タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

  <タイトルは「庭仕事」ですが、残日録には他の分野も含まれています>

稀勢の里の左腕負傷に関する的外れな新聞記事

2017年03月29日 | スポーツ
<大相撲3月場所13 日目=日馬富士 vs 稀勢の里戦>

※ 3月 25 日付『讀賣新聞』第28面の画像に加工を施した。

稀勢 並外れた鈍感力
3月 29 日付『讀賣新聞』第28面の記事の見出し

記事の前文:横綱には「忍耐」や「気迫」を超越した姿を見せる瞬間が
ある。大相撲の 2001年夏場所、右膝に大けがをした貴乃花が武蔵丸を
投げ捨てた時の「鬼の形相」は特筆ものだ。今場所、逆転優勝を飾った
新横綱の稀勢の里も、日馬富士に寄り倒されて負傷した13 日目の苦悶の
表情は、記憶に深く刻み込まれよう。(編集委員)

 記事は、横綱の内心に存するとかいう「危機にどこまで鈍感でいられるかという葛藤」を肯定する内容になっているが、「並外れた鈍感力」が「自らの人生をドラマチックに生きていく力」だなんて、とうてい肯んじられない。

 左腕負傷は、厳しい立ち合いで素早く双差しとなり、稀勢の里を一気に土俵際まで追い詰めた日馬富士が、力を込めて返した右差し手と、棒立ちとなって苦し紛れに体を右に振りながら、日馬富士の右肩を突き落とそうとした稀勢の里の左腕とが、激しく衝突して生じたものである。

 稀勢の里は腰高で脇が甘く、棒立ちの状態で俵に詰まり、小手投げや突き落としを打ちながら土俵下に転落する相撲が実に多い。求められるのは、危機に対する鈍感力ではなく、危機回避のための日頃の鍛錬である。「苦悶の表情や鬼の形相」を後世に残さないように、欠点の是正に努めるべきだろう。横綱としての器量云々は、その結果如何によると私は思う。

 ついでに言うが、大新聞の編集委員たる者が「鈍感力」のような怪しげな日本語を使うとは、情けないではないか。新聞人として世に範を垂れるどころか、日本語の破壊に手を貸している。
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