車泊で「ご当地マンホール」

車中泊の旅とか、そうでない旅(笑)で見つけたご当地もの色々、でもメインはやっぱり「ご当地マンホール」かな。

琵琶湖周航の地in高島市今津町

2017年07月21日 10時00分00秒 | マンホール・キャラ・滋賀県
カラオケ大好きな私の持ち歌で、何曲かの十八番の一つに「琵琶湖周航の歌」があります。
        われは湖(うみ)の子 さすらいの
         旅にしあれば しみじみと
        昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
         志賀の都よ いざさらば
      
作詞:小口太郎、作曲:吉田千秋、大正6年に作られ、昭和8年にレコーディングされた学生歌。
今津町はその「琵琶湖周航の歌」の発祥地として知られ、「琵琶湖周航の歌資料館」もあります。

          

第三高等学校(現・京都大学)に入学した小口青年は、大正6年の琵琶湖一周の漕艇中に
この歌詞を思いついたとされ、資料館には当初の歌詞と現代の歌詞が並べて展示されています。

        
         

当初は吉田青年が作曲した『ひつじぐさ』のメロディに当てて歌われていたものが定着していき
三高の寮歌として広まり、遂に「第三高等学校自由寮生徒」の歌唱でレコード化されました。
ただし口伝えで継承された為、現在のメロディは原曲の『ひつじぐさ』とはかなり異なっています。
このあたりの違いも、資料館で実際に聞き比べる事が出来るので、興味有る方にはお勧めです。
この写真は、就航の歌が誕生した当時の今津と、琵琶湖就航の様子を写したものだそうです。

          

資料館から今津港への道には、歌詞を刻んだ碑がたち、見る度についつい口ずさんでしまいます。
う~~~~ん、今、側にカラオケボックスがあったら、速攻でマイクを握っていたかも(笑)

        

琵琶湖遊覧の基地となった今津港には、「周航の歌」が刻まれた碑が建てられています。
桟橋の突端に有るモニュメントは、三番の歌詞に登場する「赤い泊火(とまりび)」だそうです。
太古から変わること無い琵琶湖の風景、赤々と燃える泊火は、人々の息吹の証しでしょうか。

          

今津港から見る琵琶湖は、青くどこまでも果てしなく・・まさに湖=うみと呼ぶに相応しい姿です。
はるか沖合いに見える島影は、4番の歌詞に歌われた「古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)」
まだ一度も参拝した事はありませんが、友人曰く、島全体がまさに仏の御手の中だそうです。

          
          

ブログ上で紹介したのは、一般に歌われる1番から4番までですが、実際には6番まであります。
いずれの歌詞も、琵琶湖の美しい自然と歴史を抒情豊かに歌い上げた素晴らしいものばかり・・
「今日は今津か、長浜か」と歌った『小口太郎』、この写真は三高時代のものでしょうか?

        

当時の作曲者『吉田千秋』の写真が無いので、代りに、元曲のタイトル「ひつじ草」の画像です
スイレン科の多年生水草で、未の刻に開花するというので、この名がつけられたそうです。
実際には、午前中から夕方まで咲くそうで、資料館前には「ひつじ草」が可愛く咲いていました。

          

公式HPに「市の宝物」と紹介される「琵琶湖周航の歌」、発祥地の宣伝は随所で見られます。
市バスの車体一面には、件のザゼンソウと共に、「琵琶湖周航の歌」が紹介されています。
また名物のお蕎麦屋さんの看板にも「琵琶湖周航の歌 発祥の地」の文字がありました。

          
          

        訪問日:2016年月6日
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今津ヴォーリズ通りin高島市今津町

2017年07月20日 10時00分00秒 | マンホール・キャラ・滋賀県
2016年2月12日のブログ「ヴォーリズ建築を訪ねてin近江八幡市」で紹介したヴォーリズ建築。
他にも「豊郷町」「彦根市」など、滋賀県内にはかなりの数のヴォーリズ建築が残されています。
実はここ今津町にも「ヴォーリズ通り」と名付けられた一帯に、ヴォーリズ建築があるのです。

          
          

今津ヴォーリズ資料館は、大正12年(1923)に「百三十三銀行今津支店」として、ヴォーリズの
設計により建設され、その後1979年から2001年まで今津町立図書館として使われていました。

         

外観は同時期の銀行建築にみられる西洋古典様式を取り入れた重厚な仕上がりになっています。

          
        
          

館内には日本各地に残されたヴォーリズの設計建築物が、パネルや模型で紹介されています。
見知った建築もあれば、初見の建築物も多く、ヴォーリズ好きには必見と言えます(*^^*)

          
          

これは大正12年(1923)に立てられた当時の模型で、かなりの規模であった事がわかります。
昭和8年に八幡銀行と合併して滋賀銀行今津支店となり、昭和54年に今津町立図書館となり・・
そうして現在は国の登録有形文化財となり、今津ヴォーリズ資料館として情報発信をしています。

           

「ヴォーリズ通り」を先に進むと「日本基督教団・今津教会会堂」の建物が見えてきます。
切妻造、瓦葺きの歴史的建造物は、1934年の竣工で、国の登録有形文化財になっています。

          
  

最後のヴォーリズ建築は、1934年に今津郵便局舎として建設され、1978年まで使用され続けていた
「旧今津郵便局」、ですが玄関は閉ざされたままで、建物全体もまるで廃墟のように見えます。

  

建物の裏に廻ると、廃墟感はさらに酷く、これがヴォーリズ通りの見所とはとても思えません。
どのような事情があるかはわかりませんが、折角のヴォーリズ建築、大切に残して欲しいです。

          

この写真は過去の辻川通りを映したもので、当時の賑わいが相当のモノであった事が伺えます。

          

実は・・と描き始めた割に、ヴォーリズ建築はわずか三軒だけ、ちょっと拍子抜けでした。
ヴォーリズ通りはこれで終わりですが、歴史のある町には素敵な建物が幾つもあります。
この紅いベンガラが美しい建物は、「百三十三銀行今津支店」の道路向かいにあります。
この時は何方もおいでにならないようで、表戸は固く閉ざされており、無人のようでした。

          

白漆喰の壁が美しい呉服店、角を曲がると重厚な作りのお蔵が見えて、思わず足を止めます。
歴史のある町は、特に○○などというものが無くても、ただ其処に立つだけで素敵なのです。

  

        訪問日:2009年5月
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ご当地マンホールin旧今津町(高島市)

2017年07月19日 10時00分00秒 | マンホール・キャラ・滋賀県
旧高島郡今津町(いまづちょう)は琵琶湖北西岸に位置し、古くから九里半街道(若狭街道)と
大津からの湖上舟運との 接点として栄え、高島郡の中心地として発展してきた町でした。

          
                  
          
1889年、町村制の施行により、近在9ヶ村の区域をもって今津村が発足します。
1906年、今津村が町制を施行し今津町となります。
1955年、川上村・三谷村と合併し、改めて今津町が発足しました。
2005年、マキノ町・朽木村・安曇川町・高島町・新旭町と合併し、新たに高島市となりました。
マンホールには饗庭野(あいばの)地区の「ザゼンソウ」と、町の鳥「雲雀」が描かれています。
   (カラーマンホールは、琵琶湖周航の歌資料館付近に敷設されています)

          
          
          
                    
          
          

このマンホールは上記と同じデザインですが、実は集排地区のマンホールなのです。
一般的に集排地区のデザインは公共のものより凝っているのですが、今津は同デザインでした。

          

中央の町章は昭和37年の制定で、ひらがなの“い”を飛鳥の形に図案化したものです。
上の左右の波形は琵琶をあらわし、下方のとがった部分が比良山地をあらわしています。
全体で町の発展向上、躍進をあらわしており、図全体の丸みは、円満、平和をあらわしています。

  
          
          
          

側溝蓋に描かれているのは琵琶湖で開催されるボート大会「今津レガッタ」が描かれています。

          
  

こちらの側溝蓋は、琵琶湖の波をイメージしたものでしょうか?いずれも今津港付近に有ります。

          

今津もまた冬場には雪の多い土地なのでしょう。滋賀県章の入った消雪蓋が敷設されています。

            

今津ヴォーリズ資料館の敷地にあったプレートには、「琵琶湖の波」、町の鳥「雲雀」
それに「ザゼンソウ」が、それぞれの特徴を掴んだモザイクタイルで描かれていました。

          
          
          

町の鳥以外、町のシンボルとして制定された木(欅)も花(ツツジ)も全く出番がないのに
こと、ザゼンソウに関してはいたるところに出没していて、その露出度は驚異的です(笑)
旧今津町域の饗庭野(あいばの)は、国内南限の「ザゼンソウの群生地」として知られています。
合併してシンボルは変更されても「ザゼンソウの群生地」の名声は揺らぐことはありません(*^^*)
というわけで、今津の和菓子店では「ざぜん草もなか」が大々的に売り出されていました。

  

        撮影日:2007年9月
        撮影日:2016年6月
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安曇川に残る石造物in高島市安曇川

2017年07月18日 10時00分00秒 | 社寺・名所・観光・滋賀県
高島市安曇川北出に鎮座される「安閑神社」、御祭神は『安閑天皇(継体天皇の皇子)』
文禄年間に権現堂として創祀され、文化元年に現在地に再建されたと伝えられています。
村の鎮守様というにもあまりに小さなお社で、実際に探し当てるのに随分苦労しました。

          

苦労して探し当てた「安閑神社」、実は目的は参拝ではなく境内にある「神代文字の石」
絵画とも文字とも判別のつかない陰刻があり、古くから神代文字の石として伝えられています。

          

二つ並んだ左手の石が「神代文字石」で、添えられた説明には次のように書かれています。
「字とも絵とも判別のつかない陰刻がされた石である。 元は知らないで橋に使われていたというが、
一説には古墳の一部ではなかったか、とも言われる。 この陰刻の解明は未だなされていないが、
この種の記号文字は神代文字と呼ばれ、不思議な歴史の貴重な遺産である。」

          

実際に見てみると、文字とも記号とも言えるものが、何らかの意図を持つごとく刻まれています。
実際に見た訳ではありませんが、これと実に良く似た石が、遠く九州地方にもあるとか・・
と言うことで、「神代文字」をアップで・・・・更にアップで・・・何が見えてきましたか?

          
          

安曇川に残る石造物というタイトルなので、隣にある石も紹介しないと片手落ちになりますね。
「力石(水口石)」は、鎌倉時代の説話集「古今著聞集」にも記されている力持ちの娘の話から。
この石は水争いを止めるために、力持ちの娘が夜の間に水口を塞ぐ為に置いた石なんだそうです。

          

石にかまけてしまってますが、もちろん「安閑神社」への参拝もきちんとさせて頂きました。
近江国高島には『継体天皇』に纏わる史跡が多く、興味深くはあるのですが・・・(^^;)
『継体天皇』の母君が祭られる「水尾神社」は、ナビも知っていて車で行く事ができましたが
たとえばこんな案内を見つけても、この川沿いをどう探せば良いのか、第一車はどうする?
と、話が逸れてしまいましたが(笑)、湖西地区はまだまだ様々な伝説が残されている所です。
ちなみに「えな」とは、胎盤やへその緒の事で、岐阜の恵那山なども、同じ意味だそうです。

         
          

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高島市安曇川町田中の南市交差点南西隅の緑地帯に存在する道標。
この道標、県内に唯一といわれる「石敢当(いしがんとう)」の文字が刻まれているのです。
正面に「石敢当」、右側面に「すぐ北国海道」、左側面には「すぐ京大津道(きょうおおつみち)」、
裏面は「天保(てんぽう)十三年壬寅(みずのえとら)春正月安原氏建之」とあります。
ちなみに「石敢当」とは、中国大陸から伝わった一種の魔除けの民間信仰の石造物だそうです。

          

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藤樹神社の境内にある庚申塔は、江戸時代に製作されたもので、市の文化財に指定されています。
庚申塔の役割や意味に関しては、そのままググって頂ければ、詳細な説明が沢山でてきます。
「見ざる・言わざる・聞かざる」の三申(猿)が刻まれた庚申塔、実はとても多彩で面白いのです。

          

        訪問日:2016年6月
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田中神社in高島市安曇川

2017年07月17日 10時00分00秒 | 社寺・名所・観光・滋賀県
高島市安曇川町田中に鎮座される「田中神社」御祭神は『建速素盞嗚尊・奇稲田姫命・八柱御子神』

          

一の鳥居脇にあって参道を守護されるのは、毛並みの豊かな狛犬さん一対。
吽形さんの右前足が持ち上がっているのは、当初、其処に何かがあったのかもしれません。

        

緑に包まれた境内は広く、長い石段の先に、社殿や多くの摂社が祀られています。
創祀年代は不詳ですが、一説に貞観年間(9世紀後葉)の創祀とも伝えられています。
往古より、若林牛頭天王社と呼ばれていましたが、享保7年(1722)『宗源宣旨』により
「正一位・牛頭天王社」と称し、明治2年(1869)に、現在の社号に改められました。

          

この石段の斜面には、時代を経た三基の石造宝塔と、二基の宝篋印塔が並び建っています。
特に一番奥の宝篋印塔は、鎌倉時代後期・永仁二年(1294)のもので、市文化財の指定です。

          

石段を登りきった先、その左右に控えて境内の神域を守護されるのは、私好みの狛犬さん一対。
特に角を持つ吽形さんがとても凛々しく、個人的には狛犬界の「イケメン」と呼んでいます(笑)

        

社務所の前には『素盞嗚尊』の歌碑と、出雲の国での大蛇退治の経緯が紹介されています。
『奇稲田姫命』を大蛇から救った『素盞嗚尊』の話は、神楽では欠かせない演目なんですよね。

          
        

入母屋造の拝殿には、白く塗られた木鼻の獅子が、ユーモラスな表情で参拝者を迎えます。
この白い木鼻の神獣はたまに見かけるのですが、どういう基準で何故白なのか、気になります。

          
        

奥に三間社流造の本殿を持つ社殿、守護されるのは、ぽっちゃり系浪花タイプの狛犬さん。
局ちゃんも私も、何故かこの体型の狛犬さんには妙に親近感を覚えてしまうのです(^^;)

          
        

社殿の外から見えた本殿の脇障子は、右に龍・左に獅子ですが、もしかしたら虎かもしれません。
蟇股に施されているのは「菊花」でしょうか?細かい葉脈や花びらが端正に彫り込まれています。

        
          

本殿の縁に置かれていた石には馬が描かれていますが、流鏑馬の神事に因んだものでしょうか?
この苔むした「磐座」は社殿の右手に鎮座されていたもので、神の宿る要石だったようです。

        

境内には「三尾神社・若宮八幡社・手力雄神社・国常立神社・天邇伎志神社武八幡神社合殿・
日吉神社・蛭子神社・天満神社・安田神社」と、数多くの摂社が、整然と祀られています。

          
           

この社域の裏手には「彦主人王(第26代継体天皇の父)御陵」とされる、田中古墳群もあります。
継体天皇の母の産所と呼ばれる地に鎮座していた三尾神社は、今は境内社として鎮座しています。
この三尾神社には、謎の超古代史の記号文字『秀真伝(ホツマツタエ)』が伝わっていたとか。
明日は、超古代史の記号文字に類似した、俗に「神代文字」と伝えられている碑を紹介します。

        参拝日:2016年6月
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