気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

5月になると墨色の夢を見る

2017-05-13 00:01:09 | エッセイ

 5月に入り雷雨があったものの夏日を思わせる日照りが続く日が続いた。     

  連休の合間に脚の鍛錬にと、いつもの調剤薬局に薬を取りに行った。元来、歩くのが好きだったのでひとりで頼らずに歩き始めた。 新緑の彩の美しさに平和をしみじみと感じた。遅速だが一歩一歩と歩いた。 「ただいま」と玄関の扉を開けた。 妻が「お電話よ。久しぶりだからSkypsにしたら・・・」孫息子からの電話である。 余りの久し振りにSkypsの操作が分からず、おお慌てと言う不様さ・・。「駄目だ。ところで、用事ってなんなの・・」すると、18歳になったばかりの孫息子は「お爺ちゃん お誕生日おめでとう。それから、大学の入学祝いもありがとう」嬉しいひと言だった。そうか、9月から大学生なのだ。早いな~。平和って良いなとしみじみと身に染みた。 

 この頃、あることを思い起こすことが多くなった。 齢のせいか・・・。その時期は5月である。いまから71年前の当月である。 日にちまでは忘却した。だが、情景は鮮明に焼き付いている。中国大陸からの引き揚げ記憶である。

 荒涼たる中国大陸を貨物列車は無蓋車を連ね黒煙を吐きながら進んでいる。鉄路に響く音しか聴こえず不気味な程静かだ。 夕暮れに近づき冷え切った身体に追い打ちをかけるかのように、無情にも小雨が降り始めてきた。 雨を遮るものは何もなくただ濡れるに任せるしかない。 陽も沈み真っ暗闇になり誰もが行き先は分かってはいるが不安は隠せない。小雨もほとんど止んだ。 鉄路に車輪がきしむ音、それに合わせて連結器のぶつかる音などが不気味に辺りを漂わせた。 数人の男の手で無蓋車の床に厚いい板がかけられた。 誰もがもそもそと立ち上がり背負ってきた荷物を手にそろりそろりと厚い板を踏みしめ黒い土の上に降りた。辺りの灯りは傾きかけた電柱に点る裸電球だけが・・・。先方に霞の中に黒い船体が見えた。 一列に動く無言の列が続いた。 子供の声すらも、咳払いも聴こえない不気味な静寂があった。まだ誰も信じてはいない。

 船体に繋がる艀を渡ろうとした時、船員姿の男が背に重いリュックを背負った疲れ切った引き揚げ者のひとりひとりの肩に手をさしのべ「ご苦労様でした。もう、ここは日本ですよ」と声を掛け続けていた。信じられなかったことが、この一言で信じられた。「帰れたんだ・・ほんとうに・・信じていいのだ・・」と誰しもが思ったに違いない。 歌が船橋から聴こえていた。 後に知った畑やんこと田畑義男さんの「帰り船」の歌でした。

 翌朝、嘘のように晴れ渡った 空の下を引き揚げ船は(写真はイメージ)[米軍の上陸用舟艇母艦LST  子どもの眼で見た記憶はもっと大きい船でした]

中国大陸の港を離れ、一路、山口県仙崎港に向かった。

やっと、落ち着きを戻したころ、無蓋車の中で小雨に濡れたことがもとで5歳になる男の子二人が急性肺炎に罹り亡くなり、船尾から日の丸の旗に包まれ水葬ががしめやかにおこなわれた。私は船尾から身を乗り出して見ようとしたが大人たちの背に阻まれ見る事は叶わなかった。私にも6歳になったばかりの妹と3歳の弟がいた。よく耐えたものだ。

遺骨さえ異国に残さないのに、まだ幼いいたいけな遺体を水中に葬るとは・・。戦争とは戦闘員だけでなく非戦闘員にも悲惨さが及ぶことを、この時知った。

我が家も、この5年後、これがもとで病弱な兄は学校にも行けず25歳の若さで結核療養所で亡くなりました。私は兄との連絡に自宅との間を通いつめたものでした。   いまだに時折想い起こす忘れられない追憶です。墨色の夢は見なくなるまで忘れてはならない。

終わり  

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3 コメント

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おはようございます (tempo1078)
2017-05-13 06:33:27
大変な思いを
なさったのでしたね。

今の日本が
如何に平和であるか、

国民は
一度、考えてみた方がいい。

戦争の悲惨さに
思いを巡らした方がいい。
戦争体験 (屋根裏人のワイコマです)
2017-05-13 09:47:49
多くの人たちが、戦争体験や引き上げの
記録を残されていますが、人それぞれ
その思いは大きく違います。そして
その記憶と思い出は次の我々が聞いた事を
次の世代に確実に残して伝承しその辛い
事を繰り返さないために・・何ができるのか
その伝承の責務を感じて居ります
引き揚げ船 (すけつね)
2017-05-13 20:48:25
希望を持って満州に住もうとして出かけて行った人々は、望みを断ち切られ、多くの命を失い、悲惨な状態で引き上げてきました。私の同級生から聞いたことですが、引き揚げ船でお婆さんが海に捨てられるのを見たと言っておりました。多分、船までたどり着いたけれど、力尽きて亡くなった人でしょう。また、別の人からは、引き揚げ船で亡くなると水葬にし、船は汽笛を鳴らしながら一周したということでした。戦争をするような国にはしたくないものです。

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