで少し間があった。釧路でも条件のよい花壇では、もっと早く開花しているが、わが家の庭は角地で、冷たい風の通り道になっているので、どの花も、よそ様より遅れがちである。
P1010407  もともと、五本の細木を寄せて鉢植えにしたもので、花壇にもそのまま寄せ植えで定植した。本格的なバラ作りとは違い、剪定も蕾の整理も何もしていない。庭植のミニバラはそれでよいと思う。
 しかし、ミニバラといえども、四季咲きは、新しい枝を次々と伸ばし、多くの花を咲かせるので、元肥をたっぷり与えるだけでなく、何度か追肥を与えなければならない。病害虫に対する配慮も必要なので、庭の花木の中では手間がかかる方だろう。それだけ開花時の喜びも大きい。


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≪ 商品不当表示(再び) ≫

2007年07月29日 05時55分44秒 | 社  会

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 7月25日、物置小屋の屋根を修理するため、下地材として使う四分板と貫を買いにホーマックに出かけた。製材の実寸が、長さを除いて、表示より少ないことは、少年の頃から知っていたが、改めて店頭でこの不当表示が堂々と張り出されているのを見て、木材業界は未だに、この悪習慣を止めないのかと驚かされた。メジャーを当てると、広幅板180は、幅175ミリ・厚さ11ミリ、貫は、幅103ミリ・厚さ17ミリしかない。長さは、二寸ほど長めに玉切りされた丸太をそのまま製材にするので、九尺ものなら280センチくらいはあるのが普通である。P1010380
 製材に表示どおりの寸法がないことは、ホーマックに限ったことではない。木材業界では、昔からそのように丸太を挽くので、どこで買っても同じである。工場は、帯鋸の目の幅があるから、というが、それなら、初めからその分を見込んで、出来上がり六寸(貫なら三寸五分)になるように挽けばよいことである。木材は乾燥すると収縮するが、乾燥による僅かな寸詰まりに難癖をつけているのではない。姑息な悪習慣は止めるべきだと言っているのである。石高を誤魔化している、という意識すらない者に、商売をする資格はない。
 店員に尋ねても無駄なことを承知の上で尋ねると、「えっ、そうなんですか」と、とぼけた返事が返ってきた。自分の店舗の商品だろうが。それで木材コーナー担当がよく務まるものだ。幅180ミリと表示して、175ミリしかない商品を販売して恥ずかしくないのだろうか。


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≪ 釧 路 の 舗 装 道 路 ≫

2007年07月28日 05時30分06秒 | 社  会

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 7月26日付『北海道新聞』第25面〈釧路・根室〉に、釧路市の市道舗装に関する記事が載っている。釧路市に簡易舗装が多い理由について、市道路河川課は、「とにかくほこり防止を、という要望が多く」と述べているが、信頼できる筋から得た情報によると、既に亡くなられた数代前の市長が、道内の主要都市の中で際立って低い舗装率を早急に高めるために、積極的に経費の安い簡易舗装を進めたのが真相である。
 上の写真は、武佐2丁目の市道だが、薄いアスファルトのひび割れが進み、ほとんど砂利道と変わらない。所々にパッチワークのように補修箇所が点在するが、それとて、冬期間に周囲が凍上するため、たちまち崩れてしまう。P1010389
 当時の市長は、『建設グラフ』(96年10月号)のインタビューで、釧路市のインフラ整備の遅れを指摘し、必要最低限の都市基盤整備を早急に進めるため、毎年、100億円近い公共事業を実施してきた、と豪語している。因みに、市長就任当時に15%だった市道舗装率は、在任19年間で、90%に達したという。「えっ、そうなんすか、ほほぅ」 それほど自慢に価する内容なら、市民自ら舗装補修材で穴を埋める必要など生じないのではないか。
 確かに、釧路市の都市基盤整備は飛躍的に向上しただろう。しかし、たまたま、日本経済が高度成長期にあったために、綻びが表面化しなかっただけで、その当時から、市の財政が健全な状態にあったかどうかは疑わしい。現在、財政難に喘ぐ釧路市は、要するに、これまで借金で大型公共事業を行ってきたつけを払わなければならない、ということだろう。赤字再建団体転落の危機は、いま急に生じたわけではない。


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≪ ゴ ミ の ポ イ 捨 て ≫

2007年07月27日 03時58分57秒 | 社  会

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 7月26日、早朝5時半、釧路にしては珍しく三日間続いた気温20度以上の中で、物置小屋の屋根の葺き替え作業に疲れて身体が重かったが、女房のキノコ採りに付き合い、西港臨海公園に出かけた。女房がジムニーを駐車場に入れると、私たちは愕然として声が出なかった。辺り一面ゴミが散乱しているではないか。一か月前に訪れたときはこんなではなかった。4月に釧路を離れた学生もどきが、夏休みに入って、一斉に戻ってきて傍若無人の振る舞いをしているのだろう。P1010375P1010377
 港湾管理者がいくら看板を掲げて注意を促しても、阿呆を相手にして、暖簾に腕押しではないのか。もはや世も末である。鴨長明の『方丈記』に、「又、養和の頃とか、久しくなりて覚えず。二年が間、世の中飢渇して、あさましき事侍りき。・・・濁悪の世にしも生まれあひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし」と、仏法衰滅における人心の下根下劣を憂える一節がある。私は、仏法の末世思想を信じるものではないが、「世の中飢渇して、あさましき事侍りき」どころか「世の中飽食して、あさましき事侍りき」を、濁悪の世と見るのである。下根下劣な人心・凶悪闘争の世の中!
 キノコは、金網が張ってあって車が入れない、港寄りの草地で、二種類(キンチャヤマイグチ、カワリハツタケ)を適度に採取し、帰宅した。


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≪学生時代の思い出(学内レガッタ大会)≫

2007年07月25日 19時27分06秒 | 行住坐臥

P1010345 ただ学生時代の思い出といっても、時の経過と共に記憶は薄れ、茫漠として掴みどころがない。たまたま、北大文学部創基五十年の記念事業の一環として、平成十二年に『北大文学部五十年の歩み 創立五十周年記念誌』の発行が予定され、寄付を募る書状が届き、「ああ、またか」と思った。
 北大文学部同窓会再建のために、というかけ声はこれまで何度か経験し、いっときは、寄付は集まるが、そのうち、数年で活動は停止するのが常だった。要するに、会費が集まらなくなるのである。そもそも、他人の褌で相撲を取って、何事も長続きするわけがない。
 このときは、五十周年記念ということで、気まぐれに分相応の求めに応じたところ、立派な冊子が送られてきて驚いた。
P1010347 この冊子の中に、私の青春の一コマが凝縮されている写真が載っているとは思いもしなかった。
 北大では毎年六月に、茨戸川で学内レガッタ大会を行っていた。昭和三十八年春、誰が言い出したか分からないが、英文科三年目クルーで出場しようということになった。茨戸川には、北大ボート部の練習場があって、私たちクルー(コックスを入れて五名)は、秘かにキャンパスを抜け出し、同期二十名の中に茨戸川を住処にするボート部員がいる幸運を利用して、合宿に入った。
 初戦の相手は強豪の医学部、私たちは僅差、競馬に例えると、首の差で敗れた。初めからリードを許し、末脚が伸びなかったのである。キャンパスでは、主任教授が満を持して待ち受けていた。十日間も講義をさぼったのだから、言い訳はきかない。ひたすら穴埋めのレポート作成に精を出した。


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≪ 風除室のマルハナバチ ≫

2007年07月25日 12時33分29秒 | 自  然

P1010361 7月24日は、久しぶりの好天で、気温も22度まで上がった。昨日片づけを終わった老母の作業場の廃材は、電動丸鋸で小さく切断し、30リットルのゴミ収集袋八枚におさめ、収集車に持って行ってもらった。重労働の疲れが残り、午前中はユリ・バラ・クレマチスのうどんこ病・さび病予防薬の散布だけで仕事を終えた。
 昼食後、物置小屋の屋根のトタン張り替え作業のため玄関を出ると、風除室にマルハナバチが迷い込んでいた。軍手の指に載せ、そっと外に出してやると、二分ほど動かなかったが、やがて、ロッケリーのベンケイソウにまっすぐ向かった。P1010362P1010365
 丹羽真一氏のHP<北海道の自然紹介「花とマルハナバチ」>によると、北海道には十一種が生息し、そのうち九種が普通に見られ、毛の色と模様によって種を識別できるそうだが、残念ながら、私には全く分からない。ただ、種によって好みの花があるようで、同時に撮影したコメツツジのは、ベンケイソウのとは毛の色が明らかに異なる。P1010371
 女房が撮影したアリウムのマルハナバチも、毛の色と模様が前述の二種とは違っている。女房は、撮影が上手で、ストロー状の中舌もはっきり写っている。しかし、このブログは、専門的な詳細な部分には立ち入らない、ということで二人とも了解の上で始めたので、マルハナバチについても、品種の識別までは考えていない。必ずしも専門家でなくても、意外なところに専門家顔負けの調査研究をなさっているかたがいらっしゃるので、私たちが口を差し挟む必要はなかろう。


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≪『 北 の 山 脈 』雑 感 ≫

2007年07月24日 06時12分53秒 | 学芸文化

P1010340
 三十代の血気盛んな頃、私は自動二輪車(ホンダ・CB250)を駆って、よくツーリングや登山に出かけた。今回の投稿は、登山を取り上げる。
 登山といっても、本格的なものではなく、近隣のありふれた山に、気分転換のために単独で出かけるワンダーフォーゲルにすぎないのだが、それでも、日帰りと一泊二泊の山行とでは、装備に雲泥の差が出る。必然的に、CB250への荷物の取り付けにも影響が出るのである。
 このころ、北海道の山を紹介する季刊誌『北の山脈』の存在を知り、蒐集を始めた。結局、創刊号の復刻版を手に入れてから、最終巻、第40号まで揃えるのに、十五年を要した。このての特定地域の山を対象とする雑誌が免れることのできないネタ切れ現象を、『北の山脈』も克服できずに、第40号で終止符を打った。昭和46年3月創刊、昭和55年12月休刊、10年の命だった。後半は、投稿数の減少に、編集委員会は歯がゆい思いをしたことだろう。
 私も投稿を考えたことがあったが、名だたる岩場のルート解説に混じって、小学生の遠足感想文のような拙い山行記録が掲載されるわけがない、間違って掲載されても恥をかくだけだと、何度か途中でペンを置いた。しかし、いま振り返ってみると、私のような初心者でも、ガイドブックに載っていない、低山のささやかなルート解説記事を投稿していれば、『北の山脈』の延命にいささか役立ったのでは、と思わないでもない。


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≪ 還 暦 の 祝 い ≫

2007年07月22日 20時19分02秒 | 行住坐臥

P1010344 父は三男で、分家だった上に、本家との付き合いもあまり親密ではなかったので、両親は、本家での慶弔の習慣を話題にしたことがあまりなかったし、母方との親戚づきあいも同様だった。したがって、長命の家系にもかかわらず、私たち子供四人は、親族の還暦・古稀・喜寿・傘寿・米寿・卒寿などの祝い事を経験した覚えは全くない。90歳を超えた両親についても、還暦から卒寿まで、祝い事は特にやっていない。両親自ら、祝いは不要と断るのが常だった。
 私が還暦を迎えたときは、女房の、「何か欲しいものを・・・」という言葉に甘えて、「昭和の流行歌CD20枚セット」を買ってもらい、生寿司と剣菱でささやかな食事を楽しんだだけである。それで十分だった。四年前のことである。
 還暦を迎えても、私はまだ現職だったので、特別な感慨もなかったし、赤い帽子に赤いチャンチャンコなど、考えもしなかった。知人で、釧路ではいっぱしの文化人で通っているK氏が、流行歌・演歌が大嫌いで、祝い事に拘ることを知っていたので、彼の前では、還暦の話は一切持ち出さないように心がけた。私は、クラシック音楽も好きで鑑賞するし、曲がりなりにも、クラシックギターやピアノを演奏することもできる。しかし、芯から心が和むのは、日本人歌手の流行歌である。
 三橋美智也・三波春夫・都はるみ・石原裕次郎・布施明・青江美奈・水原弘・西田佐知子・森進一・内山田洋・・・みんな素晴らしい歌手ではないか。流行歌のどこがよくないのか。あからさまな侮蔑の言葉は、当人の品性を下げるだけである。他人の趣味・好みに口を差し挟まないでもらいたい。ジャズが好きなら好きで、自分だけで楽しむがよかろう。


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≪ 徳 大 寺 有 恒 ≫

2007年07月22日 12時45分39秒 | 学芸文化

P1010339
 徳大寺有恒──もちろんペンネームである。ファッション関係の評論を本名の杉江博愛で書いていたが、自動車評論家に転身し、本音で辛口の評論を書くに当たって、メーカーとの摩擦をそらすため、ペンネームを使うことにしたのであろう。自分で決めたのではあるまい。徳大寺家が清華家の家格を有する公家(フリー百科事典『ウィキペディア』)で、西園寺家や三条家と兄弟筋に当たる、平安朝以来の名家であることを、杉江が知らないわけがない。この分不相応なペンネームの命名は、おそらく、草思社編集部の切れ者の仕業だろう。
 私の移動手段は、昭和40年から平成19年までの間に、自転車(丸石・イヤングホリデイ)→原動機付自転車(ホンダ・CD50)→自動二輪車(ホンダ・CD125、CB125、CB250、GL400)→自動車(ミツビシ・ギャラン1300、ニッサン・グロリアGL2000、VG2000、スズキ・キャリーAT)と変遷した。
 『間違いだらけのクルマ選び』は、CB250に乗っていたときの、最初の77年版から最終版まで一冊も欠かさず、と書きたいところだが、残念ながら、79年版一冊が欠けている。77年に続編(78年版)が出た後、これが年度ごとに発行されるとは思いもせず、買い漏らしたのである。今はもう入手不可能である。
 批評の内容は、外国車贔屓が鼻につかないでもないが、自動車を単に走行性能からだけでなく、社会的・文化的側面から総合的にとらえる斬新な視点を保持し、よい自動車に乗りたい、という一般的な社会層の支持を広く得ることに成功したのである。そのときどきの世界情勢を俯瞰しながら、日本の車社会のあり方を分析するという、確固たる執筆方針がなかったら、私はこのシリーズを揃えようなどと考えなかっただろう。もちろん、個人的な好みも大きな要素なので、気に入らない批評も少なくなかったが、全体として、自動車社会に対して徳大寺有恒の果たした役割は、高く評価してよい。


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